史記 / 高祖本紀
楊熊走之滎陽,二世使使者斬以徇。南攻潁陽,屠之。因張良遂略韓地轘轅。當是時,趙別將司馬卬方欲渡河入關,沛公乃北攻平陰,絕河津。南,戰雒陽東,軍不利,還至陽城,收軍中馬騎,與南陽守齮戰犨東,破之。略南陽郡,南陽守齮走,保城守宛。沛公引兵過而西。張良諫曰:「沛公雖欲急入關,秦兵尚眾,距險。今不下宛,宛從後擊,彊秦在前,此危道也。」於是沛公乃夜引兵從他道還,更旗幟,黎明,圍宛城三匝。南陽守欲自剄。其舍人陳恢曰:「死未晚也。」乃踰城見沛公,曰:「臣聞足下約,先入咸陽者王之。今足下留守宛。宛,大郡之都也,連城數十,人民眾,積蓄多,吏人自以為降必死,故皆堅守乘城。今足下盡日止攻,士死傷者必多;引兵去宛,宛必隨足下後:足下前則失咸陽之約,後又有彊宛之患。為足下計,莫若約降,封其守,因使止守,引其甲卒與之西。諸城未下者,聞聲爭開門而待,足下通行無所累。」沛公曰:「善。」乃以宛守為殷侯,封陳恢千戶。引兵西,無不下者。至丹水,高武侯鰓、襄侯王陵降西陵。還攻胡陽,遇番君別將梅鋗,與皆,降析、酈。遣魏人甯昌使秦,使者未來。是時章邯已以軍降項羽於趙矣。
新字:楊熊走之滎陽,二世使使者斬以徇。南攻潁陽,屠之。因張良遂略韓地轘轅。当是時,趙別将司馬卬方欲渡河入関,沛公乃北攻平陰,絶河津。南,戦雒陽東,軍不利,還至陽城,収軍中馬騎,与南陽守齮戦犨東,破之。略南陽郡,南陽守齮走,保城守宛。沛公引兵過而西。張良諫曰:「沛公雖欲急入関,秦兵尚衆,距険。今不下宛,宛従後撃,彊秦在前,此危道也。」於是沛公乃夜引兵従他道還,更旗幟,黎明,囲宛城三匝。南陽守欲自剄。其舎人陳恢曰:「死未晩也。」乃踰城見沛公,曰:「臣聞足下約,先入咸陽者王之。今足下留守宛。宛,大郡之都也,連城数十,人民衆,積蓄多,吏人自以為降必死,故皆堅守乗城。今足下尽日止攻,士死傷者必多;引兵去宛,宛必随足下後:足下前則失咸陽之約,後又有彊宛之患。為足下計,莫若約降,封其守,因使止守,引其甲卒与之西。諸城未下者,聞声争開門而待,足下通行無所累。」沛公曰:「善。」乃以宛守為殷侯,封陳恢千戸。引兵西,無不下者。至丹水,高武侯鰓、襄侯王陵降西陵。還攻胡陽,遇番君別将梅鋗,与皆,降析、酈。遣魏人甯昌使秦,使者未来。是時章邯已以軍降項羽於趙矣。
書き下し
楊熊走りて滎陽に之く、二世使者をして斬りて以て徇へしむ。南のかた潁陽を攻め、之を屠る。張良に因りて遂に韓の地轘轅を略す。是の時に当たりて、趙の別将司馬卬方に河を渡りて関に入らんと欲す、沛公乃ち北のかた平陰を攻め、河津を絶つ。南して、雒陽の東に戦ふ、軍利あらず、還りて陽城に至り、軍中の馬騎を収め、南陽の守齮(き)と犨の東に戦ひ、之を破る。南陽郡を略す、南陽の守齮走り、城を保ちて宛を守る。沛公兵を引きて過ぎて西す。張良諫めて曰く、「沛公急ぎ関に入らんと欲すと雖も、秦の兵尚ほ衆く、険を距ぐ。今宛を下さずんば、宛後より撃ち、彊秦前に在り、此れ危道なり。」と。是に於て沛公乃ち夜兵を引きて他道より還り、旗幟を更め、黎明、宛城を囲むこと三匝。南陽の守自剄せんと欲す。其の舎人陳恢曰く、「死すること未だ晩からざるなり。」と。乃ち城を踰えて沛公に見えて、曰く、「臣聞く足下約す、先づ咸陽に入る者は之を王とせんと。今足下留まりて宛を守る。