説苑 / 指武
齊人王滿生見周公,周公出見之,曰:「先生遠辱,何以教之?」王滿生曰:「言內事者於內,言外事者於外,今言內事乎?言外事乎?」周公導入。王滿生曰:「敬從。」布席,周公不導坐。王滿生曰:「言大事者坐,言小事者倚。今言大事乎?言小事乎?」周公導坐。王滿生坐。周公曰:「先生何以教之?」王滿生曰:「臣聞聖人不言而知,非聖人者雖言不知。今欲言乎?無言乎?」周公俛念,有頃,不對。王滿生藉筆牘書之曰:「社稷且危,傅之於膺。」周公仰視見書曰:「唯!唯!謹聞命矣。」明日誅管蔡。
新字:斉人王満生見周公,周公出見之,曰:「先生遠辱,何以教之?」王満生曰:「言内事者於内,言外事者於外,今言内事乎?言外事乎?」周公導入。王満生曰:「敬従。」布席,周公不導坐。王満生曰:「言大事者坐,言小事者倚。今言大事乎?言小事乎?」周公導坐。王満生坐。周公曰:「先生何以教之?」王満生曰:「臣聞聖人不言而知,非聖人者雖言不知。今欲言乎?無言乎?」周公俛念,有頃,不対。王満生藉筆牘書之曰:「社稷且危,傅之於膺。」周公仰視見書曰:「唯!唯!謹聞命矣。」明日誅管蔡。
書き下し
齊人王滿生周公に見ゆ、周公出でて之に見えて曰く、「先生遠く辱くし、何を以て之を教えんとするか」と。王滿生曰く、「內事を言う者は內に於てし、外事を言う者は外に於てす、今內事を言わんか、外事を言わんか」と。周公導きて入る。王滿生曰く、「敬みて從わん」と。席を布くも、周公坐に導かず。王滿生曰く、「大事を言う者は坐し、小事を言う者は倚る、今大事を言わんか、小事を言わんか」と。周公坐に導く。王滿生坐す。周公曰く、「先生何を以て之を教えんとするか」と。王滿生曰く、「臣聞く聖人は言わずして知り、聖人に非ざる者は言うと雖も知らずと。今言わんと欲するか、言うこと無からんか」と。周公俛して念い、頃有りて、對えず。王滿生筆牘を藉りて之に書して曰く、「社稷且に危うからんとす、之を膺に傅けよ」と。周公仰ぎ視て書を見て曰く、「唯唯、謹みて命を聞けり」と。明日管蔡を誅す。
現代語訳
斉の人、王満生が周公に面会を求めた。周公は自ら出迎えて、「先生わざわざお越しくださり、何を私にお教えくださるのか」と言った。王満生は言った、「国内の事を話す者は内々で話し、国外の事を話す者は表立って話すものです。今は国内の事をお話ししましょうか、国外の事をお話ししましょうか」と。周公は彼を屋敷の中へ案内した。王満生は「謹んでお従いします」と言った。座席を用意したが、周公はすぐには着座するよう案内しなかった。王満生は言った、「大事を語る者は座り、小事を語る者は立ったまま寄りかかるものです。今は大事をお話ししましょうか、小事をお話ししましょうか」と。周公は座るよう案内した。王満生は座った。周公が「先生は私に何をお教えくださるのか」と尋ねると、王満生は言った、「私が聞くところでは、聖人は言葉にせずとも物事を知り、聖人でない者は言葉にしてもなお知ることができないといいます。今、言葉にしてお話ししましょうか、それとも言葉にせずにおきましょうか」と。周公はうつむいて考え込み、しばらくの間答えなかった。王満生は筆と木簡を借りて、そこに「国家はまさに危うくなろうとしている。これを胸に留めておかれよ」と書きつけた。周公はそれを仰ぎ見て文字を見ると、「はい、はい、謹んでお言葉を承りました」と言った。翌日、管叔と蔡叔を誅殺した。
解説

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史記 管蔡世家武王既に崩じ、成王少し、周公旦王室を専らにす。管叔・蔡叔周公の成王に利あらざらんとするを疑ひ、乃ち武庚を挟みて以て乱を作す。周公旦成王の命を承けて武庚を伐ち誅し、管叔を殺し、而して蔡叔を放つ。康叔封・冉季載皆馴行有り、是に於て周公康叔を挙げて周の司寇と為し、冉季を司空と為し、以て成王を佐けて治めしむ、皆天下に令名有り。
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説苑・權謀衛の靈公襜被して以て婦人と遊ぶ。子貢公に見ゆ。公曰く、「衛其れ亡びんか」と。對へて曰く、「昔者夏の桀、殷の紂は其の過を任ぜざる故に亡ぶ。成湯・文武は其の過を任ずるを知る故に興る。衛奚ぞ其れ亡びんや」と。
