戦国策 / 昭王既息民繕兵
昭王既息民繕兵,復欲伐趙。武安君曰:「不可。」王曰:「前年國虛民飢,君不量百姓之力,求益軍糧以滅趙。今寡人息民以養士,蓄積糧食,三軍之俸有倍於前,而曰『不可』,其說何也?」武安君曰:「長平之事,秦軍大剋,趙軍大破;秦人歡喜,趙人畏懼。秦民之死者厚葬,傷者厚養,勞者相饗,飲食餔餽,以靡其財;趙人之死者不得收,傷者不得療,涕泣相哀,戮力同憂,耕田疾作,以生其財。今王發軍,雖倍其前,臣料趙國守備,亦以十倍矣。趙自長平已來,君臣憂懼,早朝晏退,卑辭重幣,四面出嫁,結親燕、魏,連好齊、楚,積慮并心,備秦為務。其國內實,其交外成。當今之時,趙未可伐也。」王曰:「寡人既以興師矣。」乃使五校大夫王陵將而伐趙。陵戰失利,亡五校。王欲使武安君,武安君稱疾不行。王乃使應侯往見武安君,責之曰:「楚,地方五千里,持戟百萬。君前率數萬之眾入楚,拔鄢、郢,焚其廟,東至竟陵,楚人震恐,東徙而不敢西向。韓、魏相率,興兵甚眾,君所將之不能半之,而與戰之於伊闕,大破二國之軍,流血漂鹵,斬首二十四萬。韓、魏以故至今稱東藩。此君之功,天下莫不聞。今趙卒之死於長平者已十七、八,其國虛弱,是以寡人大發軍,人數倍於趙國之眾,願使君將,必欲滅之矣。君嘗以寡擊眾,取勝如神,況以彊擊弱,以眾擊寡乎?」武安君曰:「是時楚王恃其國大,不恤其政,而群臣相妒以功,諂諛用事,良臣斥疏,百姓心離,城池不修,既無良臣,又無守備。故起所以得引兵深入,多倍城邑,發梁焚舟以專民,以掠於郊野,以足軍食。當此之時,秦中士卒,以軍中為家,將帥為父母,不約而親,不謀而信,一心同功,死不旋踵。楚人自戰其地,咸顧其家,各有散心,莫有鬥志。是以能有功也。伊闕之戰,韓孤顧魏,不欲先用其眾。魏恃韓之銳,欲推以為鋒。二軍爭便之力不同,是以臣得設疑兵,以待韓陣,專軍并銳,觸魏之不意。魏軍既敗,韓軍自潰,乘勝逐北,以是之故能立功。皆計利形勢,自然之理,何神之有哉!今秦破趙軍於長平,不遂以時乘其振懼而滅之,畏而釋之,使得耕稼以益蓄積,養孤長幼以益其眾,繕治兵甲以益其強,增城浚池以益其固。主折節以下其臣,臣推體以下死士。至於平原君之屬,皆令妻妾補縫於行伍之間。臣人一心,上下同力,猶勾踐困於會稽之時也。以合伐之,趙必固守。挑其軍戰,必不肯出。圍其國都,必不可剋。攻其列城,必未可拔。掠其郊野,必無所得。兵出無功,諸侯生心,外救必至。臣見其害,未睹其利。又病,未能行。」應侯慚而退,以言於王。王曰:「微白起,吾不能滅趙乎?」復益發軍,更使王齕代王陵伐趙。圍邯鄲八、九月,死傷者眾,而弗下。趙王出輕銳以寇其後,秦數不利。武安君曰:「不聽臣計,今果何如?」王聞之怒,因見武安君,彊起之,曰:「君雖病,彊為寡人臥而將之。有功,寡人之願,將加重於君。如君不行,寡人恨君。」武安君頓首曰:「臣知行雖無功,得免於罪。雖不行無罪,不免於誅。然惟願大王覽臣愚計,釋趙養民,以諸侯之變。撫其恐懼,伐其憍慢,誅滅無道,以令諸侯,天下可定,何必以趙為先乎?此所謂為一臣屈而勝天下也。大王若不察臣愚計,必欲快心於趙,以致臣罪,此亦所謂勝一臣而為天下屈者也。夫勝一臣之嚴焉,孰若勝天下之威大耶?臣聞明主愛其國,忠臣愛其名。破國不可復完,死卒不可復生。臣寧伏受重誅而死,不忍為辱軍之將。願大王察之。」王不答而去。
