呻吟語 / 内篇・存心・寧ろ備へて用ひざるも、用ひて備へ無かる可からず
一友人沉雅從容,若溫而不理者。隨身急用之物,座客失備者三人,此友取之袖中,皆足以應之。或難以數物,呼左右取之攜中,黎然在也。余歎服曰:「君不窮於用哉!」曰:「我無以用為也。此第二著,偶備其萬一耳。備之心,慎之心也,慎在備先。凡所以需吾備者,吾已先圖,無賴於備。故自有備以來,吾無萬一,故備常餘而不用。」或曰:「是無用備矣。」曰:「無萬一而猶備,此吾之所以為慎也。若恃備而不慎,則備也者,長吾之怠者也,久之,必窮於所備之外;恃慎而不備,是慎也者,限吾之用者也,久之,必窮於所慎之外。故寧備而不用,不可用而無備。」余歎服曰:「此存心之至者也。《易》曰:『藉之用茅,又何咎焉?』其斯之謂與?」吾識之,以為疏忽者之戒。
新字:一友人沈雅従容,若温而不理者。随身急用之物,座客失備者三人,此友取之袖中,皆足以応之。或難以数物,呼左右取之攜中,黎然在也。余嘆服曰:「君不窮於用哉!」曰:「我無以用為也。此第二著,偶備其万一耳。備之心,慎之心也,慎在備先。凡所以需吾備者,吾已先図,無頼於備。故自有備以来,吾無万一,故備常余而不用。」或曰:「是無用備矣。」曰:「無万一而猶備,此吾之所以為慎也。若恃備而不慎,則備也者,長吾之怠者也,久之,必窮於所備之外;恃慎而不備,是慎也者,限吾之用者也,久之,必窮於所慎之外。故寧備而不用,不可用而無備。」余嘆服曰:「此存心之至者也。《易》曰:『藉之用茅,又何咎焉?』其斯之謂与?」吾識之,以為疏忽者之戒。
書き下し
一友人沉雅從容として、溫なるも理めざるがごとき者あり。身に隨ふ急用の物、座客の備へを失する者三人あり。此の友之を袖中より取り、皆以て之に應ずるに足る。或ひと數物を以て難ずれば、左右を呼びて之を攜中より取らしむるに、黎然として在り。余歎服して曰く、「君は用に窮せざるかな」と。曰く、「我は用を以て為すこと無きなり。此れは第二著、偶〻其の萬一に備ふるのみ。備ふるの心は、慎むの心なり。慎は備に先だつ。凡そ吾が備へを需むる所以の者は、吾已に先に圖る、備へに賴ること無し。故に備へ有りしより以來、吾に萬一無し、故に備へは常に餘りて用ひず」と。或ひと曰く、「是れ備へを用ふる無きなり」と。曰く、「萬一無きも猶ほ備ふ、此れ吾が慎と為す所以なり。若し備へを恃みて慎まずんば、則ち備へなる者は、吾が怠りを長ずる者なり、久しくして必ず備ふる所の外に窮せん。慎を恃みて備へずんば、是れ慎なる者は、吾が用を限る者なり、久しくして必ず慎む所の外に窮せん。故に寧ろ備へて用ひざるも、用ひて備へ無かる可からず」と。余歎服して曰く、「此れ存心の至れる者なり。『易』に曰く、『之を藉くに茅を用ふ、又何の咎かあらん』と。其れ斯れを之れ謂ふか」と。吾之を識し、以て疏忽なる者の戒と為す。
現代語訳
ある友人は落ち着いて穏やかで、温和だが取り仕切らないように見える人でした。その場ですぐ要る物を、同席の三人が忘れていました。この友人は袖の中から取り出し、どれも間に合わせられます。ある人がいくつも難題を出すと、供を呼んで携帯の中から取らせたところ、はっきりそこにありました。私が感服して、君は使うのに困ることがないね、と言うと、こう答えました。私は使うためにしているのではありません。これは二の手で、たまたま万一に備えているだけです。備える心とは、慎む心です。慎みは備えに先立ちます。備えが要るような事柄は、私はすでに先に手を打っているので、備えに頼ることはありません。ですから備えを持つようになってから、私に万一はありません。だから備えは常に余って使われません。ある人が、それでは備える意味が無いではないか、と言いました。答えます。万一が無くてもなお備える。これが私の慎みです。もし備えを当てにして慎まなければ、備えは自分の怠けを育てるものになり、いずれ備えの外で行き詰まります。慎みを当てにして備えなければ、慎みは自分の用途を狭めるものになり、いずれ慎みの外で行き詰まります。ですから備えて使わないほうがよく、使うのに備えが無いのはいけません。私は感服して言いました。これこそ心を保つことの極みです。易に、これを敷くのに茅を用いる、何の咎がありましょう、とあります。まさにこのことでしょう。私はこれを書きとめて、おろそかな者への戒めとします。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・存心・用心は有無の間に在り物には慢藏を以て失ふ有り、亦た謹藏を以て失ふ者有り。禮には疏忽を以て誤る有り、亦た敬畏を以て誤る者有り。故に用心は有無の間に在り。
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