説苑 / 指武
秦昭王中朝而歎曰:「夫楚劍利、倡優拙。夫劍利則士多慓悍,倡優拙則思慮遠也,吾恐楚之謀秦也。」此謂當吉念凶,而存不忘亡也,卒以成霸焉。
新字:秦昭王中朝而嘆曰:「夫楚剣利、倡優拙。夫剣利則士多慓悍,倡優拙則思慮遠也,吾恐楚之謀秦也。」此謂当吉念凶,而存不忘亡也,卒以成覇焉。
書き下し
秦の昭王中朝にして歎じて曰く、「夫れ楚の劍利にして、倡優拙し。夫れ劍利なれば則ち士多く慓悍、倡優拙なれば則ち思慮遠し、吾恐らくは楚の秦を謀るならん」と。此れ吉を當にして凶を念い、存して亡を忘れざるを謂うなり、卒に以て霸を成せり。
現代語訳
秦の昭王が朝廷で嘆いて言った、「そもそも楚の剣は鋭く、俳優や芸人の芸は拙い。剣が鋭いということは士卒に勇猛な者が多いということであり、俳優の芸が拙いということは、楽しみに耽らず思慮が遠くまで及んでいるということだ。私はおそらく楚が秦を狙っているのではないかと恐れる」と。これは、めでたい時にこそ凶事を念頭に置き、存続している時にこそ滅亡を忘れないということを言ったものであり、ついに秦はこうして覇業を成し遂げたのである。
解説
昭王は自国の強盛を誇るのではなく、隣国の武器の鋭さと娯楽への淡白さという間接的な兆候から、相手の油断のなさと野心を読み取った。他国の強みを、自国の油断への警鐘として受け止める発想の転換が眼目である。ビジネスにおいても、競合の些細な変化、採用の質や投資の方向性、社内の緊張感などから相手の本気度を読み取り、自らの慢心を戒める材料にできるかどうかが、長期的な優位を保つ分かれ目になる。
この章句が説くこと
秦昭王慧眼慢心の戒め
関連する章句
-
説苑・敬慎魏の安釐王十一年、秦の昭王左右に謂いて曰わく、「今時韓魏と秦と孰れか強き」と。対えて曰わく、「秦の強きに如かず」と。王曰わく、「今時如耳・魏斉と孟嘗・芒卯と孰れか賢なる」と。対えて曰わく、「孟嘗・芒卯の賢に如かず」と。王曰わく、「孟嘗・芒卯の賢を以て、強韓魏を率いて秦を攻めしも、猶お寡人を奈何ともする無きなり。今無能の如耳・魏斉を以て強韓魏を率いて秦を伐たしめば、其の寡人を奈何ともする無きこと、亦た明らかなり」と。左右皆然りと曰う。申旗瑟を伏せて対えて曰わく、「王の天下を料ること過てり。六晋の時に当り、智氏最も強く、范・中行氏を滅ぼし、又韓魏の兵を率いて以て趙の襄子を晋陽に囲み、晋水を決して以て晋陽の城に灌ぎ、満たざる者三板、智伯水を行り、魏宣子御し、韓康子驂乗と為る。智伯曰わく、『吾始め水の以て人の国を亡ぼすべきを知らず、乃ち今之を知る。汾水以て安邑に灌ぐべく、絳水以て平陽に灌ぐべし』と。魏宣子韓康子に肘し、康子魏宣子の足を履み、肘足車上に接して、智氏分たれ、身死し国亡び、天下の笑いと為る。今秦強しと雖も智氏に過ぎず、韓魏弱しと雖も、尚お其の晋陽の下に在るに賢れり。此れ方に其の肘足を用うるの時なり。願わくは王の必ず易んずること勿かれ」と。是に於て秦王恐る。
-
説苑・君道楚の荘王、天妖を見さず、地孽を出ださざるを見れば、則ち山川に禱りて曰く、「天其れ予を忘れたるか」と。此れ能く過ちを天に求むる、必ず諫を逆えざるなり。安くして危うきを忘れず、故に能く終に覇功を成す。
-
戦国策・或謂楚王或るひと、楚王に謂いて曰く、「臣聞く、従者天下を合わせて以て大王に朝せしめんと欲す、臣願わくは大王之を聴かんことを。夫れ詘に因りて信と為すは、旧患成る有り、勇者之を義とす。禍を攝りて福と為し、少を裁して多と為すは、知者之に官す。夫れ報報の反、墨墨の化は、唯だ大君のみ能く之をなす。禍と福と相貫き、生と亡と隣を為す、死に偏らず、生に偏らざれば、以て大名を載するに足らず。寇艾する所無ければ、以て世に横たわるに足らず。夫れ秦の徳を捐て命を絶つの日久しくして、天下知らず。今夫れ横人は口を嚂にし機を利にし、上は主心を干し、下は百姓を牟る、公に挙げて私に利を取る、是を以て国権は鴻毛より軽く、積禍は丘山より重し。」
-
