呻吟語 / 内篇・應務・二人同行も此の道を離れ得ず
失人自然之情,則何所不失?不惟帝王為然,雖二人同行,亦離此道不得。
書き下し
人の自然の情を失へば、則ち何の失はざる所かあらん。惟だ帝王のみ然りと為すに不ず、二人同行すと雖も、亦た此の道を離れ得ず。
現代語訳
人の自然の情を失えば、失わないものなどあるでしょうか。帝王だけがそうなのではなく、二人が連れ立って歩く場合でも、この道から離れられません。
解説
前の段の裏返しです。人の自然の情を失えば、すべてを失う。そして規模の話に及び、帝王の統治から二人の道連れまで同じだと言います。人数が変わっても原理は変わらないという指摘で、大きな統治論と日常の人付き合いが同じ一本の線でつながります。二人同行という最小単位を挙げるのが効いています。二人同行という最小単位を挙げるのが、効いています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
人情規模帝王二人普遍
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言志四録・言志録 第百三十一条 此の道は只だ是れ一貫茫茫たる宇宙、此の道は只だ是れ一貫なり。人より之を視れば、中国有り、夷狄有り。天より之を視れば、中国無く、夷狄無し。中国に秉彝の性有り、夷狄にも亦秉彝の性有り。中国に惻隠羞悪辞譲是非の情有り、夷狄にも亦惻隠羞悪辞譲是非の情有り。中国に父子君臣夫婦長幼朋友の倫有り、夷狄にも亦父子君臣夫婦長幼朋友の倫有り。天寧ぞ厚薄愛憎を其の間に有らんや。此の道の只だ是れ一貫なる所以なり。但だ漢土の古聖人の此の道を発揮する者独り先んじ、又独り精し。故に其の言語文字は以て人心を興起するに足る。而して其の実は則ち道は人心に在りて、言語文字の能く尽す所に非ず。若し道独り漢土の文字に在りと謂はば、則ち試みに之を思へ。六合の内、同文の域凡そ幾か有る。而して猶ほ治乱有り。其の余の横文の俗も、亦能く其の性を性とし、足らざる所無く、其の倫を倫とし、具はらざる所無く、以て其の生を養ひ、以て其の死を送る。然らば則ち道は豈独り漢土の文字に在るのみならんや。天果して厚薄愛憎の殊有りと云はんや。
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒若通シテ云ハ。此天地有テ此国土アルシヤ。日月星辰天ノ条理トナル。山沢河海地ノ条理トナル。此国土有テ此人物アルシヤ。君臣尊卑国ノ条理トナル。父子夫婦昆弟家ノ条理トナル。国土ナラヌ天地無ク。人物止住セヌ国土ナシ。此人物有テ此道アルシヤ。人物有テ道ナキ国家アラス。其国ヨリ云ハ何ノ国カ上国ナラサルヘク。其道ヨリ云ハ何レノ道カ真正ナラサルヘキ。然レトモ道ニ大小邪正アリ。国ニ勝国劣国ノ別アリ。人ニ賢愚有テ。此国ノ教ハ彼国ニ通セス。彼人ヲ導ク教ハ此人ニ通セス。智人ヲ導ク教ハ愚者ニ施スヘカラス。愚者ヲ誘フ教ハ智人ニ通スヘカラス。男子ノ教ハ女人ニ用フヘカラス。女人ノ教ハ男子ニ用フヘカラス。貴人ノ道ト賤者ノ作法モ互ニ通スヘカラス。匈奴ヨリ漢国ノ礼儀ヲ非スル。漢国ヨリ夷狄ヲ賤ル。助テイハハ可ナリ。唯此十善ノミ万国ニ推通シ。古今ニ推通シ。智愚賢不肖貴賤男女ニ推通シテ。道トスヘキ道シヤ。
