説苑 / 指武
武王將伐紂。召太公望而問之曰:「吾欲不戰而知勝,不卜而知吉,使非其人,為之有道乎?」太公對曰:「有道。王得眾人之心,以圖不道,則不戰而知勝矣;以賢伐不肖,則不卜而知吉矣。彼害之,我利之。雖非吾民,可得而使也。」武王曰:「善。」乃召周公而問焉,曰:「天下之圖事者,皆以殷為天子,以周為諸侯,以諸侯攻天子,勝之有道乎?」周公對曰:「殷信天子,周信諸侯,則無勝之道矣,何可攻乎?」武王忿然曰:「汝言有說乎?」周公對曰:「臣聞之,攻禮者為賊,攻義者為殘,失其民制為匹夫,王攻其失民者也,何攻天子乎?」武王曰:「善。」乃起眾舉師,與殷戰於牧之野,大敗殷人。上堂見玉,曰:「誰之玉也?」曰:「諸侯之玉。」即取而歸之於諸侯。天下聞之,曰:「武王廉於財矣。」入室見女,曰:「誰之女也?」曰:「諸侯之女也。」即取而歸之於諸侯。天下聞之,曰:「武王廉於色也。」於是發巨橋之粟,散鹿臺之財金錢以與士民,黜其戰車而不乘,弛其甲兵而弗用,縱馬華山,放牛桃林,示不復用。天下聞者,咸謂武王行義於天下,豈不大哉?
新字:武王将伐紂。召太公望而問之曰:「吾欲不戦而知勝,不卜而知吉,使非其人,為之有道乎?」太公対曰:「有道。王得衆人之心,以図不道,則不戦而知勝矣;以賢伐不肖,則不卜而知吉矣。彼害之,我利之。雖非吾民,可得而使也。」武王曰:「善。」乃召周公而問焉,曰:「天下之図事者,皆以殷為天子,以周為諸侯,以諸侯攻天子,勝之有道乎?」周公対曰:「殷信天子,周信諸侯,則無勝之道矣,何可攻乎?」武王忿然曰:「汝言有説乎?」周公対曰:「臣聞之,攻礼者為賊,攻義者為残,失其民制為匹夫,王攻其失民者也,何攻天子乎?」武王曰:「善。」乃起衆舉師,与殷戦於牧之野,大敗殷人。上堂見玉,曰:「誰之玉也?」曰:「諸侯之玉。」即取而帰之於諸侯。天下聞之,曰:「武王廉於財矣。」入室見女,曰:「誰之女也?」曰:「諸侯之女也。」即取而帰之於諸侯。天下聞之,曰:「武王廉於色也。」於是発巨橋之粟,散鹿台之財金銭以与士民,黜其戦車而不乗,弛其甲兵而弗用,縦馬華山,放牛桃林,示不復用。天下聞者,咸謂武王行義於天下,豈不大哉?
書き下し
武王將に紂を伐たんとす。太公望を召して之に問いて曰く、「吾戰わずして勝ちを知り、卜せずして吉を知らんと欲す、其の人に非ざるを使うに、之を為すに道有りや」と。太公對えて曰く、「道有り。王眾人の心を得て、以て不道を圖らば、則ち戰わずして勝ちを知らん。賢を以て不肖を伐たば、則ち卜せずして吉を知らん。彼之を害すれば、我之を利す。吾が民に非ずと雖も、得て使うべし」と。武王曰く、「善し」と。乃ち周公を召して之に問いて曰く、「天下の事を圖る者、皆殷を以て天子と為し、周を以て諸侯と為す、諸侯を以て天子を攻む、之に勝つに道有りや」と。周公對えて曰く、「殷信に天子たり、周信に諸侯たらば、則ち勝つの道無し、何ぞ攻むべけんや」と。武王忿然として曰く、「汝の言說有るか」と。周公對えて曰く、「臣之を聞く、禮を攻むる者は賊と為し、義を攻むる者は殘と為し、其の民を制するを失えば匹夫と為ると。王は其の民を失う者を攻むるなり、何ぞ天子を攻めんや」と。武王曰く、「善し」と。乃ち眾を起こし師を舉げ、殷と牧の野に戰い、大いに殷人を敗る。堂に上り玉を見て、曰く、「誰の玉ぞや」と。曰く、「諸侯の玉なり」と。即ち取りて之を諸侯に歸す。天下之を聞き、曰く、「武王財に廉なり」と。室に入り女を見て、曰く、「誰の女ぞや」と。曰く、「諸侯の女なり」と。即ち取りて之を諸侯に歸す。天下之を聞き、曰く、「武王色に廉なり」と。是に於て巨橋の粟を發し、鹿臺の財金錢を散じて以て士民に與え、其の戰車を黜けて乘らず、其の甲兵を弛めて用いず、馬を華山に縱ち、牛を桃林に放ち、復た用いざるを示す。天下之を聞く者、咸武王天下に義を行うと謂う、豈に大ならずや。
