呻吟語 / 内篇・談道・黑は、萬事の府なり、斂藏の道なり
五色勝則相掩,然必厚益之,猶不能渾然無跡,惟黑一染不可辨矣。故黑者,萬事之府也,斂藏之道也。帝王之道黑,故能容保無疆;聖人之心黑,故能容會萬理。蓋含英采、韜精明、養元氣、蓄天機,皆黑之道也,故曰「惟玄催默」。玄,黑色也;默,黑象也。《書》稱舜曰「玄德升聞」,《老子》曰「知其白,守其黑」,得黑之精者也。故外著而不可掩,皆道之淺者也。雖然,儒道內黑而外白,黑為體,白為用;老氏內白而外黑,白安身,黑善世。
新字:五色勝則相掩,然必厚益之,猶不能渾然無跡,惟黒一染不可弁矣。故黒者,万事之府也,斂蔵之道也。帝王之道黒,故能容保無疆;聖人之心黒,故能容会万理。蓋含英采、韜精明、養元気、蓄天機,皆黒之道也,故曰「惟玄催黙」。玄,黒色也;黙,黒象也。《書》称舜曰「玄徳升聞」,《老子》曰「知其白,守其黒」,得黒之精者也。故外著而不可掩,皆道之浅者也。雖然,儒道内黒而外白,黒為体,白為用;老氏内白而外黒,白安身,黒善世。
書き下し
五色勝てば則ち相掩ふ。然れども必ず厚く之を益すも、猶ほ渾然として跡無き能はず。惟だ黑のみ一たび染むれば辨ず可からず。故に黑は、萬事の府なり、斂藏の道なり。帝王の道は黑なり、故に能く容れ保ちて疆り無し。聖人の心は黑なり、故に能く萬理を容れ會す。蓋し英采を含み、精明を韜み、元氣を養ひ、天機を蓄ふるは、皆黑の道なり。故に曰く「惟だ玄のみ默を催す」と。玄は、黑色なり。默は、黑象なり。『書』に舜を稱して「玄德升り聞こゆ」と曰ひ、『老子』に「其の白を知りて、其の黑を守る」と曰ふは、黑の精を得たる者なり。故に外に著れて掩ふ可からざるは、皆道の淺き者なり。然りと雖も、儒道は内黑くして外白し、黑を體と為し、白を用と為す。老氏は内白くして外黑し、白は身を安んじ、黑は世を善くす。
現代語訳
五つの色は強いほうが弱いほうを覆います。しかし厚く塗り重ねても、なお跡形なく混じり合うことはできません。ただ黒だけは、ひとたび染めれば見分けられなくなります。ですから黒は万事の蔵であり、収め蔵する道です。帝王の道は黒です。だからすべてを容れ保って限りがありません。聖人の心は黒です。だからあらゆる理を容れ会わせられます。思うに、輝きを含み、聡明さを包み、元気を養い、天の働きを蓄えるのは、みな黒の道です。ですから、ただ玄のみが黙を促す、と言います。玄は黒い色、黙は黒のかたちです。書経は舜を称えて、玄なる徳が昇って聞こえた、と言い、老子は、その白きを知ってその黒きを守る、と言いました。黒の精を得た者です。ですから外に現れて覆えないものは、みな道の浅いところです。とはいえ、儒の道は内が黒く外が白い。黒を本体とし、白を働きとします。老子は内が白く外が黒い。白は身を安んじ、黒は世をよくします。
解説
この章句が説くこと
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