呻吟語 / 内篇・應務・我の過ちは彼より大なり
僕隸下人昏愚者多,而理會人意,動必有合,又千萬人不一二也。後上者往往以我責之,不合則艴然怒,甚者繼以鞭答,則被愈惶惑而錯亂愈甚。是我之過大於彼也,彼不明而我當明也,彼無能事上而我無量容下也,彼無心之失而我有心之惡也。
新字:僕隸下人昏愚者多,而理会人意,動必有合,又千万人不一二也。後上者往往以我責之,不合則艴然怒,甚者継以鞭答,則被愈惶惑而錯乱愈甚。是我之過大於彼也,彼不明而我当明也,彼無能事上而我無量容下也,彼無心之失而我有心之悪也。
書き下し
僕隸下人は昏愚なる者多し。而して人意を理會し、動けば必ず合ふは、又た千萬人に一二ならず。後上なる者は往往にして我を以て之を責め、合はざれば則ち艴然として怒り、甚だしき者は繼ぐに鞭答を以てす。則ち彼愈いよ惶惑して錯亂愈いよ甚だし。是れ我の過ちは彼より大なり。彼は明らかならずして我は當に明らかなるべし。彼は上に事ふる能無くして我は下を容るる量無し。彼は無心の失にして我は有心の惡なり。
現代語訳
下働きの者には愚かで鈍い者が多いものです。こちらの意図を汲み、動けば必ず合うという者は、千人万人に一人二人もいません。上に立つ者はしばしば自分を基準に責め、合わなければ憤然と怒り、ひどい者は鞭を加えます。すると相手はいよいよ戸惑い、間違いはいよいよひどくなります。これでは自分の過ちのほうが相手より大きい。相手は分かっていないが、自分は分かっているはずです。相手は上に仕える能が無いが、自分は下を容れる度量が無い。相手は無心の失敗だが、自分は意図のある悪です。
解説
部下の失敗に怒る場面を、四つの対比で裁き直します。分かっているかどうか、能が無いか度量が無いか、無心の失敗か意図のある悪か。どの軸でも上に立つ者の非のほうが重い。しかも怒れば相手の間違いが増えるという実際の効果も指摘されます。人を使う立場の者に、最も痛い一段でしょう。人を使う立場の者に、最も痛い一段でしょう。怒れば相手の間違いが増えるという効果まで書かれています。
この章句が説くこと
上司部下怒り度量責任
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