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説苑 / 反質

衛有五丈夫,俱負缶而入井灌韭,終日一區。鄧析過,下車為教之,曰:「為機,重其後,輕其前,命曰橋。終日灌韭,百區不倦。」五丈夫曰:「吾師言曰:有機知之巧,必有機知之敗;我非不知也,不欲為也。子其往矣,我一心溉之,不知改已!」鄧析去,行數十里,顏色不悅懌,自病。弟子曰:「是何人也?而恨我君,請為君殺之。」鄧析曰:「釋之,是所謂真人者也。可令守國。」

新字:衛有五丈夫,俱負缶而入井灌韭,終日一区。鄧析過,下車為教之,曰:「為機,重其後,軽其前,命曰橋。終日灌韭,百区不倦。」五丈夫曰:「吾師言曰:有機知之巧,必有機知之敗;我非不知也,不欲為也。子其往矣,我一心溉之,不知改已!」鄧析去,行数十里,顏色不悅懌,自病。弟子曰:「是何人也?而恨我君,請為君殺之。」鄧析曰:「釈之,是所謂真人者也。可令守国。」

書き下し

衛に五丈夫有り、俱に缶を負いて井に入りて韭に灌ぐ、終日一區。鄧析過ぎて、車を下りて之に教えて曰く、「機を為り、其の後を重くし、其の前を輕くす、命じて橋と曰う。終日韭に灌ぎて、百區倦まず。」と。五丈夫曰く、「吾が師言いて曰く、機知の巧有れば、必ず機知の敗有りと。我知らざるに非ず、為さんと欲せざるなり。子其れ往け、我一心に之に溉ぎ、改むるを知らざるのみ!」と。鄧析去りて、行くこと數十里、顏色悅懌せず、自ら病む。弟子曰く、「是れ何人ぞや?而して我が君を恨む、請う君の為に之を殺さん。」鄧析曰く、「之を釋けよ、是れ所謂眞人なる者なり。國を守らしむべし。」と。

現代語訳

衛の国に五人の男たちがいた。皆で瓶を背負って井戸に入り、韮に水をやっていたが、一日中かかってようやく一区画分であった。鄧析がそこを通りかかり、車を降りて彼らに教えて言った。「機械(はねつるべ)を作り、その後ろを重くし、前を軽くする。これを『橋(はねつるべ)』という。一日中韮に水をやっても、百区画やっても疲れないほど楽になる。」五人の男たちは言った。「私たちの師はこう言っています。『機械の巧妙さがあれば、必ず機械にまつわる失敗もある』と。私たちはそれを知らないわけではなく、そうしたくないだけなのです。あなたはどうぞお引き取りください。私たちはひたすら一心に水をやるだけで、やり方を変えようとは思いません。」鄧析はそこを去り、数十里ほど歩いたが、顔色は晴れず、自ら気に病んでいた。弟子が「あれは何者ですか。あなた様を恨むような態度をとりました。どうかあなた様のために彼らを罰させてください」と言った。鄧析は言った。「放っておきなさい。彼らこそいわゆる『真人(真に道を体得した人)』というものだ。国を守らせるにふさわしい人物たちだ。」

解説

効率的な技術(はねつるべ)を教えられても、それを拒み、あえて非効率な方法を選び続けた五人の男たちの姿は、荘子的な思想―機械の便利さは心の巧智(機心)を生み、それが純粋さを損なうという発想―を体現している。鄧析が最初は不満げにしながらも、最終的に彼らを「真人」と認め「国を守らせるべき人物」とまで評価した転換は、効率や生産性だけが価値の唯一の尺度ではなく、便利さを拒んで一途に生きる純朴さにこそ、揺るがない徳と信頼性が宿るという逆説的な洞察を伝えている。効率化・自動化が善とされがちな現代において、あえて手間のかかる道を選ぶことの意味を問い直す一章である。

この章句が説くこと

機心効率と純朴真人

この一句を、あなたの毎日に。

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