新字:昭王既息民繕兵,復欲伐趙。武安君曰:「不可。」王曰:「前年国虚民飢,君不量百姓之力,求益軍糧以滅趙。今寡人息民以養士,蓄積糧食,三軍之俸有倍於前,而曰『不可』,其説何也?」武安君曰:「長平之事,秦軍大剋,趙軍大破;秦人歓喜,趙人畏懼。秦民之死者厚葬,傷者厚養,労者相饗,飲食餔餽,以靡其財;趙人之死者不得収,傷者不得療,涕泣相哀,戮力同憂,耕田疾作,以生其財。今王発軍,雖倍其前,臣料趙国守備,亦以十倍矣。趙自長平已来,君臣憂懼,早朝晏退,卑辞重幣,四面出嫁,結親燕、魏,連好斉、楚,積慮并心,備秦為務。其国內実,其交外成。当今之時,趙未可伐也。」王曰:「寡人既以興師矣。」乃使五校大夫王陵将而伐趙。陵戦失利,亡五校。王欲使武安君,武安君称疾不行。王乃使応侯往見武安君,責之曰:「楚,地方五千里,持戟百万。君前率数万之眾入楚,抜鄢、郢,焚其廟,東至竟陵,楚人震恐,東徙而不敢西向。韓、魏相率,興兵甚眾,君所将之不能半之,而与戦之於伊闕,大破二国之軍,流血漂鹵,斬首二十四万。韓、魏以故至今称東藩。此君之功,天下莫不聞。今趙卒之死於長平者已十七、八,其国虚弱,是以寡人大発軍,人数倍於趙国之眾,願使君将,必欲滅之矣。君嘗以寡擊眾,取勝如神,況以彊擊弱,以眾擊寡乎?」武安君曰:「是時楚王恃其国大,不恤其政,而群臣相妒以功,諂諛用事,良臣斥疏,百姓心離,城池不修,既無良臣,又無守備。故起所以得引兵深入,多倍城邑,発梁焚舟以専民,以掠於郊野,以足軍食。当此之時,秦中士卒,以軍中為家,将帥為父母,不約而親,不謀而信,一心同功,死不旋踵。楚人自戦其地,咸顧其家,各有散心,莫有鬥志。是以能有功也。伊闕之戦,韓孤顧魏,不欲先用其眾。魏恃韓之銳,欲推以為鋒。二軍争便之力不同,是以臣得設疑兵,以待韓陣,専軍并銳,触魏之不意。魏軍既敗,韓軍自潰,乗勝逐北,以是之故能立功。皆計利形勢,自然之理,何神之有哉!今秦破趙軍於長平,不遂以時乗其振懼而滅之,畏而釈之,使得耕稼以益蓄積,養孤長幼以益其眾,繕治兵甲以益其強,增城浚池以益其固。主折節以下其臣,臣推体以下死士。至於平原君之属,皆令妻妾補縫於行伍之間。臣人一心,上下同力,猶勾践困於会稽之時也。以合伐之,趙必固守。挑其軍戦,必不肯出。囲其国都,必不可剋。攻其列城,必未可抜。掠其郊野,必無所得。兵出無功,諸侯生心,外救必至。臣見其害,未睹其利。又病,未能行。」応侯慚而退,以言於王。王曰:「微白起,吾不能滅趙乎?」復益発軍,更使王齕代王陵伐趙。囲邯鄲八、九月,死傷者眾,而弗下。趙王出軽銳以寇其後,秦数不利。武安君曰:「不聴臣計,今果何如?」王聞之怒,因見武安君,彊起之,曰:「君雖病,彊為寡人臥而将之。有功,寡人之願,将加重於君。如君不行,寡人恨君。」武安君頓首曰:「臣知行雖無功,得免於罪。雖不行無罪,不免於誅。然惟願大王覧臣愚計,釈趙養民,以諸侯之変。撫其恐懼,伐其憍慢,誅滅無道,以令諸侯,天下可定,何必以趙為先乎?此所謂為一臣屈而勝天下也。大王若不察臣愚計,必欲快心於趙,以致臣罪,此亦所謂勝一臣而為天下屈者也。夫勝一臣之厳焉,孰若勝天下之威大耶?臣聞明主愛其国,忠臣愛其名。破国不可復完,死卒不可復生。臣寧伏受重誅而死,不忍為辱軍之将。願大王察之。」王不答而去。
書き下し
昭王既に民を息め兵を繕い、復た趙を伐たんと欲す。武安君曰く、「不可なり」と。王曰く、「前年国虚しく民飢え、君百姓の力を量らずして、軍糧を益さんことを求めて趙を滅ぼさんとせり。今寡人民を息めて士を養い、糧食を蓄積し、三軍の俸前に倍する有り。而るに『不可』と曰うは、其の説何ぞや」と。武安君曰く、「長平の事、秦軍大いに剋ち、趙軍大いに破る。秦人歓喜し、趙人畏懼す。秦の民の死する者は厚く葬り、傷つく者は厚く養い、労する者は相饗し、飲食餔餽して、以て其の財を靡す。趙人の死する者は収むるを得ず、傷つく者は療するを得ず、涕泣相哀しみ、力を戮せて憂いを同じくし、田を耕し疾く作りて、以て其の財を生ず。