宛は、大郡の都なり、城を連ぬること数十、人民衆く、積蓄多し、吏人自ら以為へらく降らば必ず死せんと、故に皆堅守して城に乗る。今足下尽日止まりて攻めば、士の死傷する者必ず多からん。兵を引きて宛を去らば、宛必ず足下の後に随はん。足下前んでは則ち咸陽の約を失ひ、後ろには又彊宛の患ひ有らん。足下の為に計るに、約して降し、其の守を封じ、因りて止まりて守らしめ、其の甲卒を引きて之と西するに若くは莫し。諸城の未だ下らざる者、声を聞きて争ひて門を開きて待たん、足下通行して累ふ所無からん。」と。沛公曰く、「善し。」と。乃ち宛の守を以て殷侯と為し、陳恢を千戸に封ず。兵を引きて西す、下らざる者無し。丹水に至る、高武侯鰓・襄侯王陵西陵に降る。還りて胡陽を攻め、番君の別将梅鋗に遇ひ、与に皆して、析・酈を降す。魏人甯昌をして秦に使ひせしむ、使者未だ来らず。是の時章邯已に軍を以て項羽に趙に降れり。
現代語訳
楊熊は逃げて滎陽へ行ったが、二世皇帝は使者を送って楊熊を斬り、見せしめにした。沛公は南の潁陽を攻めて、これを皆殺しにした。張良の案内で、そのまま韓の地の轘轅(かんえん)を攻め取った。このとき、趙の別働隊の将の司馬卬が黄河を渡って関中に入ろうとしていたので、沛公は北の平陰を攻めて黄河の渡し場を断ち切った。南へ向かって雒陽の東で戦ったが、戦況は不利で、引き返して陽城に至り、軍中の馬と騎兵を集めて、南陽郡の太守の齮(き)と犨の東で戦い、これを破った。南陽郡を攻め取ると、南陽の太守齮は逃げ、城にこもって宛を守った。沛公は兵を率いて宛を素通りし、西へ進もうとした。張良が諫めて言った。「沛公は急いで関中に入ろうとしておられるが、秦の兵はまだ多く、要害で守りを固めている。いま宛を降さなければ、宛が後ろから攻めてきて、強い秦が前にいることになる。これは危うい道だ」。そこで沛公は夜のうちに兵を率いて別の道から引き返し、旗印を替えて、夜明けには宛城を三重に包囲した。南陽の太守は自ら首をはねようとした。その舎人の陳恢が「死ぬのはまだ早い」と言った。そして城壁を越えて沛公に会いに行き、こう言った。「聞くところによれば、あなたは先に咸陽に入った者を王とするという約束をしておられるとか。いまあなたはとどまって宛を攻めている。宛は大きな郡の都で、連なる城は数十、住民は多く、蓄えも多い。役人や民は、降伏すれば必ず殺されると思っているので、皆堅く守って城壁に上っている。いまあなたが一日中ここにとどまって攻めれば、兵の死傷者は必ず多くなるだろう。兵を率いて宛を去れば、宛は必ずあなたの後を追ってくるだろう。そうなれば、前に進めば咸陽の約束に後れを取り、後ろには強い宛の憂いを抱えることになる。あなたのために考えれば、約束を交わして降伏させ、その太守を封じてそのまま宛を守らせ、兵を率いて一緒に西へ進むのが一番だ。まだ降っていない城々も、その評判を聞けば争って門を開いて待つだろう。あなたは通り抜けるのに何の妨げもなくなる」。沛公は「よかろう」と言った。そこで宛の太守を殷侯とし、陳恢を千戸に封じた。兵を率いて西へ進むと、降らない所はなかった。丹水に至ると、高武侯の鰓と襄侯の王陵が西陵で降った。引き返して胡陽を攻め、番君(呉芮)の別働隊の将の梅鋗に出会い、ともに析と酈を降した。魏の人の甯昌を秦への使者として送ったが、使者はまだ戻ってこなかった。このとき章邯はすでに軍ごと趙の地で項羽に降っていた。
