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史記 / 衛将軍驃騎列伝

乃悉遠北其輜重,皆以精兵待幕北。而適值大將軍軍出塞千餘里,見單于兵陳而待,於是大將軍令武剛車自環為營,而縱五千騎往當匈奴。匈奴亦縱可萬騎。會日且入,大風起,沙礫擊面,兩軍不相見,漢益縱左右翼繞單于。單于視漢兵多,而士馬尚彊,戰而匈奴不利,薄莫,單于遂乘六驘,壯騎可數百,直冒漢圍西北馳去。時已昏,漢匈奴相紛挐,殺傷大當。漢軍左校捕虜言單于未昏而去,漢軍因發輕騎夜追之,大將軍軍因隨其後。匈奴兵亦散走。遲明,行二百餘里,不得單于,頗捕斬首虜萬餘級,遂至窴顏山趙信城,得匈奴積粟食軍。軍留一日而還,悉燒其城餘粟以歸。大將軍之與單于會也,而前將軍廣、右將軍食其軍別從東道,或失道,後擊單于。大將軍引還過幕南,乃得前將軍、右將軍。大將軍欲使使歸報,令長史簿責前將軍廣,廣自殺。右將軍至,下吏,贖為庶人。大將軍軍入塞,凡斬捕首虜萬九千級。是時匈奴眾失單于十餘日,右谷蠡王聞之,自立為單于。單于後得其眾,右王乃去單于之號。驃騎將軍亦將五萬騎,車重與大將軍軍等,而無裨將。

新字:乃悉遠北其輜重,皆以精兵待幕北。而適値大将軍軍出塞千余里,見単于兵陳而待,於是大将軍令武剛車自環為営,而縦五千騎往当匈奴。匈奴亦縦可万騎。会日且入,大風起,沙礫撃面,両軍不相見,漢益縦左右翼繞単于。単于視漢兵多,而士馬尚彊,戦而匈奴不利,薄莫,単于遂乗六驘,壮騎可数百,直冒漢囲西北馳去。時已昏,漢匈奴相紛挐,殺傷大当。漢軍左校捕虜言単于未昏而去,漢軍因発軽騎夜追之,大将軍軍因随其後。匈奴兵亦散走。遅明,行二百余里,不得単于,頗捕斬首虜万余級,遂至窴顔山趙信城,得匈奴積粟食軍。軍留一日而還,悉焼其城余粟以帰。大将軍之与単于会也,而前将軍広、右将軍食其軍別従東道,或失道,後撃単于。大将軍引還過幕南,乃得前将軍、右将軍。大将軍欲使使帰報,令長史簿責前将軍広,広自殺。右将軍至,下吏,贖為庶人。大将軍軍入塞,凡斬捕首虜万九千級。是時匈奴衆失単于十余日,右谷蠡王聞之,自立為単于。単于後得其衆,右王乃去単于之号。驃騎将軍亦将五万騎,車重与大将軍軍等,而無裨将。

書き下し

乃ち悉く其の輜重を遠く北にし、皆精兵を以て幕北に待つ。而して適々大将軍の軍塞を出づること千余里にして、単于の兵陳して待つを見るに値ふ。是に於て大将軍武剛車をして自ら環りて営と為さしめ、而して五千騎を縦ちて往きて匈奴に当たらしむ。匈奴も亦縦つこと万騎可り。会々日且に入らんとし、大風起こり、沙礫面を撃ち、両軍相見ず。漢益々左右の翼を縦ちて単于を繞る。単于漢の兵の多くして、士馬尚ほ彊きを視、戦ひて匈奴利あらず。薄莫、単于遂に六驘に乗り、壮騎数百可りと、直ちに漢の囲みを冒して西北に馳せ去る。時に已に昏く、漢と匈奴と相紛挐し、殺傷大いに当たる。漢の軍の左校虜を捕へて言ふ、単于未だ昏れざるに去れりと。漢の軍因りて軽騎を発して夜之を追ひ、大将軍の軍因りて其の後に随ふ。匈奴の兵も亦散走す。遅明、行くこと二百余里、単于を得ず。頗る首虜を捕斬すること万余級、遂に窴顔山の趙信城に至り、匈奴の積粟を得て軍に食はす。軍留まること一日にして還り、悉く其の城の余粟を焼きて以て帰る。大将軍の単于と会するや、前将軍広・右将軍食其の軍別に東道より従ひ、或いは道を失ひ、単于を撃つに後る。大将軍引き還りて幕南を過ぎ、乃ち前将軍・右将軍を得たり。大将軍使をして帰りて報ぜしめんと欲し、長史をして前将軍広を簿責せしむ。広自殺す。右将軍至り、吏に下され、贖ひて庶人と為る。大将軍の軍塞に入る。凡そ首虜を斬捕すること万九千級。是の時匈奴の衆単于を失ふこと十余日。右谷蠡王之を聞き、自ら立ちて単于と為る。単于後に其の衆を得、右王乃ち単于の号を去る。驃騎将軍も亦五万騎を将ゐ、車重大将軍の軍と等し。而して裨将無し。