今王軍を発し、其の前に倍すと雖も、臣趙国の守備を料るに、亦た以て十倍せん。趙は長平自り已来、君臣憂懼し、早朝晏退し、辞を卑くし幣を重くして、四面に出嫁し、燕・魏に結親し、斉・楚に連好し、慮を積み心を并せ、秦に備うるを務と為す。其の国内実し、其の交外成る。当今の時、趙未だ伐つ可からざるなり」と。王曰く、「寡人既に以て師を興せり」と。乃ち五校の大夫王陵をして将として趙を伐たしむ。陵戦いて利を失い、五校を亡う。王武安君をして将たらしめんと欲するも、武安君疾と称して行かず。王乃ち応侯をして往きて武安君に見えしめ、之を責めて曰く、「楚は地方五千里、戟を持つこと百万。君前に数万の衆を率いて楚に入り、鄢・郢を抜き、其の廟を焚き、東のかた竟陵に至り、楚人震恐し、東に徙りて敢えて西向かわず。韓・魏相率いて、兵を興すこと甚だ衆く、君将うる所の之に半ばする能わざるも、之と伊闕に戦いて、大いに二国の軍を破り、血を流して鹵を漂わし、首を斬ること二十四万。韓・魏是を以て今に至るまで東藩と称す。此れ君の功、天下聞かざる莫し。今趙卒の長平に死する者已に十に七、八、其の国虚弱なり、是を以て寡人大いに軍を発し、人数趙国の衆に倍す、君をして将たらしめんことを願う、必ず之を滅ぼさんと欲す。君嘗て寡を以て衆を撃ちて、勝を取ること神の如し、況んや彊を以て弱を撃ち、衆を以て寡を撃つをや」と。武安君曰く、「是の時楚王其の国大なるを恃み、其の政を恤えず、群臣相妬みて功を以てし、諂諛事を用い、良臣斥け疏んぜられ、百姓心離れ、城池修めず、既に良臣無く、又た守備無し。故に起兵を引きて深く入り、多く城邑を倍し、梁を発し舟を焚きて以て民を専らにし、以て郊野に掠め、以て軍食を足らすを得たり。此の時に当たり、秦の中の士卒、軍中を以て家と為し、将帥を父母と為し、約せずして親しみ、謀らずして信じ、一心同功、死して踵を旋らさず。楚人自ら其の地に戦い、咸な其の家を顧み、各々散心有りて、闘志有る莫し。是を以て能く功有り。伊闕の戦い、韓は魏を孤顧して、先んじて其の衆を用いんと欲せず。魏は韓の鋭を恃み、推して以て鋒と為さんと欲す。二軍の便を争うの力同じからず、是を以て臣疑兵を設くるを得て、以て韓陣を待ち、軍を専らにし鋭を并せて、魏の意わざるに触る。魏軍既に敗れ、韓軍自ら潰え、勝に乗じて北を逐い、是の故を以て能く功を立つ。皆利形勢を計るは、自然の理なり、何の神か之れ有らんや。今秦趙軍を長平に破り、遂に時を以て其の振懼に乗じて之を滅ぼさず、畏れて之を釈き、耕稼して以て其の蓄積を益し、孤を養い幼を長じて以て其の衆を益し、兵甲を繕治して以て其の強を益し、城を増し池を浚いて以て其の固を益さしむ。主節を折りて以て其の臣に下り、臣体を推して以て死士に下る。平原君の属に至るまで、皆妻妾をして行伍の間に補縫せしむ。臣人一心、上下力を同じくすること、猶お勾践の会稽に困しむの時のごときなり。以て之を合わせ伐たば、趙必ず固く守らん。其の軍に挑みて戦わしめんとするも、必ず肯えて出でず。其の国都を囲むも、必ず剋つ可からず。其の列城を攻むるも、必ず未だ拔く可からず。其の郊野を掠むるも、必ず得る所無し。兵出でて功無く、諸侯心を生じ、外救必ず至らん。臣其の害を見て、未だ其の利を睹ず。又た病みて、未だ行く能わず」と。応侯慚じて退き、以て王に言う。王曰く、「白起微かりせば、吾趙を滅ぼす能わざるか」と。復た益々軍を発し、更に王齕をして王陵に代わりて趙を伐たしむ。邯鄲を囲むこと八、九月、死傷する者衆きも、下さず。趙王軽鋭を出だして其の後を寇し、秦数々利あらず。武安君曰く、「臣の計を聴かず、今果たして何如」と。