史記 / 十二諸侯年表
呂不韋者,秦莊襄王相,亦上觀尚古,刪拾春秋,集六國時事,以為八覽、六論、十二紀,為呂氏春秋。及如荀卿、孟子、公孫固、韓非之徒,各往往捃摭春秋之文以著書,不同勝紀。漢相張蒼歷譜五德,上大夫董仲舒推春秋義,頗著文焉。太史公曰:儒者斷其義,馳說者騁其辭,不務綜其終始;歷人取其年月,數家隆於神運,譜諜獨記世謚,其辭略,欲一觀諸要難。於是譜十二諸侯,自共和訖孔子,表見春秋、國語學者所譏盛衰大指著于篇,為成學治古文者要刪焉。
新字:呂不韋者,秦荘襄王相,亦上観尚古,刪拾春秋,集六国時事,以為八覧、六論、十二紀,為呂氏春秋。及如荀卿、孟子、公孫固、韓非之徒,各往往捃摭春秋之文以著書,不同勝紀。漢相張蒼歴譜五徳,上大夫董仲舒推春秋義,頗著文焉。太史公曰:儒者断其義,馳説者騁其辞,不務綜其終始;歴人取其年月,数家隆於神運,譜諜独記世謚,其辞略,欲一観諸要難。於是譜十二諸侯,自共和訖孔子,表見春秋、国語学者所譏盛衰大指著于篇,為成学治古文者要刪焉。
書き下し
呂不韋なる者は、秦の荘襄王の相なり。亦上は尚古を観、春秋を刪拾し、六国の時事を集め、以て八覧・六論・十二紀を為り、呂氏春秋と為す。荀卿・孟子・公孫固・韓非の徒の如きに及びては、各々往往にして春秋の文を捃摭して以て書を著す、勝げて紀すべからず。漢の相張蒼は五徳を歴譜し、上大夫董仲舒は春秋の義を推し、頗る文を著す。太史公曰く、儒者は其の義を断じ、馳説者は其の辞を騁せ、其の終始を綜ぶることを務めず。歴人は其の年月を取り、数家は神運を隆び、譜諜は独り世謚を記し、其の辞略にして、一たび諸要を観んと欲するも難し。是に於いて十二諸侯を譜し、共和より孔子に訖るまで、春秋・国語の学者の譏る所の盛衰の大指を表見して篇に著し、成学の古文を治むる者の為に要刪す。
現代語訳
呂不韋は秦の荘襄王の宰相で、彼もまた古の事を見わたし、『春秋』から取捨して、六国の時事を集め、八覧・六論・十二紀を作って『呂氏春秋』とした。荀卿(荀子)・孟子・公孫固・韓非といった人々も、それぞれ折にふれて『春秋』の文を拾い集めて書を著しており、いちいち数えきれない。漢の丞相張蒼は五徳の循環にもとづいて暦譜を作り、上大夫董仲舒は『春秋』の義を推し広めて、かなりの著作を残した。太史公は言う。儒者はその義について判断を下し、遊説家はその言葉を振りまわすが、始めから終わりまでを総合しようとはしない。暦算家はその年月だけを取り、術数家は神秘的な運命を重んじ、系譜書はただ代々の諡号を記すのみで、言葉は簡略すぎ、全体の要点を一度に見ようとしても難しい。そこで十二諸侯の系譜を作り、共和から孔子の時代までについて、『春秋』や『国語』を学ぶ者が論じてきた盛衰の大要を表に示してこの篇に記し、学問を修めて古文を研究する人のための要約とした。
解説
関連する章句
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史記 十二諸侯年表太史公、春秋の歴譜諜を読み、周の厲王に至りて、未だ嘗て書を廃して嘆ぜずんばあらざるなり。曰く、嗚呼、師摯之を見たり。紂、象箸を為りて箕子唏く。周道欠けて、詩人之を衽席に本づけ、関雎作る。仁義陵遅して、鹿鳴刺る。厲王に至るに及びて、其の過ちを聞くを悪むを以て、公卿誅を懼れて禍作り、厲王遂に彘に奔り、乱京師より始まりて、共和政を行ふ。是の後或いは力政し、彊は弱に乗じ、師を興すに天子に請はず。