現代語訳

そこで単于は輜重をすべて遠く北へ移し、皆精兵で砂漠の北で待ち構えた。ちょうど大将軍の軍が長城を出て千里余り進んだところで、単于の兵が陣を敷いて待っているのに出くわした。そこで大将軍は武剛車(装甲した戦車)を円形に並べて陣営とし、五千騎を放って匈奴に当たらせた。匈奴もまた一万騎ほどを放った。ちょうど日が沈みかけた時、大風が起こって砂や小石が顔を打ち、両軍は互いに見えなくなった。漢はさらに左右の翼の兵を繰り出して単于を取り巻いた。単于は漢の兵が多く、兵も馬もまだ強いのを見て、戦っても匈奴に不利だと判断し、夕暮れに六頭のらばが引く車に乗り、勇壮な騎兵数百とともに、まっすぐ漢の包囲を突破して西北へ走り去った。その時はもう暗く、漢と匈奴の兵は入り乱れ、双方の死傷者はほぼ同じであった。漢軍の左校尉が捕虜を捕らえると、単于は日が暮れる前に去ったと言った。漢軍はそこで身軽な騎兵を出して夜に追撃し、大将軍の軍もその後に続いた。匈奴の兵も散り散りに逃げた。夜明けまでに二百里余り進んだが、単于は捕らえられなかった。首や捕虜を一万余りも斬ったり捕らえたりし、ついに窴顔山の趙信城に至り、匈奴が蓄えていた穀物を手に入れて兵に食べさせた。軍は一日とどまって引き返し、城に残った穀物をすべて焼いて帰った。大将軍が単于と戦った時、前将軍李広と右将軍趙食其の軍は別に東の道から進んでいたが、道に迷って単于攻撃に遅れた。大将軍が引き返して砂漠の南を通った時、ようやく前将軍と右将軍に出会った。大将軍は使者を都に帰して報告させようとし、長史に前将軍李広を取り調べさせた。李広は自殺した。右将軍は都に着くと獄吏に引き渡され、金で贖って庶民となった。大将軍の軍は長城内に戻った。斬ったり捕らえたりした敵は合わせて一万九千であった。この時、匈奴の部衆は十日余り単于を見失っていたので、右谷蠡王がこれを聞いて自ら単于となった。単于が後に部衆のもとに戻ると、右谷蠡王は単于の称号を取り下げた。驃騎将軍もまた五万騎を率い、輸送の車や荷物は大将軍の軍と同じであったが、副将はいなかった。

解説

元狩四年の漠北決戦を、衛青の側から描いた段です。趙信の策で砂漠の北に精兵を構えていた単于と遭遇した衛青は、装甲車を円陣に並べて守りを固め、五千騎を出して応戦しました。日没の砂嵐の中で左右の翼を広げて包囲すると、単于は不利を悟って数百騎で包囲を破り逃走します。漢軍は夜通し二百里余り追って一万九千の戦果を上げ、趙信城の穀物を兵に食べさせ、残りを焼いて帰還しました。守りを固めてから攻めに転じ、天候の変化を包囲に生かした、衛青の手堅い指揮ぶりがうかがえます。一方で、遠回りの東道に回された李広と趙食其は道に迷って遅れ、取り調べを迫られた李広は自害しました。李将軍列伝や匈奴列伝と同じ出来事が、ここでは衛青の側から淡々と記されています。同じ事件を立場の異なる複数の列伝で書き分ける司馬遷の手法がよく表れた場面です。一つの出来事も、誰の視点で語るかによって見え方が大きく変わります。

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