説苑 / 敬慎
魏安釐王十一年,秦昭王謂左右曰:「今時韓魏與秦孰強?」對曰:「不如秦強。」王曰:「今時如耳魏齊與孟嘗芒卯孰賢?」對曰:「不如孟嘗芒卯之賢。」王曰:「以孟嘗芒卯之賢,率強韓魏以攻秦,猶無奈寡人何也?今以無能如耳魏齊而率強韓魏以伐秦,其無奈寡人何,亦明矣!」左右皆曰然,申旗伏瑟而對曰:「王之料天下過矣。當六晉之時,智氏最強,滅范中行氏,又率韓魏之兵以圍趙襄子於晉陽,決晉水以灌晉陽之城,不滿者三板,智伯行水,魏宣子御,韓康子為驂乘,智伯曰:『吾始不知水可以亡人國也,乃今知之;汾水可以灌安邑,絳水可以灌平陽。』魏宣子肘韓康子,康子履魏宣子之足,肘足接於車上,而智氏分,身死國亡,為天下笑。今秦雖強不過智氏,韓魏雖弱,尚賢其在晉陽之下也,此方其用肘足之時,願王之必勿易也。」於是秦王恐。
新字:魏安釐王十一年,秦昭王謂左右曰:「今時韓魏与秦孰強?」対曰:「不如秦強。」王曰:「今時如耳魏斉与孟嘗芒卯孰賢?」対曰:「不如孟嘗芒卯之賢。」王曰:「以孟嘗芒卯之賢,率強韓魏以攻秦,猶無奈寡人何也?今以無能如耳魏斉而率強韓魏以伐秦,其無奈寡人何,亦明矣!」左右皆曰然,申旗伏瑟而対曰:「王之料天下過矣。当六晋之時,智氏最強,滅范中行氏,又率韓魏之兵以囲趙襄子於晋陽,決晋水以灌晋陽之城,不満者三板,智伯行水,魏宣子御,韓康子為驂乗,智伯曰:『吾始不知水可以亡人国也,乃今知之;汾水可以灌安邑,絳水可以灌平陽。』魏宣子肘韓康子,康子履魏宣子之足,肘足接於車上,而智氏分,身死国亡,為天下笑。今秦雖強不過智氏,韓魏雖弱,尚賢其在晋陽之下也,此方其用肘足之時,願王之必勿易也。」於是秦王恐。
書き下し
魏の安釐王十一年、秦の昭王左右に謂いて曰わく、「今時韓魏と秦と孰れか強き」と。対えて曰わく、「秦の強きに如かず」と。王曰わく、「今時如耳・魏斉と孟嘗・芒卯と孰れか賢なる」と。対えて曰わく、「孟嘗・芒卯の賢に如かず」と。王曰わく、「孟嘗・芒卯の賢を以て、強韓魏を率いて秦を攻めしも、猶お寡人を奈何ともする無きなり。今無能の如耳・魏斉を以て強韓魏を率いて秦を伐たしめば、其の寡人を奈何ともする無きこと、亦た明らかなり」と。左右皆然りと曰う。申旗瑟を伏せて対えて曰わく、「王の天下を料ること過てり。六晋の時に当り、智氏最も強く、范・中行氏を滅ぼし、又韓魏の兵を率いて以て趙の襄子を晋陽に囲み、晋水を決して以て晋陽の城に灌ぎ、満たざる者三板、智伯水を行り、魏宣子御し、韓康子驂乗と為る。智伯曰わく、『吾始め水の以て人の国を亡ぼすべきを知らず、乃ち今之を知る。汾水以て安邑に灌ぐべく、絳水以て平陽に灌ぐべし』と。魏宣子韓康子に肘し、康子魏宣子の足を履み、肘足車上に接して、智氏分たれ、身死し国亡び、天下の笑いと為る。今秦強しと雖も智氏に過ぎず、韓魏弱しと雖も、尚お其の晋陽の下に在るに賢れり。此れ方に其の肘足を用うるの時なり。願わくは王の必ず易んずること勿かれ」と。是に於て秦王恐る。
現代語訳
魏の安釐王十一年、秦の昭王が側近に言った、「今の時代、韓・魏と秦とではどちらが強いだろうか」と。側近は答えた、「秦の強さには及びません」と。王は言った、「今の時代、如耳・魏斉と孟嘗君・芒卯とではどちらが賢明だろうか」と。側近は答えた、「孟嘗君・芒卯の賢明さには及びません」と。王は言った、「孟嘗君・芒卯の賢明さをもってしても、強大な韓・魏を率いて秦を攻めても、なお私をどうすることもできなかった。今、無能な如耳・魏斉が強大な韓・魏を率いて秦を討とうとしても、私をどうすることもできないのは、これもまた明らかだ」と。側近たちは皆「その通りです」と言った。申旗は瑟(琴)を伏せて答えて言った、「王が天下の情勢を推し量られるのは誤っております。かつて六晋(晋の六卿)の時代、智氏が最も強く、范氏・中行氏を滅ぼし、さらに韓・魏の兵を率いて趙の襄子を晋陽で包囲し、晋水を決壊させて晋陽の城に注ぎ込み、水没を免れたのはわずか三板(数尺)ほどでした。智伯が水を視察し、魏の宣子が御者となり、韓の康子が同乗の護衛となりました。