呻吟語 / 内篇・修身・閨門の事傳ふ可し
閨門之事可傳,而後知君子之家法矣;近習之人起敬,而後知君子之身法矣。其作用處只是無不敬。
新字:閨門之事可伝,而後知君子之家法矣;近習之人起敬,而後知君子之身法矣。其作用処只是無不敬。
書き下し
閨門の事傳ふ可くして、而る後に君子の家法を知る。近習の人敬を起こして、而る後に君子の身法を知る。其の作用の處は只だ是れ敬せざる無きのみ。
現代語訳
奥の間の出来事が人に伝わってよいものであってこそ、君子の家の法が分かります。身近に仕える者が敬いを起こしてこそ、君子の身の法が分かります。そのはたらきの根は、ただ敬わないことが無いという一点です。
解説
家の法と身の法を測る場所を、最も近い所に置きます。奥の間の出来事と、身近に仕える者の反応。どちらも外からは見えず、取り繕いも効きません。近い人ほど正確に見ているという、身も蓋もない基準です。そしてその根は毋不敬の一点に帰されます。遠くの評判ではなく、家の中と手元の人で測る一段です。遠くの評判ではなく、家の中と手元の人で測る一段です。
この章句が説くこと
家法身法近習敬内側
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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