解説
関連する章句
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『新序』善謀第十沛公項籍と、俱に令を楚の懷王に受く。曰く、先に咸陽に入る者之に王たらしめん、と。沛公將に武關より入らんとす。南陽に至りて守戰う。南陽の守齮宛城を保ち、堅く守りて下らず。沛公兵を引きて宛を圍むこと三匝。南陽の守自殺せんと欲す。其の舍人陳恢之を止めて曰く、死するは未だ晩からざるなり、と。是に於いて恢乃ち城を踰えて沛公に見えて曰く、臣聞く、足下先に咸陽に入る者之に王たらしめんと約す、と。今足下兵を留めて日を盡くして宛を圍む。宛は、大郡の都なり。連城數十、人民衆く、蓄積多し。其の吏民自ら以爲えらく降らば而ち死せん、と。故に皆な堅く守りて城に乘る。足下之を攻めば、死傷者必ず多からん。死者未だ收められず、傷者未だ瘳えず。足下日を曠しくせば則ち事留まる。兵を引きて宛を去らば、弊甲を完繕し、凋兵を砥礪して、足下の後に隨わん。足下前には則ち咸陽の約を失い、後には强宛の患い有り。竊かに足下の爲に之を危ぶむ。足下の爲に計る者は、宛の守と約して降して之を封じ、因りて止めて守らしめ、其の甲卒を引きて、之と西のかた擊たしむるに如くは莫し。諸城の未だ下らざる者、聲を聞きて爭いて門を開きて待たん。足下通行して累わさるる所無からん、と。沛公曰く、善し、と。乃ち宛の守を以て殷侯と爲し、陳恢を千戸に封ず。兵を引きて西す。下らざる者無し。遂に先に咸陽に入る。陳恢の謀なり。
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『長短経』覇図秦将の章邯、大いに項梁を定陶に敗る。梁死す。章邯、以為えらく楚は憂うるに足らずと。乃ち北のかた趙を伐つ。楚、項羽等をして趙を救わしめ、沛公を遣わして別に将いて西のかた関に入らしむ。沛公、遂に宛を攻め、之を降す。〈沛公、宛を攻む。南陽太守の呂齮、城を保ちて下らず。沛公、遂に西せんと欲す。張良曰く「強秦は前に在り、宛兵は後に在り。此れ危道なり」と。乃ち宛を囲む。宛急なり。齮、自殺せんと欲す。舎人の陳恢有り、城を踰えて沛公に見えて曰く「宛の吏人は死を懼れて堅く守る。足下、日を尽くして之を攻めば、死殞する者必ず衆し。兵を引きて去らば、宛必ず之に随わん。足下、前には咸陽の約を失い、後には強宛の患い有らん。約して降らしめ、其の守を封じ、其の甲卒を引きて西するに如かず。諸城の未だ下らざる者、必ず門を開きて足下を待たん」と。沛公曰く「善し」と。呂齮を封じて殷侯と為す。〉
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史記 高祖本紀沛公をして西のかた地を略して関に入らしむ。諸将と約す、先づ入りて関中を定むる者は之を王とせんと。是の時に当たりて、秦の兵彊く、常に勝ちに乗じて北ぐるを逐ふ、諸将先づ関に入るを利とする莫し。独り項羽秦の項梁の軍を破りしを怨み、奮ひて、沛公と西のかた関に入らんことを願ふ。懐王の諸老将皆曰く、「項羽の人と為り彊悍猾賊なり。項羽嘗て襄城を攻め、襄城に遺類無く、皆之を阬にす、諸々の過ぐる所残滅せざる無し。且つ楚数(しばしば)進み取らんとし、前の陳王・項梁皆敗る。