呻吟語 / 内篇・修身・進道入德は恒有るより要なるは莫し
進道入德莫要於有恒。有恒則不必欲速,不必助長,優優漸漸自到神聖地位。故天道只是個恒,每日定準是三百六十五度四分度之一,分毫不損不加,流行不緩不急,而萬古常存,萬物得所。只無恒了,萬事都成不得。余最坐此病。古人云:「有勤心,無遠道。」只有人勝道,無道勝人之理。
新字:進道入徳莫要於有恒。有恒則不必欲速,不必助長,優優漸漸自到神聖地位。故天道只是個恒,毎日定準是三百六十五度四分度之一,分毫不損不加,流行不緩不急,而万古常存,万物得所。只無恒了,万事都成不得。余最坐此病。古人云:「有勤心,無遠道。」只有人勝道,無道勝人之理。
書き下し
道に進み德に入るは恒有るより要なるは莫し。恒有れば則ち速やかならんことを欲せず、助長するを必せず、優優漸漸として自ら神聖の地位に到る。故に天道は只だ是れ個の恒なり。每日定準は是れ三百六十五度四分度の一、分毫も損せず加へず、流行緩からず急ならず、而して萬古常存し、萬物所を得。只だ恒無くんば、萬事都て成し得ず。余最も此の病に坐す。古人云ふ、「勤心有れば、遠道無し」と。
現代語訳
道に進み徳に入るのに、常であることより大切なものはありません。常であれば速さを求めず、無理に伸ばそうともせず、ゆるやかに少しずつ、自然に神聖の位に至ります。だから天の道はただ常です。毎日の定まりは三百六十五度と四分の一度、毛ほども減らさず加えず、運行は遅くも速くもなく、それで万古にわたって存し、万物が居場所を得ます。ただ常が無ければ、万事どれも成りません。私は最もこの病を患っています。昔の人は言いました。勤める心があれば、遠い道は無い、と。
解説

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