呻吟語 / 内篇・談道・滿腔子は是れ惻隱の心
滿腔子是惻隱之心,滿六合是運惻隱之心處。君子於六合飛潛動植、纖細毫末之物,見其得所,則油然而喜,與自家得所一般;見其失所,則閔然而戚,與自家失所一般。位育念頭,如何一刻放得下?
新字:満腔子是惻隠之心,満六合是運惻隠之心処。君子於六合飛潜動植、繊細毫末之物,見其得所,則油然而喜,与自家得所一般;見其失所,則閔然而戚,与自家失所一般。位育念頭,如何一刻放得下?
書き下し
滿腔子は是れ惻隱の心、滿六合は是れ惻隱の心を運らす處なり。君子は六合の飛潛動植、纖細毫末の物に於いて、其の所を得るを見れば、則ち油然として喜び、自家の所を得るのと一般なり。其の所を失ふを見れば、則ち閔然として戚み、自家の所を失ふのと一般なり。位育の念頭、如何ぞ一刻も放ち得下さんや。
現代語訳
胸いっぱいが惻隠の心であり、天地四方いっぱいが惻隠の心を働かせる場所です。君子は天地の飛ぶもの潜るもの、動くもの植わるもの、細かな毛先ほどの物についても、それが居場所を得ているのを見れば、しみじみと喜び、自分が居場所を得たのと同じように感じます。居場所を失っているのを見れば、痛ましく悲しみ、自分が居場所を失ったのと同じように感じます。天地を位につけ万物を育てるという思いを、どうして一刻でも手放せましょうか。
解説
惻隠の心の範囲が、胸の内から天地四方へ広げられます。相手は人に限られず、飛ぶもの潜るもの、毛先ほどの物まで含まれる。そして感じ方が示されます。それらが居場所を得ていれば自分が得たように喜び、失っていれば自分が失ったように悲しむ。中庸の位育の語で締められ、この感覚が一刻も手放せないものとされています。
この章句が説くこと
惻隠六合万物得所位育
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