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒世間ノ中ニ。此真正法有テ常ニ世間ヲ利益スル。仰テ仰テ日月ヲ視カ如ク。目アル者ハ悉ク視ル。仏出世ニモアレ。仏不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ随逐スルシヤ。雷霆ノ声ヲ発スル如ク。耳アル者ハ悉ク聞ク。仏出世ニモアレ。仏不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ随逐スルシヤ。但業障深重ノ者カ世途ニ奔走シテ自ラ此道有コトヲ知ラス。世智弁聰ノ者カ非理ニ巣窟ヲ構ヘテ自ラ其中ニ入シヤ。一類ノ者カ云。戒法ハ唯是僧徒忍辱ノ行ナリ。此ヲ世間権門ニ用ユヘキナラス。若此戒法ヲ持テハ。慈愛ニ過テ。怯弱者ニナルト。此類悉ク謬タコトシヤ。
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『講孟余話』盡心下 第三十六章然るに一老先生の説の如く、道は天地の間一理にして、其の原は天より出づ、我と人との差なく、我が国と他の国との別なしと云ひて、皇国の君臣を漢土の君臣と同一に論ずるは、余が万々服せざる所なり。況んや孟子已に其の此の理あることを論ずること明々なるをや。大氐五大洲公共の道あり、各々一洲公共の道あり、皇国・漢土・諸属国(南鮮・安南・琉球・台湾の類)公共の道あり、六十六国公共の道あり、皆所謂同なり。其の独に至りては、一家の道、隣家に異なり、一村一郡の道、隣村隣郡に異なり、一国の道、隣国に異なる者あり。故に一家にては庭訓を守り、一村一郡にては村郡の古風を存し、一国に於ては国法を奉じ、皇国に居りては皇国の体を仰ぐ。然る後漢土聖人の道をも学ぶべし、天竺釈氏の教へをも問ふべし。訓と云ひ、風と云ひ、法と云ひ、体と云ふ、合はせて是れを云へば道なり。皇国の事は云ふ迄もなきことなり。水府の論の如く、漢土は実に日本と風気相近ければ、道も大いに同じ。但だ欧羅巴・米利堅・利未亜諸洲に於ては、土地隔遠にて風気通ぜざる故にや、人倫の大道さへも其の義を失ふことあり、況んや其の他の小道に於てをや。然れども彼に在りては亦自ら視て以て正道とす。彼の道を改めて我が道に従はせ難きは、猶吾の万々彼の道に従ふべからざるが如し。然るに強ひて天地間一理と云ふとも、実事に於て不通と云ふべし。独同の義を以て是れを推究すべし。六月仲三夜。第三十七章。
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『講孟余話』盡心下 第三十六章「膾炙は同じき所なり、羊棗は独りする所なり。名を諱みて姓を諱まず、姓は同じき所なり、名は独りする所なり」。羊棗と膾炙、姓と名、一は同じく、一は独りなり。同じきを食して独りを食せず、同じきを諱まずして独りを諱む、孟子の道を論ずる精密と云ふべし。請ふ其の詳を敷衍せん。道は天下公共の道にして所謂同なり。国体は一国の体にして所謂独なり。君臣・父子・夫婦・長幼・朋友、五者は天下の同なり。皇朝君臣の義万国に卓越する如きは、一国の独なり。匈奴の壮者は肥美を食ひ、老者は其の余を飲食し、壮健を貴び、老弱を賤しみ、父死すれば其の後母を妻とし、兄弟死すれば皆其の妻を取りて是れを妻とする如きは、亦其の一国の独なり。名を諱みて羊棗を食はざるの義を以て是れを推すに、国体の最も重きこと知るべし。然れども道は総名なり、故に大小精粗皆是れを道と云ふ。然れば国体も亦道なり。国俗と国体とは自ら別なり。大氐国に自然の俗あり、聖人起りて其の善を采り、其の悪を濯ひ、一箇の体格を成す時は、是れを国体と云ふ。匈奴の事の如きは、国俗の陋悪なるものなり。今皇国君臣の体に比して云ふは、頗る不倫に似たり。然れども是れ特に独同の別を顕すのみ。況んや体俗自ら別なりと云へども、其の原亦一致なるを以てなり。
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