呻吟語 / 外篇・聖賢・豈に袖手するに忍びんや
夫子豈真欲如此?只見吾道有起死回生之力,天下有垂死欲生之民,必得君而後術可施也。譬之他人孺子入井與已無干,既在井畔,又知救法,豈忍袖手?
新字:夫子豈真欲如此?只見吾道有起死回生之力,天下有垂死欲生之民,必得君而後術可施也。譬之他人孺子入井与已無干,既在井畔,又知救法,豈忍袖手?
書き下し
夫子豈に真に此の如くならんと欲せんや。只だ吾が道に起死回生の力有り、天下に垂死欲生の民有るを見る。必ず君を得て而る後に術施す可ければなり。之を譬ふれば他人の孺子井に入るは已と干無きも、既に井畔に在り、又た救法を知らば、豈に袖手するに忍びんや。
現代語訳
孔子が本当にそうしたかったでしょうか。ただ、自分の道に死にかけた者を生き返らせる力があり、天下に死にかけて生きたいと願う民がいると見えただけです。必ず君を得てはじめて術が施せるからです。たとえれば、他人の子が井戸に落ちるのは自分に関わりがありませんが、すでに井戸端にいて、しかも助ける方法を知っているなら、どうして手をこまぬいていられるでしょうか。
解説
孔子が節を曲げてまで仕官を求めた理由を、井戸の比喩で説明します。関わりの無い子でも、そばにいて助け方を知っていれば見過ごせない。能力を持っていることが、そのまま責任を生むという理屈です。前に出てきた、隣の喧嘩を止めに走るのは井戸に飛び込むのと同じだという段とは、立場が逆になっています。能力を持つことが、そのまま責任を生むという理屈です。
この章句が説くこと
責任能力井戸見過ごし仕官
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