説苑 / 雜言
越石父曰:「不肖人,自賢也;愚者,自多也;佞人者,皆莫能相其心口以出之,又謂人勿言也。譬之猶渴而穿井,臨難而後鑄兵,雖疾從而不及也。」
新字:越石父曰:「不肖人,自賢也;愚者,自多也;佞人者,皆莫能相其心口以出之,又謂人勿言也。譬之猶渴而穿井,臨難而後鋳兵,雖疾従而不及也。」
書き下し
越石父曰く、「不肖の人は自ら賢とし、愚者は自ら多しとす。佞人は、皆其の心口を相たすけて以て之を出だす能わず、又人に言う勿かれと謂う。之を譬うれば猶お渇して井を穿ち、難に臨みて後に兵を鋳るがごとし、疾く従うと雖も及ばざるなり」と。
現代語訳
越石父は言った。「愚かで至らない人間は自分を賢いと思い込み、愚か者は自分を優れていると思い込む。へつらう者たちは、皆その心と口を一致させて本音を語ることができず、その上で他人には黙っているようにと言う。これはたとえるならば、喉が渇いてから井戸を掘り、危機に臨んでから武器を鋳造するようなものであり、いくら急いで対応しても間に合わないのと同じことである」と。
解説
己を知らない者ほど自分を過大評価し、へつらう者は心と口が一致しないまま本音を隠して他人にも沈黙を強いるという指摘のあと、越石父はそうした後手に回った対応を喉が渇いてから井戸を掘るという有名な比喩でたとえ、事が起きてから慌てて備えても手遅れだと結ぶ。現代の組織やリスク管理においても、自己認識の甘さや本音を言わない忖度の文化を放置したまま危機に直面してから対策を講じようとしても、間に合わないことがほとんどである。この章の教訓は、自己評価の甘さやへつらいの構造は平時のうちに正しておかねばならず、事が起きてからの準備では遅すぎるという、平生の備えの重要性である。
この章句が説くこと
平生の備え自己認識渇して井を穿つ
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