王之を聞きて怒り、因りて武安君に見え、彊いて之を起こして曰く、「君病むと雖も、彊いて寡人の為に臥して之を将いよ。功有らば、寡人の願いなり、将に君に重きを加えんとす。如し君行かずんば、寡人君を恨まん」と。武安君頓首して曰く、「臣行くと雖も功無く、罪を免るるを得るを知る。行かずと雖も罪無く、誅を免るるを得ざらん。然れども惟だ願わくは大王臣の愚計を覧、趙を釈きて民を養い、以て諸侯の変を待たれよ。其の恐懼を撫し、其の憍慢を伐ち、無道を誅滅し、以て諸侯に令せば、天下定む可し、何ぞ必ずしも趙を以て先と為さんや。此れ所謂一臣が為に屈して天下に勝つなり。大王若し臣の愚計を察せずして、必ず心を趙に快くせんと欲し、以て臣に罪を致さば、此れ亦た所謂一臣に勝ちて天下の為に屈するなり。夫れ一臣に勝つの厳、孰か天下に勝つの威の大なるに若かんや。臣聞く、明主は其の国を愛し、忠臣は其の名を愛すと。国破るれば復た完うす可からず、死卒は復た生く可からず。臣寧ろ重誅を伏受して死すとも、忍びて辱軍の将為らず。願わくは大王之を察せよ」と。王答えずして去る。
現代語訳
(秦の)昭王はすでに民を休ませ兵を整えると、再び趙を討伐しようとした。武安君(白起)は「なりません」と言った。王は言った。「先年、国は疲弊し民は飢えていたのに、あなたは百姓の力量を量らず、軍糧の増強を求めて趙を滅ぼそうとした。今、私は民を休め兵士を養い、食糧を蓄え、三軍への俸給も以前の倍にしている。それなのに『なりません』と言うのはなぜか」。武安君は答えた。「長平の戦いでは、秦軍が大勝し、趙軍は大敗しました。秦の人々は歓喜し、趙の人々は恐れおののきました。秦では死者を手厚く葬り、負傷者を手厚く養い、労苦した者たちにご馳走を振る舞い、飲食を贈り合って財を費やしました。一方、趙では死者の遺体を収容することもできず、負傷者は治療も受けられず、人々は泣き悲しみながらも力を合わせて憂いを共にし、田を耕して働き、財を生み出そうとしています。今、王が軍を発しても、たとえ兵力が前回の倍であっても、私が趙国の守備を見積もるに、趙もまた十倍の備えをしているはずです。趙は長平の戦い以来、君臣ともに憂え恐れ、朝は早く出仕し夜は遅く退出し、言葉をへりくだらせ贈り物を厚くして四方に働きかけ、燕・魏と縁組みを結び、斉・楚と誼を通じ、思慮を尽くし心を一つにして、秦への備えに専念しています。その国内は充実し、外交も成っています。今の時期、趙はまだ討伐すべきではありません」。王は「私はすでに軍を興してしまった」と言い、五校の大夫王陵を将として趙を討たせた。王陵は戦って利を失い、五つの部隊を失った。王は武安君を将にしようとしたが、武安君は病と称して行かなかった。王はそこで応侯(范雎)を遣わして武安君に会わせ、こう責めさせた。「楚は方五千里の地を持ち、戟を持つ兵百万を擁していました。あなたは以前、数万の兵を率いて楚に攻め入り、鄢・郢を陥落させ、楚の宗廟を焼き払い、東は竟陵にまで至り、楚人は震え恐れて東へ移り、二度と西を向いて刃向かおうとしませんでした。韓・魏が相い率いて非常に多くの兵を興したとき、あなたの率いた兵はその半分にも満たなかったのに、伊闕でこれと戦い、大いに両国の軍を破り、流れる血が盾を漂わせるほどで、首級二十四万を斬りました。韓・魏はこのため今に至るまで秦の東の藩屏と称しています。これはあなたの功績であり、天下に知らぬ者はありません。今、趙の兵は長平の戦いで死んだ者がすでに七、八割に達し、国は虚弱になっています。だからこそ私(王)は大々的に軍を発し、兵の数は趙国の軍勢の倍にもなっています。