呻吟語 / 内篇・談道・忘れ得るを學ぶ
士之於道也,始也求得,既也得得,既也養得,既也忘得。不養得則得也不固,不忘得則得也未融。學而至於忘得,是謂無得。得者,自外之名,既失之名,還我故物,如未嘗失,何得之有?心放失,故言得心,從古未言得耳目口鼻四肢者,無失故也。
新字:士之於道也,始也求得,既也得得,既也養得,既也忘得。不養得則得也不固,不忘得則得也未融。学而至於忘得,是謂無得。得者,自外之名,既失之名,還我故物,如未嘗失,何得之有?心放失,故言得心,従古未言得耳目口鼻四肢者,無失故也。
書き下し
士の道に於けるや、始めは得るを求め、既にして得るを得、既にして養ひ得、既にして忘れ得。養ひ得ずんば則ち得るも固からず、忘れ得ずんば則ち得るも未だ融せず。學びて忘れ得るに至る、是れを得る無しと謂ふ。得とは、外よりするの名、既に失ふの名なり。我が故物に還ること、未だ嘗て失はざるが如くんば、何の得ることか之れ有らん。心放失す、故に心を得と言ふ。古より耳目口鼻四肢を得と言はざるは、失ふこと無きが故なり。
現代語訳
士が道に向かうとき、初めは得ようと求め、やがて得て、やがて養い、やがて忘れます。養えなければ得たものは固まらず、忘れられなければ得たものはまだ溶け合っていません。学んで忘れる段まで来ることを、得る物が無いと言います。得るとは外から来た物につける名であり、すでに失っていた物につける名です。もとから自分の物に戻っただけで、失ったことが無かったのと同じなら、何を得たと言えるでしょうか。心は放り出してしまうから心を得ると言いますが、昔から耳や目や口や鼻や手足を得るとは言いません。失うことが無いからです。
解説
学びの道筋を、求める、得る、養う、忘れるの四段で描きます。最上は忘れる段で、身についたものは意識に上らないからです。後半の理屈が見事で、手足を得たとは誰も言わない、失ったことが無いからだ、と。つまり得たという実感があるうちは、まだ自分の物になっていない。学びの完成を、覚えていることではなく忘れていることに置いた一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
学び習熟忘れる身体修養
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