呻吟語 / 内篇・存心・君子は心を治めて跡を修めず
心相信,則跡者土苴也,何煩語言?相疑,則跡者媒孽也,益生猜貳。故有誓心不足自明,避嫌反成自誣者,相疑之故也。是故心一而跡萬,故君子治心不修跡。中孚,治心之至也,豚魚且信,何疑之有?
新字:心相信,則跡者土苴也,何煩語言?相疑,則跡者媒孽也,益生猜貳。故有誓心不足自明,避嫌反成自誣者,相疑之故也。是故心一而跡万,故君子治心不修跡。中孚,治心之至也,豚魚且信,何疑之有?
書き下し
心相信ずれば、則ち跡は土苴なり、何ぞ語言を煩はさん。相疑へば、則ち跡は媒孽なり、益〻猜貳を生ず。故に心に誓ふも自ら明らかにするに足らず、嫌を避けて反つて自ら誣ふるを成す者有るは、相疑ふの故なり。是の故に心は一にして跡は萬なり、故に君子は心を治めて跡を修めず。中孚は、心を治むるの至りなり。豚魚すら且つ信ず、何の疑ひか之有らん。
現代語訳
心が互いに信じ合っていれば、行いの跡など土くれや糟のようなもので、どうして言葉を煩わせる必要がありましょうか。互いに疑っていれば、行いの跡は疑いの酵母となって、ますます猜疑を生みます。ですから心に誓っても身の潔白を示すに足らず、嫌疑を避けてかえって自分を陥れる者があるのは、互いに疑い合うからです。ですから心は一つでも跡は万通りに解釈されます。だから君子は心を治めて跡を取り繕いません。中孚の卦は、心を治めることの極みです。豚や魚でさえ信じるのですから、何の疑いがありましょうか。
解説
信頼と証拠の関係が示されます。信じ合っていれば行いの跡は無用で、疑い合っていれば同じ跡が疑いの材料になる。同じ事実が、関係の状態によって正反対に働くという観察です。そして誤解を避けようとした振る舞いが、かえって自分を陥れる例まで挙げられます。心は一つでも跡は万通りに読まれる、という一句が、弁明の限界をよく言い当てています。
この章句が説くこと
信疑跡弁明中孚関係
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