史記 / 蘇秦列伝
王乃欲待天下之攻函谷,不亦遠乎!』楚王為是故,十七年事秦。「秦正告韓曰:『我起乎少曲,一日而斷大行。我起乎宜陽而觸平陽,二日而莫不盡繇。我離兩周而觸鄭,五日而國舉。』韓氏以為然,故事秦。「秦正告魏曰:『我舉安邑,塞女戟,韓氏太原卷。我下軹,道南陽,封冀,包兩周。乘夏水,浮輕舟,彊弩在前,錟戈在後,決滎口,魏無大梁;決白馬之口,魏無外黃、濟陽;決宿胥之口,魏無虛、頓丘。陸攻則擊河內,水攻則滅大梁。』魏氏以為然,故事秦。「秦欲攻安邑,恐齊救之,則以宋委於齊。曰:『宋王無道,為木人以寫寡人,射其面。寡人地絕兵遠,不能攻也。王苟能破宋有之,寡人如自得之。』已得安邑,塞女戟,因以破宋為齊罪。「秦欲攻韓,恐天下救之,則以齊委於天下。曰:『齊王四與寡人約,四欺寡人,必率天下以攻寡人者三。有齊無秦,有秦無齊,必伐之,必亡之。』已得宜陽、少曲,致藺、石,因以破齊為天下罪。「秦欲攻魏重楚,則以南陽委於楚。曰:『寡人固與韓且絕矣。殘均陵,塞鄳阨,苟利於楚,寡人如自有之。』魏棄與國而合於秦,因以塞鄳阨為楚罪。「兵困於林中,重燕、趙,以膠東委於燕,以濟西委於趙。已得講於魏,至公子延,因犀首屬行而攻趙。
新字:王乃欲待天下之攻函谷,不亦遠乎!』楚王為是故,十七年事秦。「秦正告韓曰:『我起乎少曲,一日而断大行。我起乎宜陽而触平陽,二日而莫不尽繇。我離両周而触鄭,五日而国舉。』韓氏以為然,故事秦。「秦正告魏曰:『我舉安邑,塞女戟,韓氏太原巻。我下軹,道南陽,封冀,包両周。乗夏水,浮軽舟,彊弩在前,錟戈在後,決滎口,魏無大梁;決白馬之口,魏無外黄、済陽;決宿胥之口,魏無虚、頓丘。陸攻則撃河内,水攻則滅大梁。』魏氏以為然,故事秦。「秦欲攻安邑,恐斉救之,則以宋委於斉。曰:『宋王無道,為木人以写寡人,射其面。寡人地絶兵遠,不能攻也。王苟能破宋有之,寡人如自得之。』已得安邑,塞女戟,因以破宋為斉罪。「秦欲攻韓,恐天下救之,則以斉委於天下。曰:『斉王四与寡人約,四欺寡人,必率天下以攻寡人者三。有斉無秦,有秦無斉,必伐之,必亡之。』已得宜陽、少曲,致藺、石,因以破斉為天下罪。「秦欲攻魏重楚,則以南陽委於楚。曰:『寡人固与韓且絶矣。残均陵,塞鄳阨,苟利於楚,寡人如自有之。』魏棄与国而合於秦,因以塞鄳阨為楚罪。「兵困於林中,重燕、趙,以膠東委於燕,以済西委於趙。已得講於魏,至公子延,因犀首属行而攻趙。
書き下し
王乃ち天下の函谷を攻むるを待たんと欲す、亦遠からずや』と。楚王是れが故の為に、十七年秦に事ふ。秦正しく韓に告げて曰く、『我少曲より起これば、一日にして大行を断つ。我宜陽より起こりて平陽に触るれば、二日にして尽く繇かざるは莫し。我両周を離れて鄭に触るれば、五日にして国挙がらん』と。韓氏以て然りと為す、故に秦に事ふ。秦正しく魏に告げて曰く、『我安邑を挙げ、女戟を塞げば、韓氏の太原巻かれん。我軹を下り、南陽に道し、冀を封じ、両周を包む。夏水に乗じ、軽舟を浮かべ、彊弩前に在り、錟戈後に在り、滎口を決すれば、魏に大梁無からん。白馬の口を決すれば、魏に外黄・済陽無からん。宿胥の口を決すれば、魏に虚・頓丘無からん。陸攻すれば則ち河内を撃ち、水攻すれば則ち大梁を滅ぼさん』と。