更に長者を遣はして義に扶りて西し、秦の父兄に告諭するに如かず。秦の父兄其の主に苦しむこと久し、今誠に長者を得て往き、侵暴する毋くんば、宜しく下すべし。今項羽は彊悍なり、今遣はすべからず。独り沛公素より寛大の長者なり、遣はすべし。」と。卒に項羽を許さずして、沛公を遣はして西のかた地を略し、陳王・項梁の散卒を収めしむ。乃ち碭に道して成陽に至り、杠里の秦の軍と壁を夾み、(魏)[秦]の二軍を破る。楚の軍兵を出して王離を撃ち、大いに之を破る。沛公兵を引きて西し、彭越に昌邑に遇ひ、因りて与に倶に秦の軍を攻む、戦ひて利あらず。還りて栗に至り、剛武侯に遇ひ、其の軍を奪ふ、四千余人可り、之を并す。魏の将皇欣・魏の申徒武蒲の軍と并せて昌邑を攻む、昌邑未だ抜けず。西のかた高陽を過ぐ。酈食其監門為り、曰く、「諸将の此を過ぐる者多し、吾沛公を視るに大人長者なり。」と。乃ち見えんことを求めて沛公に説く。沛公方に牀に踞し、両女子をして足を洗はしむ。酈生拝せず、長揖して、曰く、「足下必ず無道の秦を誅せんと欲せば、宜しく踞して長者に見ゆべからず。」と。是に於て沛公起ち、衣を摂めて之に謝し、延きて上坐せしむ。食其沛公に説きて陳留を襲はしめ、秦の積粟を得たり。乃ち酈食其を以て広野君と為し、酈商を将と為し、陳留の兵に将たらしめ、与に偕に開封を攻む、開封未だ抜けず。西のかた秦の将楊熊と白馬に戦ひ、又曲遇の東に戦ひ、大いに之を破る。
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史記 高祖本紀御史大夫周苛・魏豹・樅公をして滎陽を守らしむ。諸将卒の従ふ能はざる者、尽く城中に在り。周苛・樅公相謂ひて曰く、「反国の王は、与に城を守り難し。」と。因りて魏豹を殺す。漢王の滎陽を出でて関に入るや、兵を収めて復た東せんと欲す。袁生漢王に説きて曰く、「漢楚と滎陽に相距ぐこと数歳、漢常に困しむ。願はくは君王武関を出でよ、項羽必ず兵を引きて南に走らん、王壁を深くし、滎陽・成皋の間をして且く休むを得しめよ。韓信等をして河北の趙の地を輯め、燕・斉に連ならしめ、君王乃ち復た滎陽に走るも、未だ晩からざるなり。此くの如くせば、則ち楚の備ふる所の者多く、力分かれ、漢休むを得て、復た之と戦はば、楚を破ること必せり。」と。漢王其の計に従ひ、軍を宛・葉の間に出だし、黥布と行くゆく兵を収む。項羽漢王の宛に在るを聞き、果たして兵を引きて南す。漢王壁を堅くして与に戦はず。是の時彭越睢水を渡り、項声・薛公と下邳に戦ひ、彭越大いに楚の軍を破る。項羽乃ち兵を引きて東のかた彭越を撃つ。漢王も亦兵を引きて北し成皋に軍す。項羽已に彭越を破り走らせ、漢王復た成皋に軍すと聞き、乃ち復た兵を引きて西し、滎陽を抜き、周苛・樅公を誅し、而して韓王信を虜にし、遂に成皋を囲む。漢王跳(のが)れ、独り滕公と車を共にして成皋の玉門を出で、北のかた河を渡り、馳せて修武に宿す。自ら使者と称し、晨に馳せて張耳・韓信の壁に入り、而して其の軍を奪ふ。乃ち張耳をして北のかた益々兵を趙の地に収めしめ、韓信をして東のかた斉を撃たしむ。漢王韓信の軍を得て、則ち復た振るふ。兵を引きて河に臨み、南のかた軍を小修武の南に饗し、復た戦はんと欲す。郎中鄭忠乃ち説きて漢王を止め、塁を高くし塹を深くして、与に戦ふ勿からしむ。漢王其の計を聴き、盧綰・劉賈をして卒二万人、騎数百を将ゐて、白馬津を渡り、楚の地に入らしむ、彭越と復た楚の軍を燕郭の西に撃破し、遂に復た梁の地十余城を下す。淮陰已に命を受けて東す、未だ平原を渡らず。
