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呻吟語 / 外篇・人情・兩つながら誠なるが故なり

我一著意,自然著跡,著跡則兩相疑,兩相疑則似者皆真,故著意之害大。三五歲之男女終日談笑於市,男女不相嫌,見者亦無疑於男女,兩誠故也。繼母之慈,嫡妻之惠,不能脫然自忘,人未必脫然相信,則著意之故耳。

新字:我一著意,自然著跡,著跡則両相疑,両相疑則似者皆真,故著意之害大。三五歳之男女終日談笑於市,男女不相嫌,見者亦無疑於男女,両誠故也。継母之慈,嫡妻之恵,不能脫然自忘,人未必脫然相信,則著意之故耳。

書き下し

我一たび意を著くれば、自然に跡を著く。跡を著くれば則ち兩つながら相ひ疑ふ。兩つながら相ひ疑へば則ち似たる者皆な真なり。故に意を著くるの害は大なり。三五歲の男女は終日市に談笑するも、男女相ひ嫌はず、見る者も亦た男女に疑ひ無し。兩つながら誠なるが故なり。繼母の慈、嫡妻の惠は、脫然として自ら忘るる能はず、人も未だ必ずしも脫然として相ひ信ぜず。則ち意を著くるの故なるのみ。

現代語訳

自分がひとたび意を用いれば、自然に跡が残ります。跡が残れば双方が互いに疑います。双方が互いに疑えば、似ているものはみな本当に見えます。だから意を用いることの害は大きい。三歳五歳の男女が一日中市で談笑しても、男女が互いに嫌わず、見る者も男女として疑いません。双方が誠だからです。継母の慈しみや正妻の恵みは、すっかり自分で忘れることができず、人も必ずしもすっかり信じません。意を用いるからです。

解説

計らいが疑いを生む仕組みを、二つの例で示します。幼い子どもは男女として互いを意識しないので、見る者も疑いません。継母や正妻は、慈しみを意識しているので忘れられず、人も信じきれません。同じ行為でも、意識の有無で受け取られ方が変わるわけです。疑われまいとする意識こそが、疑いの元になっています。疑われまいとする意識が、疑いの元になっています。

この章句が説くこと

着意疑い幼児継母

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