呻吟語 / 内篇・修身・天道を論じて禍福を言はず
禍福是氣運,善惡是人事。理常相應,類亦相求。若執福善禍淫之說,而使之不爽,則為善之心衰矣。大叚氣運只是偶然,故善獲福、淫獲禍者半,善獲禍、淫獲福者亦半,不善不淫而獲禍獲福者亦半,人事只是個當然。善者獲福,吾非為福而修善;淫者獲禍,吾非為禍而改淫。善獲禍而淫獲福,吾 寧善而處禍,不肯淫而要福。是故君子論天道不言禍福,論人事不言利害。自吾性分當為之外,皆不庸心,其言禍福利害,為世教發也。
新字:禍福是気運,善悪是人事。理常相応,類亦相求。若執福善禍淫之説,而使之不爽,則為善之心衰矣。大叚気運只是偶然,故善獲福、淫獲禍者半,善獲禍、淫獲福者亦半,不善不淫而獲禍獲福者亦半,人事只是個当然。善者獲福,吾非為福而修善;淫者獲禍,吾非為禍而改淫。善獲禍而淫獲福,吾 寧善而処禍,不肯淫而要福。是故君子論天道不言禍福,論人事不言利害。自吾性分当為之外,皆不庸心,其言禍福利害,為世教発也。
書き下し
禍福は是れ氣運、善惡は是れ人事なり。理は常に相應じ、類も亦た相求む。若し福善禍淫の說を執りて之をして爽たがはざらしめば、則ち善を為すの心衰へん。大叚氣運は只だ是れ偶然なり。故に善は福を獲、淫は禍を獲る者半ばなり。善は禍を獲、淫は福を獲る者も亦た半ばなり。人事は只だ是れ個の當然なり。善なる者福を獲るも、吾は福の為に善を修むるに非ず。淫なる者禍を獲るも、吾は禍の為に淫を改むるに非ず。善にして禍を獲、淫にして福を獲るも、吾は寧ろ善にして禍に處り、淫にして福を要むるを肯んぜず。是の故に君子は天道を論じて禍福を言はず、人事を論じて利害を言はず。
現代語訳
禍福はめぐりあわせであり、善悪は人のなす事です。理は常に呼応し、同類は互いに求め合います。しかし善には福、悪には禍という説を固く守って例外を許さないなら、善をなす心は衰えるでしょう。おおよそめぐりあわせは偶然です。だから善が福を得て悪が禍を得る場合が半分、善が禍を得て悪が福を得る場合も半分あります。人のなす事はただ当然であるだけです。善人が福を得るとしても、私は福のために善を修めるのではありません。悪人が禍を得るとしても、私は禍のために悪を改めるのではありません。善をなして禍に遭い、悪をなして福を得るとしても、私はむしろ善をなして禍の中にいることを選び、悪をなして福を求めることはしません。だから君子は天道を論じて禍福を言わず、人事を論じて利害を言いません。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』非命下是の故に子墨子曰く、今、天下の君子の文章を為り言談を出だすは、将に其の頰舌を勤勞し、其の唇呡を利せんとするに非ざるなり。中に實に将に其の國家邑里萬民の刑政を為さんと欲する者なり。今や王公大人の早く朝し晏く退き、獄を聴き政を治め、終朝、均しく分かちて敢えて怠倦せざる所以の者は、何ぞや。曰く、彼れ以為えらく强ければ必ず治まり、强からざれば必ず亂れ、强ければ必ず寕く、强からざれば必ず危うしと。故に敢えて怠倦せず。
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『墨子』非命上是の故に古の聖王、憲を發し令を出だし、設けて以て賞罰と為して以て賢を勸む。是を以て入りては則ち親戚に孝慈、出でては則ち鄉里に弟長、坐處に度有り、出入に節有り、男女に辯有り。是の故に官府を治めしむれば則ち盜竊せず、城を守れば則ち崩叛せず、君に難有れば則ち死し、出亡すれば則ち送る。此れ上の賞する所にして、百姓の譽むる所なり。有命を執る者の言に曰く、「上の賞する所は、命、固より且に賞せんとす、賢なるが故に賞するに非ざるなり。上の罰する所は、命、固より且に罰せんとす、暴なるが故に罰するに非ざるなり」と。
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『墨子』法儀昔の聖王、禹・湯・文・武は、兼ねて天下の百姓を愛し、率いて以て天を尊び鬼に事う。其の人を利すること多し、故に天、之を福し、立てて天子と為さしめ、天下の諸侯、皆な賓として之に事う。暴王、桀・紂・幽・厲は、兼ねて天下の百姓を惡み、率いて以て天を詬り鬼を侮る。其の人を賊うこと多し、故に天、之を禍し、遂に其の國家を失わしめ、身死して天下に僇と為り、後世の子孫、之を毁り、今に至るまで息まず。故に不善を為して以て禍を得る者は、桀・紂・幽・厲是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は、禹・湯・文・武是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は有り、人を惡み人を賊うて以て禍を得る者も亦た有り。
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荀子・大略篇凡そ物は乗じて来たる有り。其の出づるに乗ずる者は、是れ其の反(かへ)りなり。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、抑、因果とて、よきあしき時のあるも、公案を尽して見るに、ただめづらしき、めづらしからぬの二つなり。おなじ上手にておなじ能を、昨日今日見れども、おもしろやと見えつる事の、今またおもしろくもなき時のあるは、昨日おもしろかりつる心ならひに、今日はめづらしからぬによりて、わるしと見るなり。その後またよき時のあるは、先にわるかりつるものをと思ふ心、まためづらしきに還りて、おもしろくなるなり。されば、この道をきはめをはりて見れば、花とて別にはなきものなり。奥義をきはめて、よろづにめづらしき理をわれと知るならでは、花はあるべからず。経にいはく、善悪不二、邪正一如とあり。本来より、よきあしきとは何をもて定むべきや。ただ時によりて用足る物をばよき物とし、用足らぬをあしき物とす。この風体の品々も、当世の衆人諸所にわたりて、その時のあまねき好みによりて取出す風体、これ用足る為の花なるべし。ここにこの風体をもてあそめば、かしこにまた余の風体を賞翫す。これ、人々心々の花なり。いづれをまこととせんや。ただ時に用ゆるをもて花と知るべし。
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説苑・權謀孔子齊景公と坐す。左右白して曰く、「周使來りて廟燔くと言ふ」と。齊景公出でて問ひて曰く、「何の廟ぞや」と。孔子曰く、「是れ釐王の廟なり」と。景公曰く、「何を以て之を知る」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『皇皇たる上帝、其の命忒はず』と。天の人に與するや、必ず徳有るに報ゆ。禍も亦た之の如し。夫れ釐王は文武の制を變じて玄黃の宮室を作り、輿馬奢侈にして振ふべからず。故に天其の廟に殃す。是を以て之を知る」と。景公曰く、「天何ぞ其の身に殃せずして其の廟に殃するや」と。子曰く、「天は文王の故を以てなり。若し其の身に殃せば、文王の祀、無乃ち絶えんか。故に其の廟に殃して以て其の過を章かにす」と。左右入りて報じて曰く、「周の釐王の廟なり」と。景公大いに驚き、起ちて拜して曰く、「善き哉、聖人の智、豈に大ならざらんや」と。