説苑 / 修文
古者有菑者謂之厲,君一時素服,使有司弔死問疾,憂以巫醫,匍匐以救之,湯粥以方之。善者必先乎鰥寡孤獨,及病不能相養,死無以葬埋,則葬埋之。有親喪者不呼其門,有齊衰大功,五月不服力役之征,有小功之喪者未葬,不服力役之征。其有重尸多死者,急則有聚眾,童子擊鼓苣火,入官宮里用之,各擊鼓苣火,逐官宮里。家之主人冠立於阼,事畢出乎里門,出乎邑門,至野外;此匍匐救厲之道也。師大敗亦然。
新字:古者有菑者謂之厲,君一時素服,使有司弔死問疾,憂以巫医,匍匐以救之,湯粥以方之。善者必先乎鰥寡孤独,及病不能相養,死無以葬埋,則葬埋之。有親喪者不呼其門,有斉衰大功,五月不服力役之征,有小功之喪者未葬,不服力役之征。其有重尸多死者,急則有聚衆,童子撃鼓苣火,入官宮里用之,各撃鼓苣火,逐官宮里。家之主人冠立於阼,事畢出乎里門,出乎邑門,至野外;此匍匐救厲之道也。師大敗亦然。
書き下し
古は菑有る者、之を厲と謂う、君一時素服し、有司をして死を弔い疾を問わしめ、憂うるに巫醫を以てし、匍匐して以て之を救い、湯粥もて之に方う。善なる者は必ず鰥寡孤獨を先にし、病みて相養う能わず、死して葬埋する無きに及べば、則ち之を葬埋す。親喪有る者は其の門を呼ばず、齊衰大功有れば、五月力役の征に服せず、小功の喪有る者未だ葬らざれば、力役の征に服せず。其れ重尸多死する者有れば、急なれば則ち眾を聚むる有り、童子鼓を擊ち苣火し、官宮里に入りて之を用う、各おの鼓を擊ち苣火し、官宮里を逐う。家の主人冠して阼に立ち、事畢りて里門を出で、邑門を出でて、野外に至る。此れ匍匐して厲を救うの道なり。師大敗するも亦然り。
現代語訳
古代には、疫病の災いがある場合、これを「厲」といった。君主はしばらくの間喪服に近い簡素な服を着て、役人に命じて死者を弔い病人を見舞わせ、巫医(祈祷師と医者)に憂いを託し、這うようにして懸命に救助にあたり、重湯や粥を処方させた。善政を行う者は必ず、身寄りのない鰥夫・寡婦・孤児・独居老人を優先し、病気で互いに養い合うことができなくなった者、死んでも埋葬してくれる者がいない者があれば、これを埋葬した。親の喪に服している家には呼びかけて役務を課さず、斉衰や大功の喪に服している者には五か月間労役の徴発を科さず、小功の喪でまだ埋葬していない者にも労役の徴発を科さなかった。多くの死者や重い病人が出た場合には、緊急時には人々を集め、子供たちに太鼓を打たせ松明を灯させて、役所や邸宅の中に入りこれを用い、それぞれ太鼓を打ち松明を灯して、疫病を役所や邸宅から追い払った。家の主人は冠をつけて東の階段(主人の位置)に立ち、事が終われば里の門を出て、邑の門を出て、野外に至る。これが這うようにして疫病から人々を救う道である。軍が大敗した場合も同様である。
解説

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