呻吟語 / 内篇・存心・這れ是れ一副の甚の心腸ぞ
為惡惟恐人知,為善惟恐人不知,這是一副甚心腸?安得長進?
新字:為悪惟恐人知,為善惟恐人不知,這是一副甚心腸?安得長進?
書き下し
惡を為して惟だ人の知るを恐れ、善を為して惟だ人の知らざるを恐る。這れ是れ一副の甚の心腸ぞ。安んぞ長進を得んや。
現代語訳
悪を行っては人に知られることばかり恐れ、善を行っては人に知られないことばかり恐れる。これはいったいどういう心の作りでしょうか。どうして進歩が得られるでしょうか。
解説
悪と善に対する反応が、どちらも人の目を基準にしていることが突かれます。悪は知られるのが怖く、善は知られないのが怖い。方向は逆でも、気にしているのは同じ人の目です。だから心の中身は変わっていない、と。進歩が得られるはずがないという結論も納得できます。善行を増やしても、動機が同じなら前に進まないという診断です。
この章句が説くこと
人目善悪動機同根進歩
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