然れども王室の義を挟み、討伐を以て会盟の主と為り、政は五伯に由り、諸侯恣に行ひ、淫侈にして軌あらず、賊臣篡子滋々起こる。斉・晋・秦・楚は其の成周に在りては微なること甚だしく、封は或いは百里、或いは五十里。晋は三河に阻り、斉は東海を負ひ、楚は江淮を介とし、秦は雍州の固めに因り、四海迭ひに興り、更々伯主と為る、文武の褒め大いに封ずる所も、皆威して服す。是を以て孔子、王道を明らかにし、七十余君に干むれども、能く用ふる莫し。故に西のかた周室を観、史記の旧聞を論じ、魯に興りて春秋を次す。上は隠を記し、下は哀の獲麟に至る。其の辞文を約し、其の煩重を去り、以て義法を制す。王道備はり、人事浹し。七十子の徒、口づから其の伝指を受く、刺譏褒諱挹損する所の文辞有りて書を以て見すべからざるが為なり。魯の君子左丘明、弟子の人人端を異にし、各々其の意に安んじて、其の真を失はんことを懼る、故に孔子の史記に因りて具さに其の語を論じ、左氏春秋を成す。鐸椒、楚の威王の傅為り、王の尽くは春秋を観る能はざるが為に、成敗を采取し、卒て四十章、鐸氏微と為す。趙の孝成王の時、其の相虞卿、上は春秋を采り、下は近勢を観、亦八篇を著し、虞氏春秋と為す。
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史記 太史公自序漢興りて五世、隆んなること建元に在り。外は夷狄を攘ひ、内は法度を修め、封禅し、正朔を改め、服色を易ふ。今上本紀第十二を作る。維れ三代は尚し。年紀考ふ可からず。蓋し之を譜牒の旧聞に取り、茲に本づき、是に於いて略々推す。三代世表第一を作る。幽・厲の後、周室衰微し、諸侯政を専らにし、春秋紀さざる所有り。而して譜牒経略し、五覇更々盛衰す。周の世の相先後するの意を睹んと欲し、十二諸侯年表第二を作る。春秋の後、陪臣政を秉り、彊国相王たり。以て秦に至り、卒に諸夏を并せ、封地を滅ぼし、其の号を擅にす。六国年表第三を作る。秦既に暴虐にして、楚人難を発し、項氏遂に乱し、漢乃ち義を扶けて征伐す。八年の間、天下三たび嬗(うつ)り、事繁く変衆し。故に詳らかに秦楚之際月表第四を著す。漢興りてより已来、太初に至るまで百年、諸侯の廃立分削、譜紀明らかならず、有司踵ぐ靡し。彊弱の原は世を以てすと云ふ。漢興已来諸侯年表第五を作る。維れ高祖の元功、輔臣股肱、符を剖きて爵し、沢は苗裔に流る。其の昭穆を忘れ、或いは身を殺し国を隕す。高祖功臣侯者年表第六を作る。恵・景の間、維れ功臣宗属の爵邑を申ぶ。恵景間侯者年表第七を作る。北は彊胡を討ち、南は勁越を誅し、夷蛮を征伐し、武功爰に列す。建元以来侯者年表第八を作る。諸侯既に彊く、七国従を為す。子弟衆多にして、爵封邑無し。恩を推し義を行ひ、其の埶銷弱し、徳は京師に帰す。王子侯者年表第九を作る。国に賢相良将有るは、民の師表なり。維れ漢興以来の将相名臣の年表を見るに、賢者は其の治を記し、不賢者は其の事を彰す。漢興以来将相名臣年表第十を作る。
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史記 太史公自序上大夫壺遂曰く、「昔、孔子何為れぞ春秋を作れるか」と。太史公曰く、「余、董生に聞く、曰く、『周道衰廃し、孔子魯の司寇と為る。諸侯之を害し、大夫之を壅ぐ。孔子言の用ひられず、道の行はれざるを知るや、二百四十二年の中を是非し、以て天下の儀表と為し、天子を貶し、諸侯を退け、大夫を討ち、以て王事を達するのみ』と。