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説苑 / 說叢

口者,關也;舌者,機也。出言不當,四馬不能追也。口者,關也;舌者,兵也;出言不當,反自傷也。言出於己,不可止於人;行發於邇,不可止於遠。夫言行者君子之樞機,樞機之發,榮辱之本也,可不慎乎?故蒯子羽曰:「言猶射也。栝既離弦,雖有所悔焉,不可從而追已。」詩曰:「白珪之玷,尚可磨也,斯言之玷,不可為也。」

新字:口者,関也;舌者,機也。出言不当,四馬不能追也。口者,関也;舌者,兵也;出言不当,反自傷也。言出於己,不可止於人;行発於邇,不可止於遠。夫言行者君子之枢機,枢機之発,栄辱之本也,可不慎乎?故蒯子羽曰:「言猶射也。栝既離弦,雖有所悔焉,不可従而追已。」詩曰:「白珪之玷,尚可磨也,斯言之玷,不可為也。」

書き下し

口は關なり、舌は機なり。言を出だすこと當たらざれば、四馬も追う能わざるなり。口は關なり、舌は兵なり。言を出だすこと當たらざれば、反って自ら傷つくなり。言は己より出でて、人に止むべからず。行いは邇きより發して、遠きに止むべからず。夫れ言行は君子の樞機なり。樞機の發は、榮辱の本なり。慎まざるべけんや。故に蒯子羽曰く、「言は猶お射るがごときなり。栝既に弦を離るれば、悔ゆる所有りと雖も、從いて追う可からざるのみ。」詩に曰く、「白珪の玷は、尚お磨くべきなり。斯の言の玷は、為すべからざるなり。」

現代語訳

口は関門であり、舌はからくり(引き金)である。言葉を発してそれが適切でなければ、四頭立ての馬車をもってしても追いつくことはできない。口は関門であり、舌は武器である。言葉を発してそれが適切でなければ、かえって自分自身を傷つけることになる。言葉は自分自身から発せられるが、他人がそれを止めることはできない。行いは身近なところから始まり、遠くまで及ぶのを止めることはできない。そもそも言葉と行いは君子にとっての要となるものであり、その発動は栄誉と恥辱の根本である。慎まずにいられようか。だから蒯子羽は言った。「言葉は矢を射るようなものだ。矢がすでに弦を離れてしまえば、たとえ悔いることがあっても、追いかけて取り戻すことはできない。」詩経には言う。「白い玉の傷は、まだ磨いて直すことができる。しかしこの言葉の傷は、直すことができないのだ。」

解説

口と舌を関門・仕掛け・武器に例え、言葉の不可逆性を繰り返し強調する章である。蒯子羽の「言は猶お射るがごときなり」という比喩は、いったん放たれた言葉は矢のように取り戻せないという真理を鮮烈に描き出しており、詩経を引いて玉の傷は磨けても言葉の傷は消せないと結ぶ構成は説得力に富む。SNSでの発言が瞬時に拡散し、削除しても記録が残り続ける現代社会において、この教えはむしろ古代よりも切実な意味を持つ。発言する前に、その一言が取り返しのつかないものであるという自覚を持つことが、何より重要である。

この章句が説くこと

言葉の不可逆性慎言君子の枢機

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