あなたに将となっていただき、必ずこれを滅ぼしたいのです。あなたはかつて寡兵をもって多勢を撃ち、神業のごとく勝利を収めてこられました。まして今度は強をもって弱を撃ち、多勢をもって寡兵を撃つのですから、なおのこと容易いはずです」。武安君は言った。「あの時、楚王は国が大きいことを頼み、政治を顧みず、群臣は互いに功を妬み合い、へつらう者ばかりが取り立てられ、良臣は退けられて疎んじられ、民心は離れ、城壁や堀も修めておらず、良臣もおらず、守備もありませんでした。だからこそ私(起)は兵を率いて深く攻め入り、多くの城邑を落とし、橋を落とし舟を焼いて兵に決死の覚悟をさせ、郊野を略奪して軍の食料を確保することができたのです。当時、秦の兵士たちは陣中を我が家とし、将帥を父母のごとく慕い、約束せずとも親しみ合い、相談せずとも信じ合い、心を一つにして功を挙げ、死んでも後ずさりしませんでした。一方、楚の人々は自国の土地で戦っていながら、皆それぞれ自分の家のことを気にかけ、心はばらばらで闘志を持つ者はいませんでした。それゆえ功を挙げることができたのです。伊闕の戦いでは、韓は魏の様子をうかがって、自軍を先に使おうとせず、魏は韓の精鋭を頼みにして、韓を先鋒に押し出そうとしていました。両軍とも有利な立場を得ようとする力が一致していなかったため、私は疑兵(陽動部隊)を設けて韓の陣に対峙させ、その隙に精鋭を一つにまとめて魏の不意を突きました。魏軍が敗れると、韓軍もおのずと崩れ、勝ちに乗じて追撃したため、功を立てることができたのです。これらはすべて有利な情勢を計算した結果であり、自然の道理にすぎません。何の神業がありましょうか。ところが今、秦は長平で趙軍を破りながら、その動揺と恐怖に乗じて時を移さず滅ぼすことをせず、恐れて手を緩めてしまいました。そのため趙は田を耕して蓄えを増やし、孤児を養い幼子を育てて人口を増やし、武具を整えて強さを増し、城壁を高くし堀を深くして守りを固めてしまいました。君主は威儀を折って臣下に謙り、臣下は身を低くして死を賭す士に接しています。平原君のような貴族の家でさえ、妻妾に軍の隊列の間で縫い物をさせるほど、皆で戦争準備に当たっています。上下が心を一つにする様子は、まるで勾践が会稽で苦しんだ時のようです。この状態で兵を合わせて討てば、趙は必ず固く守り抜くでしょう。趙軍に戦いを挑んでも、決して打って出てはこないでしょう。趙の都を囲んでも、決して陥落させることはできないでしょう。その周辺の城を攻めても、決して抜くことはできないでしょう。その郊野を略奪しても、何も得るものはないでしょう。兵を出して功がなければ、諸侯にも異心が生じ、必ず外部からの救援がやってくるでしょう。私にはその害は見えても、その利はまだ見えません。しかも私は病んでおり、出陣することができません」。応侯は恥じ入って退き、このことを王に報告した。王は「白起がいなければ、私は趙を滅ぼせないというのか」と言い、さらに大々的に軍を発して、王齕を王陵に代えて趙を討たせた。邯鄲を包囲すること八、九か月、死傷者は多く出たが、落とすことはできなかった。趙王は精鋭部隊を出して秦軍の背後を襲わせ、秦は幾度も不利な戦況に陥った。武安君は「私の計略を聞き入れなかった結果が、今どうなっているか」と言った。王はこれを聞いて怒り、武安君に会って無理に立たせようとして言った。「あなたは病んでいても、無理をしてでも私のために出陣し、寝たままでも軍を指揮してほしい。功があれば、それは私の望むところであり、あなたへの恩賞をさらに重くしよう。