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説苑・君道成王、唐叔虞と燕居し、梧桐の葉を剪りて以て珪と為し、唐叔虞に授けて曰く、「余此を以て汝に封ぜん」と。唐叔虞喜びて、以て周公に告ぐ。周公以て請いて曰く、「天子虞に封ずるか」と。成王曰く、「余一に虞と戯るるなり」と。周公対えて曰く、「臣之を聞く、天子に戯言無し、言えば則ち史之を書し、工之を誦し、士之を称すと」と。是に於いて遂に唐叔虞を晋に封ず。周公旦善く説くと謂うべし。一たび称して成王言を重んずるを益し、弟を愛するの義を明らかにし、王室を輔くるの固き有り。
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国語・周語中簡王の八年、魯の成公来朝す。叔孫僑如(きょうじょ)をして先ず聘して且つ告げしむ。王孫説(おうそんえつ)に見え、之と語る。説王に言いて曰く、「魯の叔孫の来たるや、必ず異なること有らん。其の享覲(きょうきん)の幣薄くして言諂(へつら)う、殆(ほとん)ど之を請えるならん。若し之を請えば、必ず賜わらんと欲するなり。魯の執政唯強(きょう)なり、故に歓ばずして後に之を遣わす。且つ其の状は方上にして鋭下なり、宜しく人に触冒すべし。王其れ賜うこと勿れ。若し貪陵の人来たりて其の願いを盈たさば、是れ善を賞せざるなり、且つ財給せず。故に聖人の施舎(ししゃ)や之を議し、其の喜怒取与も亦之を議す。是を以て寛恵を主とせず、亦猛毅を主とせず、徳義を主とするのみ」と。王曰く、「諾」と。私(ひそ)かに諸(これ)を魯に問わしむれば、之を請いしなり。王遂に賜わず、礼は行人の如くす。魯侯至るに及び、仲孫蔑(ちゅうそんべつ)介と為る。王孫説之と語る、説(よろこ)びて譲る。説以て王に語る。王厚く之に賄(まいな)う。
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史記 魯周公世家管・蔡・武庚等、果して淮夷を率ゐて反す。周公乃ち成王の命を奉じ、師を興して東伐し、大誥を作る。遂に管叔を誅し、武庚を殺し、蔡叔を放つ。殷の余民を収め、以て康叔を衛に封じ、微子を宋に封じて、以て殷の祀を奉ぜしむ。淮夷・東土を寧んじ、二年にして畢く定まる。諸侯咸な宗周に服す。天、祉福を降し、唐叔、禾を得たり。畝を異にして穎を同じくす。之を成王に献ず。成王、唐叔に命じて以て周公に東土に餽らしめ、餽禾を作る。周公既に命禾を受け、天子の命を嘉して、嘉禾を作る。東土以て集まり、周公帰りて成王に報じ、乃ち詩を為りて王に貽り、之を命じて鴟鴞と曰ふ。王も亦未だ敢て周公を訓めず。成王の七年二月乙未、王、朝に周より歩みて豊に至り、太保召公をして先づ雒に之きて土を相せしむ。其の三月、周公往きて成周の雒邑を営み、居を卜するに、吉と曰ふ。遂に之に国す。成王長じ、能く政を聴く。是に於て周公乃ち政を成王に還し、成王朝に臨む。周公の成王に代りて治むるや、南面して依を倍にして以て諸侯を朝せしむ。七年の後に及び、政を成王に還し、北面して臣の位に就き、匔匔として畏るるが如く然り。初め、成王少き時、病む。周公乃ち自ら其の蚤を揃りて之を河に沈め、以て神に祝して曰く、「王少くして未だ識有らず。神の命を奸す者は乃ち旦なり」と。亦其の策を府に蔵す。成王の病瘳ゆる有り。成王の事を用ふるに及び、人或いは周公を譖す。周公、楚に奔る。成王、府を発きて、周公の禱書を見、乃ち泣き、周公を反す。周公帰り、成王の壮にして、治むるに淫佚する所有らんことを恐れ、乃ち多士を作り、毋逸を作る。毋逸に称す、「人の父母と為りては、業を為すこと長久に至る。子孫驕奢にして之を忘れ、以て其の家を亡ぼす。人の子と為りて慎まざる可けんや。故に昔、殷の王中宗に在りては、厳恭にして天命を敬畏し、自ら度りて民を治め、震懼して敢て荒寧せず。故に中宗、国を饗くること七十五年。