子曰く、『我之を空言に載せんと欲するも、之を行事に見すことの深切著明なるに如かざるなり』と。夫れ春秋は、上は三王の道を明らかにし、下は人事の紀を弁じ、嫌疑を別ち、是非を明らかにし、猶予を定め、善を善とし悪を悪とし、賢を賢とし不肖を賤しみ、亡国を存し、絶世を継ぎ、敝を補ひ廃を起こす。王道の大なる者なり。易は天地・陰陽・四時・五行を著す。故に変に長ず。礼は人倫を経紀す。故に行ひに長ず。書は先王の事を記す。故に政に長ず。詩は山川谿谷・禽獣草木・牝牡雌雄を記す。故に風に長ず。楽は楽しむ所以にして立つ。故に和に長ず。春秋は是非を弁ず。故に人を治むるに長ず。是の故に礼は以て人を節し、楽は以て和を発し、書は以て事を道ひ、詩は以て意を達し、易は以て化を道ひ、春秋は以て義を道ふ。乱世を撥めて之を正に反すは、春秋より近きは莫し。春秋は文成ること数万、其の指は数千。万物の散聚は皆春秋に在り。春秋の中、君を弑すること三十六、国を亡ぼすこと五十二、諸侯奔走して其の社稷を保つを得ざる者、勝げて数ふ可からず。其の所以を察するに、皆其の本を失ふのみ。故に易に曰く、『之を豪釐に失へば、差ふに千里を以てす』と。故に曰く、『臣君を弑し、子父を弑するは、一旦一夕の故に非ざるなり。其の漸久し』と。故に国を有つ者は以て春秋を知らざる可からず。前に讒有れども見ず、後に賊有れども知らず。
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史記 六国年表太史公、秦記を読み、犬戎の幽王を敗り、周東のかた洛邑に徙り、秦の襄公始めて封ぜられて諸侯と為り、西畤を作りて上帝に用事するに至りて、僭の端見はる。礼に曰く、「天子は天地を祭り、諸侯は其の域内の名山大川を祭る」と。今秦は戎翟の俗を雑へ、暴戾を先にし、仁義を後にし、位は藩臣に在りて郊祀を臚ぶ、君子懼る。文公の隴を踰え、夷狄を攘ひ、陳宝を尊び、岐雍の間を営むに及び、而して穆公政を修め、東のかた竟に河に至れば、則ち斉桓・晋文の中国の侯伯と侔し。是の後陪臣政を執り、大夫世々禄し、六卿晋の権を擅にし、征伐会盟、威は諸侯より重し。田常の簡公を殺して斉国に相たるに及び、諸侯晏然として討たず、海内戦功を争ふ。三国之を終へて卒に晋を分かち、田和も亦斉を滅ぼして之を有し、六国の盛んなること此より始まる。務めは彊兵并敵に在り、謀詐用ひられて従衡短長の説起こる。矯称蜂出し、誓盟信ならず、質を置き符を剖くと雖も猶約束する能はざるなり。秦は始め小国にして僻遠、諸夏之を賓とし、戎翟に比す。献公の後に至りて常に諸侯に雄たり。秦の徳義を論ずれば魯衛の暴戾なる者に如かず、秦の兵を量れば三晋の彊きに如かず、然れども卒に天下を并す。必ずしも険固便形勢の利あるに非ず、蓋し天の助くる所の若し。或ひと曰く「東方は物の始めて生ずる所、西方は物の成熟す」と。夫れ事を作す者は必ず東南に於いてし、功実を収むる者は常に西北に於いてす。故に禹は西羌に興り、湯は亳に起こり、周の王たるや豊鎬を以て殷を伐ち、秦の帝たるは雍州を用て興り、漢の興るは蜀漢よりす。秦既に意を得て、天下の詩書を焼き、諸侯の史記尤も甚だし、其の刺譏する所有るが為なり。詩書の復た見はるる所以の者は、多く人家に蔵すればなり。而して史記は独り周室に蔵す、故を以て滅ぶ。惜しいかな、惜しいかな。