魏氏以て然りと為す、故に秦に事ふ。秦安邑を攻めんと欲し、斉の之を救はんことを恐れ、則ち宋を以て斉に委ぬ。曰く、『宋王無道なり、木人を為りて以て寡人を写し、其の面を射る。寡人地絶え兵遠く、攻むる能はざるなり。王苟も能く宋を破りて之を有たば、寡人自ら之を得るが如し』と。已に安邑を得、女戟を塞ぎ、因りて宋を破るを以て斉の罪と為す。秦韓を攻めんと欲し、天下の之を救はんことを恐れ、則ち斉を以て天下に委ぬ。曰く、『斉王四たび寡人と約し、四たび寡人を欺き、必ず天下を率ゐて以て寡人を攻むる者三たび。斉有れば秦無く、秦有れば斉無し、必ず之を伐ち、必ず之を亡ぼさん』と。已に宜陽・少曲を得、藺・石を致し、因りて斉を破るを以て天下の罪と為す。秦魏を攻めんと欲して楚を重んじ、則ち南陽を以て楚に委ぬ。曰く、『寡人固より韓と且に絶たんとす。均陵を残ひ、鄳阨を塞ぐ、苟も楚に利あらば、寡人自ら之を有するが如し』と。魏与国を棄てて秦に合す、因りて鄳阨を塞ぐを以て楚の罪と為す。兵林中に困しみ、燕・趙を重んじ、膠東を以て燕に委ね、済西を以て趙に委ぬ。已に講を魏に得、公子延に至り、犀首の属行に因りて趙を攻む。
現代語訳
(秦が楚に告げた言葉は続く。)『それなのに王は、天下の諸侯が函谷関を攻めるのを待とうというのか。何とも気の長い話ではないか。』楚王はこのために、十七年間秦に仕えた。秦はまた、あからさまに韓に告げた。『わたしが少曲から兵を起こせば、一日で太行山の道を断つ。宜陽から起こって平陽に迫れば、二日で韓の全土が揺るがないところはない。東西の周の間を抜けて鄭に迫れば、五日で国は陥ちる。』韓はもっともだと思い、それで秦に仕えた。秦はまた、あからさまに魏に告げた。『わたしが安邑を攻め取り、女戟の道を塞げば、韓の太原は巻き取られる。軹から下って南陽へ道を開き、冀を封じて、東西の周を包囲する。夏の増水に乗って軽い舟を浮かべ、強い弩を前に、鋭い戈を後ろに並べる。滎口の堤を切れば魏には大梁がなくなり、白馬の口を切れば外黄・済陽がなくなり、宿胥の口を切れば虚・頓丘がなくなる。陸から攻めれば河内を撃ち、水で攻めれば大梁を滅ぼす。』魏はもっともだと思い、それで秦に仕えた。秦は安邑を攻めようとしたとき、斉が救援することを恐れて、宋を斉に任せ、こう言った。『宋王は無道で、木の人形を作ってわたしの姿を写し、その顔を射ている。わたしは領土が離れ兵も遠く、攻めることができない。王がもし宋を破ってその地を得られるなら、わたしが自分で得たのと同じように思う。』ところが安邑を手に入れ女戟を塞ぐと、今度は宋を破ったことを斉の罪とした。秦は韓を攻めようとしたとき、天下が救援することを恐れて、斉を天下に任せ、こう言った。『斉王は四度わたしと約束し、四度わたしを欺き、天下を率いてわたしを攻めたことが三度ある。斉があれば秦はなく、秦があれば斉はない。必ず斉を討ち、必ず滅ぼす。』ところが宜陽と少曲を手に入れ、藺と石を差し出させると、今度は斉を破ったことを天下の罪とした。秦は魏を攻めるにあたって楚を重んじ、南陽を楚に任せ、こう言った。『わたしはもともと韓と絶交しようとしている。均陵を損ない鄳阨(ぼうあい)を塞ぐことが楚の利益になるなら、わたしが自分で得たのと同じように思う。』ところが魏が同盟国を捨てて秦と結ぶと、今度は鄳阨を塞いだことを楚の罪とした。秦の兵が林中で苦しむと、燕と趙を重んじ、膠東を燕に任せ、済西を趙に任せた。ところが魏と和睦し、公子延を人質に取ると、犀首の軍の行列に乗じて趙を攻めた。