戦国策・秦昭王謂左右秦昭王左右に謂ひて曰く、「今日の韓・魏は、始めの強きと孰與(いづ)れぞ。」對へて曰く、「如かざるなり。」王曰く、「今の如耳・魏齊は、孟嘗・芒卯の賢と孰與れぞ。」對へて曰く、「如かざるなり。」王曰く、「孟嘗・芒卯の賢を以て、強き韓・魏の兵を帥ゐて以て秦を伐つも、猶ほ寡人を奈何ともする無きなり。今無能の如耳・魏齊を以て、弱き韓・魏を帥ゐて秦を攻むれば、其の寡人を奈何ともする無きこと、亦た明らかなり。」左右皆曰く、「甚だ然り。」中期琴を推して對へて曰く、「三(王)の天下を料るや過てり。昔者六晉の時、智氏最も強く、范・中行を滅破し、韓・魏を帥ゐて以て趙襄子を晉陽に圍む。晉水を決して以て晉陽に灌ぎ、城の沈まざる者三板のみ。智伯出でて水を行(み)るに、韓康子御し、魏桓子驂乘す。智伯曰く、『始め、吾水の以て人の國を亡ぼす可きを知らず、乃ち今之を知る。汾水も利あり以て安邑に灌ぐ可く、絳水も利あり以て平陽に灌ぐ可し。』魏桓子韓康子に肘し、康子魏桓子を履み、其の踵を躡む。肘足車上に接して、智氏分たれたり。身死し國亡び、天下の笑ひと爲れり。今秦の強きも、智伯に過ぐる能はず。韓・魏弱しと雖も、尚ほ賢に晉陽の下に在り。此れ乃ち方に其の肘足を用ゐる時なり、願はくは王の易んずる勿からんことを。」
-
説苑・指武司馬法に曰く、「國大なりと雖も、戰を好めば必ず亡ぶ。天下安しと雖も、戰を忘るれば必ず危うし」と。易に曰く、「君子は以て戎器を除め、不虞を戒む」と。夫れ兵は玩ぶべからず、玩べば則ち威無し。兵は廢すべからず、廢すれば則ち寇を召く。昔呉王夫差戰を好みて亡び、徐偃王武無くして亦た滅ぶ。故に明王の國を制するや、上兵を玩ばず、下武を廢せず。易に曰く、「存して亡を忘れず、是を以て身安くして國家保つべきなり」と。
-
戦国策・謂秦王秦王に謂ひて曰く、「臣竊かに王の齊を輕んじ楚を易んじて、韓を卑しみ畜ふを惑ふ。臣聞く、王者は兵勝ちて驕らず、伯主は約して忿らず、と。勝ちて驕らざれば、故に能く世を服せしめ、約して忿らざれば、故に能く鄰に從はしむ。今王、德を魏・趙に廣くして、齊を輕々しく失ふは驕なり。宜陽に戰ひ勝ちて、楚との交はりを恤へざるは忿なり。驕忿は伯主の業に非ざるなり。臣竊かに大王の為に之を慮りて取らざるなり。「詩に云ふ、『初有らざる靡く、克く終ふる有ること鮮し』と。故に先王の重んずる所の者は、唯だ始めと終はりとのみ。何を以て其の然るを知るや。昔智伯瑤、范・中行を殘し、晉陽を圍逼して、卒に三家の笑ひと為れり。吳王夫差、越を會稽に棲ましめ、齊に艾陵に勝ち、黃池の遇を爲し、宋に無禮にして、遂に勾踐と禽にせられ、干隧に死せり。梁君、楚を伐ちて齊に勝ち、趙・韓の兵を制し、十二諸侯を驅りて天子に孟津に朝せしめしも、後に子死して、身は布冠して秦に拘せらる。三者は功無きに非ざるなり、能く始めて能く終はらざるなり。「今王、宜陽を破り、三川を殘して、天下の士をして敢へて言はざらしめ、天下の國を雍ぎ、兩周の疆を徙して、世主をして敢へて陽侯の塞に交はらざらしめ、黃棘を取りて、韓・楚の兵をして敢へて進まざらしむ。王若し能く此の尾を為さば、則ち三王も四に足らず、五伯も六に足らず。王若し能く此の尾を為す能はずして、後患有らば、則ち臣恐らくは諸侯の君、河・濟の士、王を以て吳・智の事と為さんことを。「詩に云ふ、『百里を行く者は九十を半ばとす』と。此れ末路の難きを言ふなり。今大王皆な驕色有り、臣の心を以て之を觀るに、天下の事、世主の心に依らば、楚兵を受くるに非ざれば、必ず秦なり。何を以て其の然るを知るや。秦人は魏を援けて以て楚を拒み、楚人は韓を援けて以て秦を拒み、四國の兵敵して、未だ復た戰ふ能はざるなり。齊・宋は繩墨の外に在りて以て權を為す、故に曰く、先に齊・宋を得る者は秦を伐つ、と。秦先に齊・宋を得れば、則ち韓氏鑠け、韓氏鑠くれば、則ち楚孤にして兵を受く。楚先に齊を得れば、則ち魏氏鑠け、魏氏鑠くれば、則ち秦孤にして兵を受けん。若し此の計に隨ひて之を行はば、則ち兩國なる者必ず天下の笑ひと為らん。」