呻吟語 / 内篇・談道・理に障無し、畢竟是れ識障なり
禪家有理障之說。愚謂理無障,畢竟是識障。無意識,心何障之有?
新字:禅家有理障之説。愚謂理無障,畢竟是識障。無意識,心何障之有?
書き下し
禪家に理障の說有り。愚謂へらく、理に障無し、畢竟是れ識障なり。意識無くんば、心何の障か之れ有らん。
現代語訳
禅家に理障という説があります。私は思います。理に障りはなく、結局は識の障りです。意識がなければ、心に何の障りがありましょうか。
解説
禅の理障の説に反論する短い一段です。理そのものが障りになるのではなく、障りになっているのは識のほうだ、と。理を悪者にしない立場で、儒者としての筋が通っています。そして最後の一句で根が示される。意識がなければ心に障りはない。理解の仕方が障りを作るのであって、理解する対象に罪はないという整理になっています。
この章句が説くこと
理障識障禅意識反論
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