智伯は言いました、『私は初め、水によって人の国を滅ぼせるとは知らなかった。しかし今それを知った。汾水は安邑に注ぐことができ、絳水は平陽に注ぐことができる』と。魏の宣子は韓の康子の肘を突き、康子は宣子の足を踏みました。肘と足が車上で密かに接触し、そして智氏は韓・魏・趙の三家によって分割され、智伯自身は死に国は滅び、天下の笑いものとなりました。今、秦は強いといっても智氏を超えるものではなく、韓・魏は弱いといっても、なお晋陽であの窮地にあった時よりはましです。今はまさに、あの肘と足で密かに通じ合うような同盟が結ばれる時なのです。どうか王には、決して状況を安易にお考えにならないでいただきたい」と。これを聞いて秦王は恐れた。
解説

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戦国策・秦昭王謂左右秦昭王左右に謂ひて曰く、「今日の韓・魏は、始めの強きと孰與(いづ)れぞ。」對へて曰く、「如かざるなり。」王曰く、「今の如耳・魏齊は、孟嘗・芒卯の賢と孰與れぞ。」對へて曰く、「如かざるなり。」王曰く、「孟嘗・芒卯の賢を以て、強き韓・魏の兵を帥ゐて以て秦を伐つも、猶ほ寡人を奈何ともする無きなり。今無能の如耳・魏齊を以て、弱き韓・魏を帥ゐて秦を攻むれば、其の寡人を奈何ともする無きこと、亦た明らかなり。」左右皆曰く、「甚だ然り。」中期琴を推して對へて曰く、「三(王)の天下を料るや過てり。昔者六晉の時、智氏最も強く、范・中行を滅破し、韓・魏を帥ゐて以て趙襄子を晉陽に圍む。晉水を決して以て晉陽に灌ぎ、城の沈まざる者三板のみ。智伯出でて水を行(み)るに、韓康子御し、魏桓子驂乘す。智伯曰く、『始め、吾水の以て人の國を亡ぼす可きを知らず、乃ち今之を知る。汾水も利あり以て安邑に灌ぐ可く、絳水も利あり以て平陽に灌ぐ可し。』魏桓子韓康子に肘し、康子魏桓子を履み、其の踵を躡む。肘足車上に接して、智氏分たれたり。身死し國亡び、天下の笑ひと爲れり。今秦の強きも、智伯に過ぐる能はず。韓・魏弱しと雖も、尚ほ賢に晉陽の下に在り。此れ乃ち方に其の肘足を用ゐる時なり、願はくは王の易んずる勿からんことを。」
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『韓非子』難三第三十八夫れ姦を知るにも亦大羅有り、其の一を失はざるのみ。其の理を修めずして、己の胸察を以て之が弓矢と為せば、則ち子産は誣ひたり。老子曰く、「智を以て国を治むるは、国の賊なり。」其れ子産の謂ひか。秦の昭王、左右に問ひて曰く、「今時の韓・魏は始めと孰れぞ強き。」左右対へて曰く、「始めより弱し。」「今の如耳・魏斉は曩の孟嘗・芒卯と孰れぞ。」対へて曰く、「及ばざるなり。」王曰く、「孟嘗・芒卯、強き韓・魏を率ゐるも、猶ほ寡人を奈何ともする無きなり。」左右対へて曰く、「甚だ然り。」中期、琴を推して対へて曰く、「王の天下を料るは過てり。夫れ六晋の時、知氏最も強く、范・中行を滅ぼして韓・魏の兵を従へて以て趙を伐ち、灌ぐに晋水を以てし、城の沈まざる者三板。知伯出で、魏宣子御し、韓康子驂乗と為る。知伯曰く、『始め吾水の以て人の国を滅ぼすべきを知らず、吾乃ち今之を知る。汾水は以て安邑に灌ぐべく、絳水は以て平陽に灌ぐべし。』魏宣子、韓康子に肘し、康子、宣子の足を践む。肘足車上に接して、知氏晋陽の下に分かる。今足下強しと雖も、未だ知氏に若かず。韓・魏弱しと雖も、未だ其の晋陽の下に在るが如きに至らず。此れ天下方に肘足を用ふるの時なり、願はくは王之を易んずる勿かれ。」或ひと曰く、昭王の問や失有り、左右中期の対や過有り。凡そ明主の国を治むるや、其の勢に任ず。勢害すべからずんば、則ち強き天下と雖も奈何ともする無きなり、而るを況んや孟嘗・芒卯・韓・魏能く我を奈何せんや。其の勢害すべくんば、則ち不肖なる如耳・魏斉の如き及び韓・魏も猶ほ能く之を害す。
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