現代語訳
武王が今まさに紂王を討伐しようとしていた。太公望を召してこれに尋ねた、「私は戦わずして勝利を知り、占わずして吉を知りたいと思う。ふさわしい人材でない者を用いるのでもなく、これを実現する方法があるだろうか」と。太公望は答えた、「あります。王が民衆の心を得て、無道な相手を討伐しようと図れば、戦わずして勝利を知ることができます。賢者をもって不肖の者を討てば、占わずして吉を知ることができます。相手が民を害しているなら、我々が民を利すればよいのです。たとえ我々の民でなくとも、得て用いることができましょう」と。武王は「よろしい」と言った。そこで今度は周公を召してこれに尋ねた、「天下の事を図る者は皆、殷を天子とし、周を諸侯としている。諸侯の身で天子を攻めるのだ、これに勝つ方法があるだろうか」と。周公は答えた、「殷が本当に天子であり、周が本当に諸侯であるならば、勝つ方法はありません。どうして攻めることができましょうか」と。武王は憤然として「お前にはそれ以上の説があるのか」と言った。周公は答えた、「私が聞くところでは、礼を攻める者は賊であり、義を攻める者は残であり、その民を治める資格を失えば、もはやただの匹夫にすぎないといいます。王はその民を失った者を攻めるのです、どうして天子を攻めることになりましょうか」と。武王は「よろしい」と言った。そこで軍勢を起こし軍を挙げ、殷と牧野の地で戦い、大いに殷の軍を打ち破った。宮殿の堂に上って宝玉を見つけ、「これは誰の玉か」と尋ねると、「諸侯の玉です」と言う。すぐにこれを取って諸侯に返した。天下の人々はこれを聞いて、「武王は財貨に対して清廉である」と言った。部屋に入って女性を見つけ、「これは誰の女性か」と尋ねると、「諸侯の女性です」と言う。すぐにこれを取って諸侯に返した。天下の人々はこれを聞いて、「武王は色欲に対して清廉である」と言った。そこで巨橋の穀倉を開いて粟を放出し、鹿台の財貨や金銭を散じて士民に与え、戦車を退けて乗らず、甲冑や武器を緩めて用いず、馬を華山に放ち、牛を桃林に放って、二度と用いないことを示した。天下の人々はこれを聞き、皆、武王は天下に義を行っていると称えた。なんと偉大なことではないか。
解説

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史記 周本紀是に於て武王遍く諸侯に告げて曰く、「殷重罪有り、以て畢く伐たざる可からず」と。乃ち文王に遵ひ、遂に戎車三百乗、虎賁三千人、甲士四万五千人を率ゐて、以て東のかた紂を伐つ。十一年十二月戊午、師畢く盟津を渡り、諸侯咸会す。曰く、「孳孳として怠ること無かれ」と。武王乃ち太誓を作り、衆庶に告ぐ。「今殷王紂乃ち其の婦人の言を用ゐ、自ら天に絶ち、其の三正を毀壊し、其の王父母弟を離逖し、乃ち其の先祖の楽を断棄し、乃ち淫声を為り、用て正声を変乱し、婦人を怡説せしむ。故に今予発維れ共に天罰を行ふ。勉めよや夫子、再びす可からず、三たびす可からず」と。二月甲子の昧爽、武王朝に商の郊の牧野に至り、乃ち誓ふ。武王左に黄鉞を杖き、右に白旄を秉りて、以て麾く。曰く、「遠きかな西土の人」と。武王曰く、「嗟、我が有国の冢君、司徒・司馬・司空、亜旅・師氏、千夫長・百夫長、及び庸・蜀・羌・髳・微・纑・彭・濮の人、爾の戈を称げ、爾の干を比べ、爾の矛を立てよ。予其れ誓はん」と。王曰く、「古人言へる有り、『牝雞は晨する無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索くるなり』と。今殷王紂は維れ婦人の言を是れ用ゐ、自ら其の先祖の肆祀を棄てて答へず、昏くして其の家国を棄て、其の王父母弟を遺てて用ゐず、乃ち維れ四方の多罪の逋逃を、是れ崇び是れ長とし、是れ信じ是れ使ひ、百姓に暴虐し、以て商国に姦軌せしむ。