呻吟語 / 内篇・問學・大庭の效驗無きは真の慎獨に非ず
無慎獨工夫,不是真學問;無大庭效驗,不是真慎獨。終日嘵嘵,只是口頭禪耳。
新字:無慎独工夫,不是真学問;無大庭効験,不是真慎独。終日嘵嘵,只是口頭禅耳。
書き下し
慎獨の工夫無きは、是れ真の學問に非ず。大庭の效驗無きは、是れ真の慎獨に非ず。終日嘵嘵たるは、只だ是れ口頭禪なるのみ。
現代語訳
独りを慎む工夫が無いのは、本当の学問ではありません。大勢の前で効き目が現れないのは、本当に独りを慎んでいるのではありません。一日中やかましく喋っているのは、ただの口先の禅です。
解説
慎独と人前の振る舞いを、原因と結果で結びます。独りの時に工夫が無ければ学問ではなく、人前に効き目が出なければ慎独でもない。つまり両方が揃って初めて本物です。前に出てきた、大勢の場は独りの時の証人だという段と同じ構図で、片方だけを主張する者を口先の禅と切り捨てています。片方だけを主張する者を、口先の禅と切り捨てています。
この章句が説くこと
慎独効験人前口先証明
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