解説
関連する章句
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戦国策・秦召燕王秦、燕王を召す。燕王往かんと欲す。蘇代、燕王に約して曰く、「楚、枳を得て国亡び、斉、宋を得て国亡ぶ。斉・楚、枳・宋を有つを以て秦に事えざる者は、何ぞや。是れ則ち功有る者は、秦の深讎なり。秦の天下を取るは、義を行うに非ざるなり、暴なり。 秦の暴を天下に行うや、正しく楚に告げて曰く、『蜀地の甲、軽舟にて汶に浮かび、夏水に乗じて江を下れば、五日にして郢に至らん。漢中の甲、舟に乗じて巴より出で、夏水に乗じて漢を下れば、四日にして五渚に至らん。寡人甲を宛に積み、東のかた隨に下れば、知者も謀るに及ばず、勇者も怒るに及ばず、寡人の隼を射るが如し。王乃ち天下の函谷を攻むるを待たば、亦た遠からずや』と。楚王是が為の故に、十七年秦に事う。 秦正しく韓に告げて曰く、『我少曲より起ちて、一日にして太行を断つ。我宜陽より起ちて平陽に触るれば、二日にして繇わざる莫し。我両周を離れて鄭に触るれば、五日にして国挙がらん』と。韓氏以て然りと為し、故に秦に事う。 秦正しく魏に告げて曰く、『我安邑を挙げ、女戟を塞げば、韓氏・太原巻かる。我枳を下し、南陽・封・冀に道すれば、両周を包み、夏水に乗じ、軽舟に浮かべ、強弩前に在り、銛戈後に在り、榮口を決すれば、魏に大梁無く、白馬の口を決すれば、魏に済陽無く、宿胥の口を決すれば、魏に虚・頓丘無し。陸攻すれば則ち河内を撃ち、水攻すれば則ち大梁を滅ぼさん』と。魏氏以て然りと為し、故に秦に事う。 秦安邑を攻めんと欲し、斉の之を救わんことを恐れ、則ち宋を以て斉に委ねて曰く、『宋王無道にして、木人を為りて以て寡人に写し、其の面を射しむ。寡人地絶ち兵遠くして、攻むる能わざるなり。王苟くも能く宋を破りて之を有たば、寡人自ら之を得たるが如し』と。已に安邑を得て女戟を塞ぐや、因りて宋を破るを以て斉の罪と為す。 秦斉を攻めんと欲し、天下の之を救わんことを恐れ、則ち斉を以て天下に委ねて曰く、『斉王四たび寡人と約して、四たび寡人を欺けり。必ず天下を率いて寡人を攻むる者三たびなり。斉有りて秦無く、斉無くして秦有らば、必ず之を伐ち、必ず之を亡ぼさん』と。已に宜陽・少曲を得て、藺・石を致すや、因りて斉を破るを以て天下の罪と為す。 秦魏を攻めんと欲し、楚を重んずれば、則ち南陽を以て楚に委ねて曰く、『寡人固より韓と且に絶えんとす。均陵を残ない、鄳隘を塞げば、苟くも楚に利あらば、寡人自ら之を有つが如し』と。魏与国を棄てて秦に合すれば、因りて鄳隘を塞ぐを以て楚の罪と為す。 兵林中に困しみ、燕・趙を重んずれば、膠東を以て燕に委ね、済西を以て趙に委ぬ。趙魏に講を得て、公子延に至り、因りて犀首行を属して趙を攻む。兵離石に傷つき、馬陵に敗を遇い、而して魏を重んずれば、則ち葉・蔡を以て魏に委ぬ。