呻吟語 / 内篇・修身・是非の公は自ら在り
稠眾中一言一動,大家環向而視之,口雖不言,而是非之公自在。果善也,大家同萌愛敬之念;果不善也,大家同萌厭惡之念,雖小言動,不可不謹。
新字:稠衆中一言一動,大家環向而視之,口雖不言,而是非之公自在。果善也,大家同萌愛敬之念;果不善也,大家同萌厭悪之念,雖小言動,不可不謹。
書き下し
稠眾の中の一言一動、大家環り向かひて之を視る。口に言はずと雖も、而れども是非の公は自ら在り。果たして善ならば、大家同じく愛敬の念を萌す。果たして不善ならば、大家同じく厭惡の念を萌す。小さき言動と雖も、謹まざる可からず。
現代語訳
大勢の中での一言一動は、皆が周りを囲んで見ています。口に出さなくても、是非の公けの判断はおのずと定まっています。本当に善ければ、皆が同じように愛し敬う思いを起こします。本当に善くなければ、皆が同じように嫌う思いを起こします。小さな言動であっても、慎まないわけにいきません。
解説
公けの判断が、言葉にならないまま成立していることを示します。誰も口に出さないので当人には見えませんが、皆の中で同じ反応が起きている。前に出てきた、人はみな心の中に歴史書を持つという段と同じ見方です。沈黙は承認ではないという指摘として、今も通用する一段でしょう。沈黙は承認ではない、という指摘として今も通用します。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
公論沈黙評価言動慎み
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