呻吟語 / 内篇・應務・二人同行も此の道を離れ得ず
失人自然之情,則何所不失?不惟帝王為然,雖二人同行,亦離此道不得。
書き下し
人の自然の情を失へば、則ち何の失はざる所かあらん。惟だ帝王のみ然りと為すに不ず、二人同行すと雖も、亦た此の道を離れ得ず。
現代語訳
人の自然の情を失えば、失わないものなどあるでしょうか。帝王だけがそうなのではなく、二人が連れ立って歩く場合でも、この道から離れられません。
解説
前の段の裏返しです。人の自然の情を失えば、すべてを失う。そして規模の話に及び、帝王の統治から二人の道連れまで同じだと言います。人数が変わっても原理は変わらないという指摘で、大きな統治論と日常の人付き合いが同じ一本の線でつながります。二人同行という最小単位を挙げるのが効いています。二人同行という最小単位を挙げるのが、効いています。
この章句が説くこと
人情規模帝王二人普遍
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