呻吟語 / 内篇・修身・謗を處するに別法無し
古之謗人也,忠厚誠篤。《株林》之語,何等渾涵!輿人之謠,猶道實事。後世則不然,所怨在此,所謗在彼。彼固知其所怨者未必上之非而其謗不足以行也,乃別生一項議論。其才辯附會足以泯吾怨之之實,啟人信之之心,能使被謗者不能免謗之之禍,而我逃謗人之罪。嗚呼!今之謗,雖古之君子且避忌之矣。聖賢處謗無別法,只是自修,其禍福則聽之耳。
新字:古之謗人也,忠厚誠篤。《株林》之語,何等渾涵!輿人之謡,猶道実事。後世則不然,所怨在此,所謗在彼。彼固知其所怨者未必上之非而其謗不足以行也,乃別生一項議論。其才弁附会足以泯吾怨之之実,啟人信之之心,能使被謗者不能免謗之之禍,而我逃謗人之罪。嗚呼!今之謗,雖古之君子且避忌之矣。聖賢処謗無別法,只是自修,其禍福則聴之耳。
書き下し
古の人を謗るや、忠厚誠篤なり。《株林》の語、何等にか渾涵たる。輿人の謠、猶ほ實事を道ふ。後世は則ち然らず。怨む所は此に在り、謗る所は彼に在り。彼は固より其の怨む所の者未だ必ずしも上の非ならずして其の謗の以て行ふに足らざるを知る。乃ち別に一項の議論を生ず。其の才辯附會は以て吾が之を怨むの實を泯ぼし、人の之を信ずるの心を啟くに足る。嗚呼、今の謗は、古の君子と雖も且つ之を避忌せん。聖賢の謗に處するに別法無し、只だ是れ自ら修むるのみ。其の禍福は則ち之を聽くのみ。
現代語訳
昔の人が誹るときは、真心があり篤実でした。株林の詩の言葉は、なんと含みを持っていることでしょう。人々の歌も、事実を語っていました。後の世はそうではありません。怨んでいるのはこちらの事なのに、誹るのはあちらの事です。彼らは、自分が怨んでいる事柄が必ずしも上の人の非ではなく、それでは誹りが通らないと知っています。そこで別の議論を持ち出します。その弁才とこじつけは、自分が怨んでいる本当の理由を消し去り、人に信じさせる心を開かせるのに十分です。ああ、今の誹りは、昔の君子でも避けようとするでしょう。聖賢が誹りに対処するのに特別な方法はなく、ただ自分を修めるだけです。禍福については、成り行きに任せるのです。
解説
この章句が説くこと
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