呻吟語 / 外篇・治道・萬物は不齊に生じて齊に死す
不齊,天之道也,數之自然也。故萬物生於不齊,而死於齊。而世之任情厭事者,乃欲一切齊之,是益以甚其不齊者也。夫不齊其不齊,則簡而易治;齊其不齊,則亂而多端。
新字:不斉,天之道也,数之自然也。故万物生於不斉,而死於斉。而世之任情厭事者,乃欲一切斉之,是益以甚其不斉者也。夫不斉其不斉,則簡而易治;斉其不斉,則乱而多端。
書き下し
齊しからざるは、天の道なり、數の自然なり。故に萬物は不齊に生じて、齊に死す。而るに世の情に任せ事を厭ふ者は、乃ち一切之を齊しくせんと欲す。是れ益ます以て其の齊しからざる者を甚だしくするなり。夫れ其の齊しからざるを齊しからずとせば、則ち簡にして治め易し。其の齊しからざるを齊しくせば、則ち亂れて端多し。
現代語訳
揃っていないのは天の道であり、数の自然です。だから万物は揃っていないことで生き、揃えられることで死にます。ところが世の情に任せ事を厭う者は、すべてを揃えようとします。これはかえって揃っていないものをひどくします。揃っていないものを揃っていないままにすれば、簡素で治めやすい。揃っていないものを揃えれば、乱れて端が多くなります。
解説
揃っていないことを、天の道だとします。万物は不揃いで生き、揃えられて死ぬ。強い言い方です。そして一律化を望む動機が見抜かれます。事を厭う者、つまり手間を惜しむ者です。結果は逆で、揃えようとすればかえって不揃いがひどくなり、端が増える。不揃いを認めるほうが簡素だという結論は、前に出てきた、煩わしさに耐えれば三王という段と響き合います。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
不斉天道一律手間端
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