呻吟語 / 外篇・治道・官を認めて自家の官と作す
自委質後,終日做底是朝廷官,執底是朝廷法,幹底是朝廷事。榮辱在君,愛憎在人,進退在我。吾輩而今錯處,把官認作自家官,所以萬事顧不得,只要保全這個在,扶持這個尊,此雖是第二等說話,然見得這個透,還算五分久。
新字:自委質後,終日做底是朝廷官,執底是朝廷法,幹底是朝廷事。栄辱在君,愛憎在人,進退在我。吾輩而今錯処,把官認作自家官,所以万事顧不得,只要保全這個在,扶持這個尊,此雖是第二等説話,然見得這個透,還算五分久。
書き下し
質を委ねて後より、終日做す底は是れ朝廷の官、執る底は是れ朝廷の法、幹す底は是れ朝廷の事なり。榮辱は君に在り、愛憎は人に在り、進退は我に在り。吾輩而今の錯る處は、官を把りて認めて自家の官と作す。所以に萬事顧み得ず、只だ這個を保全して在らんことを要し、這個の尊を扶持す。此れ是れ第二等の說話なりと雖も、然れども這個を見得て透らば、還ほ五分は算ふるに久し。
現代語訳
身を委ねてからは、一日中やっているのは朝廷の官であり、執っているのは朝廷の法であり、行っているのは朝廷の事です。栄辱は君にあり、愛憎は人にあり、進退は自分にあります。我らが今誤っているところは、官を自分の官と思い込むことです。だから万事を顧みられず、ただこれを保とうとし、この尊さを支えようとします。これは第二等の話ですが、これを見通せれば、まだ五分は数えられます。
解説
官職の帰属を整理します。官も法も事も朝廷のもの。自分に属するのは進退だけです。栄辱は君に、愛憎は人に、進退は自分に。この三分けが要点で、自分で決められる範囲が明確になります。そして誤りが名指されます。官を自分のものと思うから、保全だけが目的になる。第二等の話だと断りながらも、見通せれば半分は救われるとされています。
この章句が説くこと
帰属進退保全思い込み三分け
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