已に趙に講を得れば、則ち魏を劫かし、魏割かず。困しめば則ち太后・穰侯をして和せしめ、羸うれば則ち舅と母とを兼ねて欺く。燕に適く者は曰く、『膠東を以てす』と。趙に適く者は曰く、『済西を以てす』と。魏に適く者は曰く、『葉・蔡を以てす』と。楚に適く者は曰く、『鄳隘を塞ぐを以てす』と。斉に適く者は曰く、『宋を以てす』と。此れ必ず其の言をして循環の如くならしめ、兵を用うること蜚繡を刺すが如く、母も制する能わず、舅も約する能わず。龍賈の戦、岸門の戦、封陸の戦、高商の戦、趙荘の戦、秦の殺す所の三晋の民数百万。今其の生くる者、皆秦の孤に死せし者なり。西河の外、上雒の地、三川は、晋国の禍にして、三晋の半ばなり。秦の禍此くの如く其れ大なるに、燕・趙の秦する者、皆秦に事うるを争うを以て其の主に説く、此れ臣の大いに患うる所なり」と。 燕昭王行かず、蘇代復た燕に重んぜらる。燕反りて諸侯に約して従親せしむること、蘇秦の時の如く、或いは従い或いは従わざれども、天下是に由りて蘇氏の従約を宗とす。代・厲皆寿を以て死し、名諸侯に顕る。
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史記 蘇秦列伝韓・魏聴かずんば則ち秦之を伐ち、斉聴かずんば則ち燕・趙之を伐たん、天下孰か敢へて聴かざらん。天下服聴せば、因りて韓・魏を駆りて以て斉を伐ち、曰はん『必ず宋の地を反し、楚の淮北を帰せ』と。宋の地を反し、楚の淮北を帰すは、燕・趙の利とする所なり。並びに三帝を立つるは、燕・趙の願ふ所なり。夫れ実に利とする所を得、尊に願ふ所を得ば、燕・趙の斉を棄つること躧を脱ぐが如し。今燕・趙を収めずんば、斉の霸必ず成らん。諸侯斉を賛けて王従はずんば、是れ国伐たるるなり。諸侯斉を賛けて王之に従はば、是れ名卑しきなり。今燕・趙を収むれば、国安くして名尊し。燕・趙を収めずんば、国危ふくして名卑し。夫れ尊安を去りて危卑を取るは、智者は為さざるなり」と。秦王若の説を聞かば、必ず心を刺すが若く然らん。則ち王何ぞ弁士をして此の若き言を以て秦に説かしめざる。秦必ず取られ、斉必ず伐たれん。夫れ秦を取るは、厚交なり。斉を伐つは、正利なり。厚交を尊び、正利に務むるは、聖王の事なり。燕の昭王其の書を善しとして、曰く、「先人嘗て蘇氏に徳有り、子之の乱にして蘇氏燕を去る。燕仇を斉に報ぜんと欲す、蘇氏に非ざれば可なる莫し」と。乃ち蘇代を召し、復た善く之を待し、与に斉を伐たんことを謀る。竟に斉を破り、湣王出で走る。之を久しくして、秦燕王を召す、燕王往かんと欲す、蘇代燕王を約して曰く、「楚は枳を得て国亡び、斉は宋を得て国亡ぶ、斉・楚の枳・宋を有するを以て秦に事ふるを得ざる者は、何ぞや。則ち功有る者は、秦の深讐なればなり。秦の天下を取るは、義を行ふに非ず、暴なり。秦の暴を行ふは、正しく天下に告ぐ。楚に告げて曰く、『蜀地の甲、船に乗りて汶に浮かび、夏水に乗じて江を下れば、五日にして郢に至る。漢中の甲、船に乗りて巴に出で、夏水に乗じて漢を下れば、四日にして五渚に至る。寡人甲を宛の東に積みて随に下れば、智者も謀るに及ばず、勇土(士)も怒るに及ばず、寡人隼を射るが如けん。