今予発維れ共に天の罰を行ふ。今日の事は、六歩七歩を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。夫子勉めよや。四伐五伐六伐七伐を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。勉めよや夫子。尚はくは桓桓として、虎の如く羆の如く、豺の如く離の如く、商の郊に于いて、奔るを御ぐことなく、以て西土に役せしめよ。勉めよや夫子。爾勉めざる所あらば、其れ爾の身に于いて戮有らん」と。
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呂氏春秋・簡選③武王は、虎賁三千人、簡車三百乘、以て甲子の事を牧野に要して、紂、禽と為る。賢者の位を顯かにし、殷の遺老を進めて、民の欲する所を問い、賞を行うこと禽獸に及び、罰を行うこと天子を辟けず。殷を親しむこと周の如く、人を視ること己の如し。天下、其の德を美し、萬民其の義を説ぶ。故に立ちて天子と為る。
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史記 斉太公世家或ひと曰く、太公は博聞にして、嘗て紂に事ふ。紂無道なれば、之を去る。諸侯に游説するも、遇ふ所無く、而して卒に西のかた周の西伯に帰すと。或ひと曰く、呂尚は処士にして、海浜に隠る。周の西伯、羑里に拘へらる。散宜生・閎夭、素より知りて呂尚を招く。呂尚も亦曰く、「吾聞く、西伯は賢にして、又善く老を養ふと。盍ぞ往かざる」と。三人の者、西伯の為に美女・奇物を求め、之を紂に献じて、以て西伯を贖ふ。西伯出づるを得て、国に反ると。呂尚の周に事ふる所以を言ふこと異なると雖も、然れども之を要するに文・武の師たり。周の西伯昌の羑里を脱して帰るや、呂尚と陰かに謀りて徳を修め以て商の政を傾く。其の事は兵権と奇計と多し。故に後世の兵及び周の陰権を言ふ者は皆太公を宗として本謀と為す。周の西伯、政平らかにして、虞・芮の訟を断ずるに及びて、詩人、西伯の命を受くるを称して文王と曰ふ。崇・密須・犬夷を伐ち、大いに豊邑を作る。天下三分して、其の二周に帰する者は、太公の謀計多きに居る。文王崩じ、武王即位す。九年、文王の業を修めんと欲し、東伐して以て諸侯の集まるや否やを観る。師行くに、師尚父、左に黄鉞を杖き、右に白旄を把りて以て誓ひて曰く、「蒼兕蒼兕、爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与へよ。後れて至る者は斬らん」と。遂に盟津に至る。諸侯期せずして会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「未だ可ならず」と。師を還し、太公と此の太誓を作る。居ること二年、紂、王子比干を殺し、箕子を囚ふ。武王将に紂を伐たんとし、亀兆を卜するに、吉ならず、風雨暴かに至る。群公尽く懼る。唯太公のみ彊ひて之を武王に勧め、武王是に於て遂に行く。十一年正月甲子、牧野に誓ひ、商の紂を伐つ。紂の師敗績す。紂反り走りて鹿台に登る。遂に追ひて紂を斬る。
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説苑・貴德武王殷に克ち、太公を召して問ひて曰く、「将に其の士衆を奈何にせんとするか」と。太公対へて曰く、「臣聞く、其の人を愛する者は屋上の烏をも兼ね、其の人を憎む者は其の余胥をも悪む、と。厥の敵を咸く劉し、余す有ら靡からしめんこと、何如」と。王曰く、「不可なり」と。太公出でて邵公入る。王曰く、「之を奈何にせんか」と。邵公対へて曰く、「罪有る者は之を殺し、罪無き者は之を活かさん、何如」と。王曰く、「不可なり」と。邵公出でて周公入る。王曰く、「之を奈何にせんか」と。周公曰く、「各々其の宅に居らしめ、其の田を田せしめ、旧新を変ずる無く、唯だ仁のみ是れ親しめ、百姓過ち有らば、予一人に在らん」と。武王曰く、「広大なるかな、天下を平らぐるや。凡そ士君子を貴ぶ所以の者は、其の仁にして徳有るを以てなり」と。
