呻吟語 / 内篇・修身・外景を借りて襟懷と為さず
清人不借外景為襟懷,高士不以塵識染情性。
新字:清人不借外景為襟懐,高士不以塵識染情性。
書き下し
清人は外景を借りて襟懷と為さず、高士は塵識を以て情性を染めず。
現代語訳
清らかな人は、外の景色を借りて自分の胸の内とはしません。高い士は、世間の知識で自分の情や性を染めません。
解説
環境や評判を借りて自分の内側を作ることを退ける一段です。良い景色の中にいれば心が澄むように感じ、立派な話を覚えれば人格が上がったように感じる。それは借り物だと言うのです。前に出てきた、我は只だ我なりという言葉と同じ構えで、外側から取ってきたもので自分を組み立てない。地味ですが、自立の定義として厳しい一句です。
この章句が説くこと
自立環境借り物清情性
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