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史記 蘇秦列伝兵譙石に傷つき、而して敗を陽馬に遇ひ、而して魏を重んず、則ち葉・蔡を以て魏に委ぬ。已に講を趙に得れば、則ち魏を劫し、為に割かず。困しめば則ち太后の弟穣侯をして和を為さしめ、嬴てば則ち兼ねて舅と母とを欺く。燕に適く者には『膠東を以てす』と曰ひ、趙に適く者には『済西を以てす』と曰ひ、魏に適く者には『葉・蔡を以てす』と曰ひ、楚に適く者には『鄳阸を塞ぐを以てす』と曰ひ、斉に適く者には『宋を以てす』と曰ふ、此れ必ず言をして循環するが如く、兵を用ふること蜚を刺すが如くならしむ、母も制する能はず、舅も約する能はず。竜賈の戦ひ、岸門の戦ひ、封陵の戦ひ、高商の戦ひ、趙荘の戦ひ、秦の殺す所の三晋の民数百万、今其の生くる者は皆秦に死せし者の孤なり。西河の外、上雒の地、三川晋国の禍、三晋の半ば、秦の禍此くの如く其れ大なり。而して燕・趙の秦に之く者は、皆争ひて秦に事ふるを以て其の主に説く、此れ臣の大いに患ふる所なり」と。燕の昭王行かず。蘇代復た燕に重んぜらる。
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戦国策・五國伐秦五国秦を伐ちて、功無くして還る。其の後、齊宋を伐たんと欲するも、秦之を禁ず。齊宋郭をして秦に之(ゆ)かしめ、合して以て宋を伐たんことを請わしむ。秦王之を許す。魏王齊・秦の合するを畏れ、秦に講ぜんと欲す。魏王に謂いて曰く、「秦王宋郭に謂いて曰く、『宋の城を分かち、宋の強きに服する者は、六国なり。宋の敝に乗じて、王と得るを争う者は、楚・魏なり。請う王の為に楚の魏を伐つを禁ずる無く、王独り宋を挙げよ。王の宋を伐つや、請う剛柔皆之を用いよ。宋の如き者は、之を欺きて逆と為さざる者にして、之を殺して讎(あだ)と為さざる者なり。王之と講じて以て埊(ち)を取る無く、既に已に埊を得ば、又力を以て之を攻め、宋を啗(くら)うに期するのみ』と。臣此の言を聞きて、竊(ひそ)かに王の為に悲しむ、秦必ず且に此を王に用いんとす。又必ず且に王を以て埊を求めしめ、既に已に埊を得ば、又且に力を以て王を攻めんとす。又必ず王に謂いて王をして齊を軽んぜしめ、齊・魏の交已に醜(あ)しく、又且に齊を収めて更に王に索(もと)めんとす。秦嘗て此を楚に用い、又嘗て此を韓に用いたり、願わくは王の之を深く計らんことを。秦の魏を善しとするは知る可からざるのみ。故に王の為に計るに、太上は秦を伐ち、其の次は秦を賓(しりぞ)け、其の次は約を堅くして詳らかに講じ、与国相離るる無かれ。秦・齊合すれば、国為す可からざるのみ。王其れ臣に聴かば、必ず与に講ずる無かれ。「秦の権魏に重ければ、魏再び明孰(めいじゅく)せんとするも、是の故に又足下の為に秦を傷る者、敢えて顕(あらわ)さざるなり。天下秦を伐たしむ可ければ、則ち陰かに勧めて敢えて図らず。天下の秦を傷るを見れば、則ち先ず与国を鬻(ひさ)ぎて以て自ら解く。天下秦を賓せしむ可ければ、則ち与国に劫(おびやか)されて已むを得ざる者と為る。天下不可なれば、則ち先ず去りて、秦を以て上交と為して以て自ら重んず。