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史記 周本紀誓ひ已はり、諸侯の兵の会する者車四千乗、師を牧野に陳ぬ。帝紂武王の来たるを聞き、亦兵七十万人を発して武王を距ぐ。武王師尚父をして百夫と師を致さしめ、大卒を以て帝紂の師に馳す。紂の師衆しと雖も、皆戦ふの心無く、心に武王の亟やかに入らんことを欲す。紂の師皆兵を倒にして以て戦ひ、以て武王を開く。武王之に馳す。紂の兵皆崩れて紂に畔く。紂走り、反りて入りて鹿台の上に登り、其の殊玉を蒙衣し、自ら火に燔きて死す。武王大白旗を持ちて以て諸侯を麾く。諸侯畢く武王を拝す。武王乃ち諸侯に揖す。諸侯畢く従ふ。武王商国に至る。商国の百姓咸郊に待つ。是に於て武王群臣をして商の百姓に告語せしめて曰く、「上天休を降せり」と。商人皆再拝稽首す。武王も亦答拝す。遂に入りて、紂の死所に至る。武王自ら之を射、三たび発して而る後に車を下り、軽剣を以て之を撃ち、黄鉞を以て紂の頭を斬り、大白の旗に県く。已にして紂の嬖妾二女に至るに、二女皆経れて自殺す。武王又射ること三発、撃つに剣を以てし、斬るに玄鉞を以てし、其の頭を小白の旗に県く。武王已にして乃ち出でて軍に復る。其の明日、道を除き、社及び商紂の宮を修む。期に及びて、百夫罕旗を荷ひて以て先駆す。武王の弟叔振鐸は常車を奉陳し、周公旦は大鉞を把り、畢公は小鉞を把り、以て武王を夾む。散宜生・太顛・閎夭皆剣を執りて以て武王を衛る。既に入り、社の南、大卒の左に立ち、左右畢く従ふ。毛叔鄭は明水を奉じ、衛の康叔封は茲を布き、召公奭は采を賛け、師尚父は牲を牽く。尹佚筴祝して曰く、「殷の末孫季紂、先王の明徳を殄廃し、神祇を侮蔑して祀らず、商邑の百姓に昏暴なり。其の章顕上天皇上帝に聞こゆ」と。
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荀子・儒効篇客に道う有りて曰く、孔子曰く、周公は其れ盛んなるかな。身貴くして愈々恭しく、家富みて愈々倹に、敵に勝ちて愈々戒む、と。之に応えて曰く、是れ殆ど周公の行いに非ず、孔子の言に非ざるなり。武王崩じ、成王幼くして、周公は成王を屏けて武王に及び、天子の籍を履み、扆に負いて立ち、諸侯は堂下に趨走す。是の時に当たりてや、夫れ又た誰にか恭しくせんや。天下を兼制し七十一国を立て、姫姓独り五十三人を居く。周の子孫、苟くも狂惑ならざる者は、天下の顕たる諸侯と為らざる莫し。孰か周公を倹と謂わんや。武王の紂を誅するや、行くの日は兵忌を以てし、東面して太歳を迎う。氾に至りて汎れ、懐に至りて壊れ、共頭に至りて山隧つ。霍叔懼れて曰く、出でて三日にして五災至る、乃ち不可なること無からんや、と。周公曰く、比干を刳きて箕子を囚え、飛廉・悪来政を知る、夫れ又た悪くんぞ不可なること有らんや、と。遂に馬を選びて進み、朝に戚に食し、暮に百泉に宿し、旦を牧の野に厭う。之を鼓して紂の卒郷を易え、遂に殷人に乗じて紂を誅す。蓋し殺す者は周人に非ず、殷人に因るなり。故に首虜の獲無く、難を蹈むの賞無し。反りて三革を定め、五兵を偃せ、天下を合し、声楽を立つ。是に於て武象起こりて韶護廃る。四海の内、心を変じ慮を易えて以て之に化順せざる莫し。故に外闔閉ざさず、天下を跨ぎて蘄ぐ無し。是の時に当たりてや、夫れ又た誰をか戒めんや。