呻吟語 / 外篇・治道・天の君を立つるは民の為なり
天之生民非為君也,天之立君以為民也,奈何以我病百姓?夫為君之道無他,因天地自然之利而為民開尋撙節之,因人生固有之性而為民倡率裁制之,足其同欲,去其同惡,凡以安定之使無失所,而後立君之意終矣。豈其使一人肆於民上而剝天下以自奉哉?嗚呼!堯舜其知此也夫。
新字:天之生民非為君也,天之立君以為民也,奈何以我病百姓?夫為君之道無他,因天地自然之利而為民開尋撙節之,因人生固有之性而為民倡率裁制之,足其同欲,去其同悪,凡以安定之使無失所,而後立君之意終矣。豈其使一人肆於民上而剝天下以自奉哉?嗚呼!堯舜其知此也夫。
書き下し
天の民を生ずるは君の為に非ず、天の君を立つるは以て民の為なり。奈何ぞ我を以て百姓を病ましめんや。夫れ君為るの道は他無し。天地自然の利に因りて民の為に開き、尋ぎて之を撙節す。人生固有の性に因りて民の為に倡率し、之を裁制す。其の同じく欲する所を足し、其の同じく惡む所を去る。凡そ以て之を安定して所を失ふ無からしめて、而る後に君を立つるの意終はる。豈に其れ一人をして民の上に肆にして天下を剝ぎて以て自ら奉ぜしめんや。嗚呼、堯舜は其れ此れを知れるかな。
現代語訳
天が民を生んだのは君のためではなく、天が君を立てたのは民のためです。どうして自分のために民を苦しめられるでしょうか。君である道に他はありません。天地自然の利によって民のために開き、次いでこれを程よく抑えます。人が生まれつき持つ性によって民のために率い、これを裁ち制します。同じく欲するものを足し、同じく憎むものを除きます。それで安らかに定め居場所を失わせないようにして、初めて君を立てた意が全うされます。どうして一人が民の上で恣にして、天下を剥いで自分に供させるでしょうか。ああ、堯舜はこれを知っていたのでしょう。
解説
君主制の根拠を、最も明確に述べた一段です。民が君のためにいるのではなく、君が民のためにいる。順序が逆転されます。そして務めが四つ示されます。自然の利を開いて抑える、性によって率いて制する、同じ欲を足す、同じ憎を除く。どれも開くことと抑えることが対になっています。最後に、天下を剥いで自分に供させる姿が否定されます。
この章句が説くこと
立君民のため根拠開閉順序
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