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史記 太史公自序曹参の蓋公を薦めて黄老を言ひしより、而して賈生・晁錯は申・商を明らかにし、公孫弘は儒を以て顕はる。百年の間、天下の遺文古事、畢く太史公に集まらざる靡し。太史公仍(よ)りて父子相続きて其の職を纂ぐ。曰く、「於戯、余維ふに先人嘗て斯の事を掌り、唐虞に顕はれ、周に至りて、復た之を典る。故に司馬氏は世々天官を主る。余に至るか、欽みて念はんかな、欽みて念はんかな」と。天下の放失せる旧聞を罔羅し、王跡の興る所、始めを原ね終はりを察し、盛んなるを見て衰ふるを観、之を行事に論考し、略々三代を推し、秦漢を録し、上は軒轅を記し、下は茲に至る。十二本紀を著し、既に之を科条す。時を並べ世を異にし、年差明らかならず、十表を作る。礼楽の損益、律暦の改易、兵権・山川・鬼神、天人の際、敝を承けて変に通ず。八書を作る。二十八宿は北辰を環り、三十輻は一轂を共にし、運行して窮まり無し。輔拂股肱の臣之に配し、忠信にして道を行ひ、以て主上に奉ず。三十世家を作る。義を扶けて俶儻、己をして時を失はしめず、功名を天下に立つ。七十列伝を作る。凡そ百三十篇、五十二万六千五百字、太史公書と為す。序略して、以て遺を拾ひ闕を補ひ、一家の言を成す。厥れ六経の異伝に協ひ、百家の雑語を整斉し、之を名山に蔵し、副は京師に在り、後世の聖人君子を俟つ。第七十。太史公曰く、余黄帝より以来を述歴して太初に至りて訖はる。百三十篇なり。
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史記 太史公自序維れ昔、黄帝は天に法り地に則り、四聖序に遵ひ、各々法度を成す。唐堯位を遜り、虞舜台(よろこ)ばず。厥の帝功を美とし、万世之を載す。五帝本紀第一を作る。維れ禹の功、九州同じくする攸(ところ)、唐虞の際を光かし、徳は苗裔に流る。夏桀淫驕にして、乃ち鳴条に放たる。夏本紀第二を作る。維れ契は商を作し、爰に成湯に及ぶ。太甲は桐に居り、徳は阿衡に盛んなり。武丁は説を得て、乃ち高宗と称す。帝辛は湛湎し、諸侯享せず。殷本紀第三を作る。維れ棄は稷と作り、徳は西伯に盛んなり。武王は牧野にて、実に天下を撫す。幽・厲は昏乱し、既に酆・鎬を喪ふ。陵遅して赧に至り、洛邑祀らず。周本紀第四を作る。維れ秦の先、伯翳は禹を佐く。穆公は義を思ひ、豪の旅を悼む。人を以て殉と為し、詩は黄鳥を歌ふ。昭襄は帝を業とす。秦本紀第五を作る。始皇既に立ち、六国を并兼し、鋒を銷して鐻を鋳、維れ干革を偃(ふ)す。尊号して帝と称し、武を矜り力に任ず。二世運を受け、子嬰降虜す。始皇本紀第六を作る。秦其の道を失ひ、豪桀並び擾る。項梁之を業とし、子羽之に接す。慶を殺し趙を救ひ、諸侯之を立つ。嬰を誅し懐に背き、天下之を非とす。項羽本紀第七を作る。子羽は暴虐、漢は功徳を行ふ。蜀漢に憤発し、還りて三秦を定む。籍を誅して帝を業とし、天下惟れ寧く、制を改め俗を易ふ。高祖本紀第八を作る。恵の早く霣(お)ち、諸呂台ばず。禄・産を崇彊し、諸侯之を謀る。隠を殺し友を幽し、大臣洞疑し、遂に宗禍に及ぶ。呂太后本紀第九を作る。漢既に初めて興り、継嗣明らかならず。王を迎へて祚を践ましめ、天下心を帰す。肉刑を蠲除し、関梁を開通し、恩を広め博く施す。厥れ太宗と称す。孝文本紀第十を作る。諸侯驕恣にして、呉首として乱を為す。京師誅を行ひ、七国辜に伏す。天下翕然として、大いに安く殷富なり。孝景本紀第十一を作る。
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