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史記 留侯世家項伯嘗て人を殺し、良に従ひて匿る。後十年、陳渉等兵を起こす、良も亦た少年百余人を聚む。景駒自ら立ちて楚の仮王と為り、留に在り。良往きて之に従はんと欲し、道にして沛公に還ふ。沛公数千人を将ゐ、地を下邳の西に略す、遂に焉に属す。沛公良を拝して廄将と為す。良数々太公兵法を以て沛公に説く、沛公之を善しとし、常に其の策を用ふ。良他人の為にする者は、皆省みず。良曰く、「沛公は殆ど天授なり」と。故に遂に之に従ひ、去りて景駒に見えず。沛公の薛に之きて、項梁に見ゆるに及び、項梁楚の懐王を立つ。良乃ち項梁に説きて曰く、「君已に楚の後を立つ、而して韓の諸公子横陽君成は賢なり、立てて王と為すべし、益々党を樹てん」と。項梁良をして韓成を求めしめ、立てて以て韓王と為す。良を以て韓の申徒と為し、韓王と千余人を将ゐて西のかた韓の地を略し、数城を得るも、秦輒ち復た之を取る、往来して游兵を潁川に為す。沛公の雒陽より南のかた轘轅に出づるや、良兵を引きて沛公に従ひ、韓の十余城を下し、楊熊の軍を撃破す。沛公乃ち韓王成をして陽翟に留守せしめ、良と倶に南し、宛を攻め下し、西のかた武関に入る。沛公兵二万人を以て秦の嶢下の軍を撃たんと欲す、良説きて曰く、「秦の兵尚ほ強し、未だ軽んずべからず。臣聞く、其の将は屠者の子なりと、賈豎は動かすに利を以てし易し。願はくは沛公且く留まりて壁し、人をして先行せしめ、五万人の為に食を具へ、益々為に旗幟を諸山の上に張り、疑兵と為し、酈食其をして重宝を持して秦の将に啗はしめよ」と。秦の将果たして叛き、連和して倶に西のかた咸陽を襲はんと欲す、沛公之を聴かんと欲す。良曰く、「此れ独り其の将叛かんと欲するのみ、恐らくは士卒従はざらん。従はずんば必ず危ふし、其の解くるに因りて之を撃つに如かず」と。沛公乃ち兵を引きて秦軍を撃ち、大いに之を破る。遂に北のかた藍田に至り、再び戦ひ、秦の兵竟に敗る。遂に咸陽に至り、秦王子嬰沛公に降る。
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史記 高祖本紀初め、項羽宋義と北のかた趙を救ふ、項羽の宋義を殺し、代はりて上将軍と為るに及び、諸将黥布皆属し、秦の将王離の軍を破り、章邯を降し、諸侯皆附く。趙高已に二世を殺すに及び、人をして来らしめ、約して関中に分王せんと欲す。沛公以て詐りと為し、乃ち張良の計を用ゐ、酈生・陸賈をして往きて秦の将に説き、啗はすに利を以てせしめ、因りて武関を襲攻し、之を破る。又秦の軍と藍田の南に戦ひ、益々疑兵の旗幟を張り、諸々の過ぐる所掠鹵するを得る毋からしむ、秦人喜び、秦の軍解く、因りて大いに之を破る。又其の北に戦ひ、大いに之を破る。勝ちに乗じて、遂に之を破る。漢の元年十月、沛公の兵遂に諸侯に先んじて霸上に至る。
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