此くの如き人なる者は、王を鬻ぎて以て資と為す者なり、而して焉んぞ能く国を患いより免れしめんや。国を患いより免れしむる者は、必ず三節を窮め、其の上を行う。上不可なれば、則ち其の中を行う。中不可なれば、則ち其の下を行う。下不可なれば、則ち明らかに秦に与(くみ)せず。而して生きて以て秦を残(そこな)い、秦をして皆百怨百利無く、唯だ已(おのれ)の曾(すなわ)ち安からしめん。足下をして之を鬻ぎて以て秦に合せしめば、是れ国を患いより免れしむる者の計なり。臣何ぞ以て之に当たるに足らんや。然りと雖も、願わくは足下の臣が計を論ぜんことを。「燕は齊の讎国なり、秦は兄弟の交わりなり。讎国を合して婚姻を伐つは、臣之が為に苦しむ。黄帝涿鹿の野に戦いて、西戎の兵至らず、禹三苗を攻めて、東夷の民起たず。燕を以て秦を伐つは、黄帝の難んずる所なり、而して臣以て燕甲を致して齊兵を起こせり。「臣又偏(ひとえ)に三晋の吏に事(つか)え、奉陽君・孟嘗君・韓呡・周聚・周・韓餘徒従と為して之を下し、其の秦を伐つの疑いを恐る。又身自ら秦に醜(は)じ、之を扮(あつ)め天下の秦符を焚くを請う者は、臣なり。次いで焚符の約を伝うる者は、臣なり。五国をして秦関を閉じしめんと欲する者は、臣なり。奉陽君・韓餘既に和せり、蘇脩・朱嬰既に皆陰かに邯鄲に在り、臣又齊王に説きて往きて之を敗る。天下共に講じ、因りて蘇脩をして天下の語を游(と)かしめ、齊を以て上交と為し、兵宋を伐たんことを請うも、臣又之を争うに死を以てす。而して果たして西のかた蘇脩に因りて重報す。臣秦の勧めの重きを知らざるに非ざるなり、然れども之を為す所以の者は、足下の為なり」と。
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戦国策・張儀為秦破從連橫張儀、秦の為に従を破りて連衡し、楚王に説きて曰わく、「秦の地天下に半ばし、兵四国に敵し、山を被り河を帯び、四塞以て固と為す。虎賁の士百余万、車千乗、騎万疋、粟丘山の如し。法令既に明らかにして、士卒難に安んじ死を楽しむ。主厳にして以て明らかに、将知にして以て武し。兵甲を出だす無しと雖も、常山の険を席巻し、天下の脊を折らば、天下後に服する者は先んじて亡びん。且つ夫れ従を為す者は、群羊を駆りて猛虎を攻むるに異なる無きなり。夫れ虎の羊に与するや、格せざること明らかなり。今大王猛虎に与せずして群羊に与す、竊かに以て大王の計過てりと為す。「凡そ天下の強国は、秦に非ずんば楚、楚に非ずんば秦なり。両国敵侔して交争し、其の勢い両立せず。而して大王秦に与せずんば、秦甲兵を下し、宜陽に拠り、韓の上地通ぜず、河東に下り、成皋を取らば、韓必ず秦に入臣せん。韓入臣すれば、魏則ち風に従いて動かん。秦楚の西を攻め、韓・魏其の北を攻めば、社稷豈に危うき無きを得んや。「且つ夫れ従を約する者は、群弱を聚めて至強を攻むるなり。夫れ弱を以て強を攻め、敵を料らずして軽く戦い、国貧しくして驟に兵を挙ぐるは、此れ危亡の術なり。臣之を聞く、兵如かざれば、与に挑戦する勿かれ、粟如かざれば、与に持久する勿かれと。夫れ従人なる者は、辯を飾り辞を虚しくし、主の節行を高くし、其の利を言いて其の害を言わず、卒に楚の禍い有るも、為す無きに及ばんのみ、是を以て願わくは大王の熟ら之を計られんことを。