葉隠 / 聞書第二
火事の節、請取の場へ駈附くる事は火消の爲ばかりにはあらず、敵方又は逆心の者共は附火をして共の騒ぎの紛れに取りかくる事あり。其の心持を仕るべき事なり。火事の不掛合は不覺悟なり。御門々々の固めも其の爲なり。又、御法事の節の勘忍番は、常々心掛あるべき爲なり。寸善尺魔にて、法會には必ず邪魔入り來るものなり。喧嘩口論其の外不意の事これある節、御法事の障りにならざる樣に、早速取鎭むる役と心得て、勘忍番仕るべき事なり。斯様のこと我人能く存じたる事なれども、多分うかと罷出づる故、事に臨みて仕後れ申すと相見え候。
新字:火事の節、請取の場へ駈附くる事は火消の為ばかりにはあらず、敵方又は逆心の者共は附火をして共の騒ぎの紛れに取りかくる事あり。其の心持を仕るべき事なり。火事の不掛合は不覚悟なり。御門々々の固めも其の為なり。又、御法事の節の勘忍番は、常々心掛あるべき為なり。寸善尺魔にて、法会には必ず邪魔入り来るものなり。喧嘩口論其の外不意の事これある節、御法事の障りにならざる様に、早速取鎮むる役と心得て、勘忍番仕るべき事なり。斯様のこと我人能く存じたる事なれども、多分うかと罷出づる故、事に臨みて仕後れ申すと相見え候。
書き下し
火事の節、請取(うけとり)の場へ駈附(かけつ)くる事は火消の為ばかりにはあらず、敵方又は逆心の者共は附火(つけび)をして、共の騒ぎの紛れに取りかくる事あり。其の心持(こころもち)を仕(つかまつ)るべき事なり。火事の不掛合(ふかけあい)は不覚悟なり。御門々々(ごもんもん)の固めも其の為なり。又、御法事の節の勘忍番は、常々心掛あるべき為なり。寸善尺魔(すんぜんしゃくま)にて、法会には必ず邪魔入り来(きた)るものなり。喧嘩口論其の外不意の事これある節、御法事の障りにならざる様に、早速取鎮(とりしず)むる役と心得て、勘忍番仕るべき事なり。斯様(かよう)のこと我人(われひと)能(よ)く存じたる事なれども、多分うかと罷出(まかりい)づる故、事に臨みて仕後(しおく)れ申すと相見え候。
現代語訳
火事場での掛け合いは、敵方や謀反人を警戒するためであり、法事の際の堪忍番の心得も同じである。火事のとき現場へ駆けつけるのは、火消しのためばかりではない。敵方や逆心の者が放火し、その騒ぎに紛れて襲いかかることがあるからだ。その用心を怠ってはならない。火事に駆けつけないのは覚悟が足りぬ証拠である。城の門々を固めるのもこのためだ。また法事の際の堪忍番は、日頃から心掛けておくべき役目である。よいことには必ず魔が差すもので、法会には決まって邪魔が入る。喧嘩口論やその他の不意の事が起きたとき、法事の妨げにならぬよう、すぐさま取り鎮める役だと心得て勤めるべきである。こうしたことは誰もがよく承知しているのに、たいていうかうかと出てしまうから、いざというときに後れを取るのだと見える。
解説
この章句が説くこと
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
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葉隠・聞書第十一白刄(しらは)持ちたる者に行逢(ゆきあ)い候(そうろう)時の事。向(むこう)より物を云わば、此方よりも物を云わず。向より詞(ことば)を出し候わば、此方何のかまいなしに、「通るべし。」と云いて、行逢いざまに、その儘(まま)詞を懸くべし。「行懸(ゆきかか)りたる事なれば、拔身(ぬきみ)を持ちて通り候わば、其の分にては置きがたし。」と云いて跡(あと)より追懸(おいか)くべし。德(とく)有り。口傳(くでん)。脇(わき)より見てよし。最前(さいぜん)も道の眞中(まんなか)を通るべし。又行向(ゆきむか)い、その儘さすべし。若(も)し手向(てむか)い候わば運次第なり。
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孫子・九変篇故に兵を用うるの法は、其の来たらざるを恃む無く、吾に以て之を待つ有るを恃む。其の攻めざるを恃む無く、吾に攻むべからざる所有るを恃むなり。
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論語・雍也篇子曰わく、伯牛に疾あり。子これを問う。牖にてその手を執りて曰く、亡びぬ、命なるかな!斯の人にして斯の疾有るかな、斯の人にして斯の疾有るかな!
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論語・季氏篇季氏、将に顓臾を伐たんとす。冉有・季路、孔子に見えて曰く、「季氏、将に顓臾に事有らんとす。」孔子曰く、「求、乃ち爾是れ過てるに無からんや。夫れ顓臾は、昔者先王以て東蒙の主と為し、且つ邦域の中に在り。是れ社稷の臣なり。何を以て伐つことを為さん。」冉有曰く、「夫子之を欲す。吾二臣なる者は、皆欲せざるなり。」孔子曰く、「求、周任言えること有り、曰く、『力を陳べて列に就き、能わざれば止む』と。危うくして持せず、顛れて扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾の言過てり。虎兕柙より出で、亀玉櫝中に毀るるは、是れ誰の過ちぞや。」冉有曰く、「今夫の顓臾は、固くして費に近し。今取らずんば、後世必ず子孫の憂いと為らん。」孔子曰く、「求、君子は夫の之を欲すと曰うを舍きて、必ず之が辞を為すを疾む。丘や、聞く、国を有ち家を有つ者は、寡なきを患えずして均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患う、と。蓋し均しければ貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安ければ傾くこと無し。夫れ是くの如し。故に遠人服せざれば、則ち文徳を修めて以て之を来す。既に之を来せば、則ち之を安んず。今由と求とは、夫子を相けて、遠人服せずして来すこと能わず、邦分崩離析して守ること能わず、而して干戈を邦内に動かさんことを謀る。吾恐る、季孫の憂いは、顓臾に在らずして、蕭牆の内に在らんことを。」