呻吟語 / 外篇・品藻・小人之を壞り、眾人之に從ふ
聖人悲時憫俗,賢人痛世疾俗,眾人混世逐俗,小人敗常亂俗。嗚呼!小人壞之,眾人從之,雖憫雖疾,、競無益矣。故明王在上,則移風易俗。
新字:聖人悲時憫俗,賢人痛世疾俗,眾人混世逐俗,小人敗常乱俗。嗚呼!小人壊之,眾人従之,雖憫雖疾,、競無益矣。故明王在上,則移風易俗。
書き下し
聖人は時を悲しみ俗を憫れみ、賢人は世を痛み俗を疾み、眾人は世に混じり俗を逐ひ、小人は常を敗り俗を亂す。嗚呼、小人之を壞り、眾人之に從はば、憫れむと雖も疾むと雖も、競に益無きなり。故に明王上に在れば、則ち風を移し俗を易ふ。
現代語訳
聖人は時代を悲しみ風俗を憐れみ、賢人は世を痛み風俗を憎み、大勢の人は世に混じり風俗を追い、小人は常を破り風俗を乱します。ああ、小人が壊し大勢がそれに従うなら、憐れんでも憎んでも、結局は何の益もありません。だから明らかな王が上にあれば、風を移し俗を変えるのです。
解説
風俗への向き合い方を四段に分けます。悲しむ、憎む、追う、乱す。そして数の問題が指摘されます。壊すのは少数でも、従うのが多数なら止まらない。聖賢の憐れみも憎しみも効かないという結論は冷厳で、だから上に立つ者の力が要るという政治論に着地します。聖賢の憐れみも憎しみも効かないという結論は、冷厳です。だから上に立つ者の力が要るという政治論に着地します。
この章句が説くこと
風俗四段多数無力政治
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