「秦西のかた巴蜀有り、船を方べて粟を積み、汶山より起こり、江に循いて下れば、郢に至ること三千余里。舫船卒を載せ、一舫五十人を載せ、三月の糧を与え、水を下りて浮かべば、一日行くこと三百余里、里数多しと雖も、馬汗の労を費やさず、十日に至らずして扞関に距らん。扞関驚けば、則ち竟陵より已東、尽く城守せん、黔中・巫郡は王の有に非ざるのみ。秦甲を挙げて之を武関より出だし、南面して攻めば、則ち北地絶えん。秦兵の楚を攻むるや、危難三月の内に在り。而るに楚は諸侯の救いを恃むも、半歳の外に在り、此れ其の勢い相い及ばざるなり。夫れ弱国の救いを恃みて、強秦の禍いを忘るるは、此れ臣の大王の為に患うる所以なり。且つ大王嘗て呉人と五戦して三勝して之を亡ぼすも、陳卒尽きたり、偏に新城を守るありて居民苦しめり。臣之を聞く、大を攻むる者は危うくなり易く、民弊るる者は上を怨むと。夫れ危うくなり易きの功を守りて、強秦の心に逆らうは、臣竊かに大王の為に之を危ぶむ。「且つ夫れ秦の甲を函谷関に出ださずして十五年、以て諸侯を攻めざる所以の者は、陰謀天下を呑むの心有ればなり。楚嘗て秦と難を構え、漢中に戦う。楚人勝たず、通侯・執珪死する者七十余人、遂に漢中を亡う。楚王大いに怒り、師を興して秦を襲い、藍田に戦うも、又郤く。此れ所謂両虎相い搏つ者なり。夫れ秦・楚相い弊れて、韓・魏全きを以て其の後を制せば、計此に過ぐる者無し、是を以て願わくは大王熟ら之を計られんことを。「秦兵を下して衛・陽晉を攻めば、必ず天下の匈を開扃せん、大王悉く兵を起こして以て宋を攻めば、数月に至らずして宋挙ぐべし。宋を挙げて東を指せば、則ち泗上十二諸侯、尽く王の有ならんのみ。「凡そ天下信じて従親堅しと為す所の者は蘇秦なり、封ぜられて武安君と為り燕に相たりしも、即ち陰かに燕王と斉を破りて共に其の地を分かたんことを謀る。乃ち罪有るを佯りて、出でて走りて斉に入る、斉王因りて受けて之を相とす。居ること二年にして覚れ、斉王大いに怒り、蘇秦を市に車裂す。夫れ一詐偽反覆の蘇秦を以て、天下を経営し、諸侯を混一せんと欲するは、其の成るべからざること亦た明らかなり。「今秦の楚に与するや、境を接し壌を界し、固に形親の国なり。大王誠に能く臣に聴かば、臣請う秦の太子をして楚に入質せしめ、楚の太子をして秦に入質せしめ、請う秦の女を以て大王の箕箒の妾と為し、万家の都を効し、以て湯沐の邑と為し、長く昆弟の国と為り、終身相い攻撃すること無からんことを。臣以為えらく計此より便なる者無しと。故に敝邑の秦王、使臣をして書を大王の従車の下風に献ぜしめ、須って以て事を決せんことを。」楚王曰わく、「楚国僻陋にして、東海の上に託す。寡人年幼くして、国家の長計に習わず。今上客幸いに教うるに明制を以てす、寡人之を聞き、敬んで国を以て従わん。」乃ち使いを遣わして車百乗、雞駭の犀、夜光の璧を秦王に献ず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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