もしあなたが行かなければ、私はあなたを恨むことになる」。武安君は頭を地につけて言った。「私が出陣しても功を挙げられないことは分かっております。それでも罪を免れることはできるでしょう。しかし出陣しなければ、罪はなくとも、誅罰を免れることはできないでしょう。それでもなお、大王には私の愚見をお聞き届けいただき、趙を攻めることをやめて民を養い、諸侯の情勢の変化を待っていただきたいのです。趙の恐懼する心を鎮め、驕り高ぶる者を討ち、道に外れた者を誅滅し、それによって諸侯に号令すれば、天下は定まるでしょう。何も必ずしも趙を先に攻める必要はございません。これがいわゆる、一人の臣下の意見に王が屈することで、かえって天下に勝つということです。もし大王が私の愚見を顧みず、どうしても趙への鬱憤を晴らそうとされ、その結果として私に罪をお与えになるならば、これもまた、一人の臣下に勝つことで、かえって天下に対して屈することになるのです。一人の臣下に勝つという厳しさが、どうして天下に勝つという大きな威光に及びましょうか。私は聞いております。賢明な君主は自国を愛し、忠実な臣下は自らの名誉を愛すると。一度破れた国は二度と元には戻らず、死んだ兵は二度と生き返りません。私はむしろ重い誅罰を受けて死ぬことがあっても、辱められた軍の将となることは忍びません。どうか大王、これをよくお考えください」。王は答えずに立ち去った。
解説
この章句が説くこと
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廟堂忠告・獻納第九人臣の言を君に納るるや、事いまだ然らざるに之を言えば、則ち十に八九從う。事無ければ則ち游畋般樂(ゆうでんはんらく)し、日に相親比す。一旦不可なる所有れば、乃ち左に遮り右に挽き、其の力を極めて以て之を救うも、殆ど其の濟る者を見ず。政(たと)い或いは允すも、亦必ず勉強に出でて其の本心に非ず。若し夫れ納言に善き者は則ち然らず、或いは進見に因り、或いは講讀に因り、或いは燕居に因り、事に先だちて陳說す、「是くの如くなれば則ち國安し、是くの如くなれば則ち國危うし、是くの如くなれば則ち聖君と為り、是くの如くなれば則ち暴主と為る」と。或いは古昔を引き、或いは祖宗を援き、必ず之をして心悟神會せしめ、表裏聳然として、乃ち善を陳べて扞格(かんかく)の患い無かるべし。昔孟子三たび齊王に見えて事を言わず、曰く、「我先ず其の邪心を攻めん」と。大臣の君に事うる、職當に此くの如くなるべし。古人甚だしきに至りては自ら言うに難き者有り、往往にして名の耆年宿德(きねんしゅくとく)なる者を旁(かたわら)にして、諸(これ)を左右に置き、人君をして畏憚する所有りて敢えて恣(ほしいまま)にせざらしむ、則ち其の慮を為すこと亦深遠なり。然りと雖も、臣の君に於けるや、入りては則ち懇懇として以て忠を盡し、出でては則ち謙謙として以て自ら悔ゆ。凡そ上に白す所の者、外に洩らして諸人に伐(ほこ)るべからず。善は則ち君に歸し、過ちは則ち巳に歸す。其れ是くの如き者は、嫌を遠ざけ禍を避けんと欲するに非ず、大臣の體(たい)の當に然るべき所なり。坤の六二、章を含みて貞にすべし、盖し亦此の意なり。甞て見る、近代の執政、建白する所有りて呶呶(どうどう)焉として惟だ人の知らざるを恐れ、卒に讒譖(ざんせん)の之に乘ずるに至り、中途にして棄てらる。易の大係に謂う所の「君密ならざれば則ち臣を失い、臣密ならざれば則ち身を失う」とは、諒(まこと)なるかな。
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