呻吟語 / 内篇・修身・本分の二字
「本分」二字,妙不容言。君子持身不可不知本分,知本分則千態萬狀一毫加損不得。聖王為治,當使民得其本分,得本分則榮辱死生一毫怨望不得。子弒父,臣弒君,皆由不知本分始。
新字:「本分」二字,妙不容言。君子持身不可不知本分,知本分則千態万状一毫加損不得。聖王為治,当使民得其本分,得本分則栄辱死生一毫怨望不得。子弒父,臣弒君,皆由不知本分始。
書き下し
「本分」の二字は、妙にして言ふを容れず。君子身を持するに本分を知らざる可からず。本分を知らば則ち千態萬狀一毫も加損し得ず。聖王の治を為すには、當に民をして其の本分を得しむべし。本分を得ば則ち榮辱死生一毫も怨望し得ず。子の父を弒し、臣の君を弒するは、皆な本分を知らざるに由りて始まる。
現代語訳
本分という二文字は、言葉で言い尽くせないほど妙なものです。君子が身を保つには本分を知らねばなりません。本分を知れば、どんな姿かたちであっても毛ほども足し引きできません。聖王が政をなすには、民にその本分を得させねばなりません。本分を得れば、栄辱も死生も毛ほども怨む余地がありません。子が父を殺し、臣が君を殺すのは、みな本分を知らないところから始まります。
解説
本分を知ることの効き目を、二つの方向から示します。自分については足し引きが利かなくなり、民については怨みが消える。どちらも、あるべき量がはっきりすれば揺れなくなるという理屈です。最後に弑逆まで本分の無知に帰する飛躍がありますが、分を越えて望むところから乱が始まるという見方は一貫しています。押さえつけの論理に転びかねない危うさも含んだ、時代の色が濃い一段です。
この章句が説くこと
本分分怨み秩序身の程
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