説苑 / 至公
楚莊王有茅門者法曰:「群臣大夫諸公子入朝,馬蹄蹂霤者斬其輈而戮其御。」太子入朝,馬蹄蹂霤。廷理斬其輈而戮其御。太子大怒,入為王泣曰:「為我誅廷理。」王曰:「法者所以敬宗廟,尊社稷,故能立法從令尊敬社稷者,社稷之臣也,安可以加誅?夫犯法廢令,不尊敬社稷,是臣棄君,下陵上也。臣棄君則主失威,下陵上則上位危,社稷不守,吾何以遺子?」太子乃還走避舍,再拜請死。
新字:楚荘王有茅門者法曰:「群臣大夫諸公子入朝,馬蹄蹂霤者斬其輈而戮其御。」太子入朝,馬蹄蹂霤。廷理斬其輈而戮其御。太子大怒,入為王泣曰:「為我誅廷理。」王曰:「法者所以敬宗廟,尊社稷,故能立法従令尊敬社稷者,社稷之臣也,安可以加誅?夫犯法廃令,不尊敬社稷,是臣棄君,下陵上也。臣棄君則主失威,下陵上則上位危,社稷不守,吾何以遺子?」太子乃還走避舎,再拝請死。
書き下し
楚の莊王に茅門なる者の法有り曰く、「群臣大夫諸公子朝に入るに、馬蹄霤を蹂む者は其の輈を斬りて其の御を戮す」と。太子朝に入るに、馬蹄霤を蹂む。廷理其の輈を斬りて其の御を戮す。太子大いに怒り、入りて王の為に泣きて曰く、「我が為に廷理を誅せよ」と。王曰く、「法なる者は宗廟を敬い、社稷を尊ぶ所以なり、故に能く法を立て令に從いて社稷を尊敬する者は、社稷の臣なり、安んぞ以て誅を加うべけんや。夫れ法を犯し令を廢し、社稷を尊敬せざる、是れ臣君を棄て、下上を陵ぐなり。臣君を棄つれば則ち主威を失い、下上を陵げば則ち上位危うし、社稷守られず、吾何を以て子に遺さん」と。太子乃ち還り走りて舍を避け、再拜して死を請う。
現代語訳
楚の荘王には「茅門の法」というものがあった。それには「群臣・大夫・諸公子が朝廷に入る際、馬の蹄が屋根の雨だれの落ちる場所を踏みにじった者は、その車の轅を斬り、その御者を処刑する」とあった。あるとき太子が朝廷に入る際、馬の蹄がその場所を踏みにじった。廷理(法官)は規則通りその轅を斬り、御者を処刑した。太子は大いに怒り、王のもとに参内して泣きながら言った、「私のために廷理を誅殺してください」と。王は言った、「法というものは、宗廟を敬い社稷(国家)を尊ぶためのものだ。だから法を立て命令に従って社稷を尊敬できる者は、社稷の忠臣である。どうしてこれを誅殺してよいものか。そもそも法を犯し命令を廃して社稷を尊敬しないとすれば、それは臣下でありながら君主を見捨て、下の者が上の者を凌ぐことになる。臣下が君主を見捨てれば主君の威厳は失われ、下が上を凌げば上の地位は危うくなり、社稷は守られなくなる。私はいったい何をお前に残せるというのか」と。太子はそこで引き返して自ら謹慎し、再拝して死罪を願い出た。
解説
この章句が説くこと
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説苑・至公楚の莊王の時、太子車茅門の內に立つ、少師慶之を逐う、太子怒り、入りて王に謁して曰く、「少師慶臣の車を逐えり」と。王曰く、「之を舍せ、老君前に在りて踰えず、少君後に在りて豫まざるは、是れ國の寶臣なり」と。
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説苑・至公楚の令尹子文の族に法を干す者有り、廷理之を拘う、其の令尹の族なるを聞きて之を釋く。子文廷理を召して之を責めて曰く、「凡そ廷理を立つる者は將に以て王令を犯し國法を觸るるを司らしめ察せしめんとするなり。夫れ直士法を持するは、柔にして撓まず、剛にして折れず。今法を棄て令に背きて法を犯す者を釋くは、是れ理を為すこと端しからず、心に公ならざるを懷くなり。豈に吾が私を營むの意ならんや、何ぞ廷理の法に駮れるや。吾上位に在りて以て士民を率う、士民或いは怨むも、吾之を法より免るる能わず。今吾が族法を犯すこと甚だ明らかにして、廷理をして吾が心に因緣して之を釋かしむるは、是れ吾が不公の心、國に明著するなり。一國の柄を執りて私聞を以てす、吾生きて義を以てせざるよりは、吾死するに若かざるなり」と。遂に其の族人を廷理に致して曰く、「是を刑せずんば、吾將に死せんとす」と。廷理懼れ、遂に其の族人を刑す。成王之を聞き、履くに及ばずして子文の室に至りて曰く、「寡人幼少にして、理を置くに其の人を失い、以て夫子の意に違えり」と。是に於て廷理を黜けて子文を尊び、內政に及ばしむ。國人之を聞き、曰く、「令尹の公なるが若きは、吾が黨何をか憂えんや」と。乃ち相與に歌を作りて曰く、「子文の族、國の法程を犯す、廷理之を釋く、子文聽かず、恤顧怨萌、方正公平」と。
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説苑・至公楚の文王鄧を伐つ、王子革王子靈をして共に菜を捃らしむ。二子出でて採り、老丈人の畚を載するを見、焉に乞うも、與えず、搏ちて之を奪う。王之を聞き、皆二子を拘えしめ、將に之を殺さんとす。大夫辭して曰く、「畚を取るは信に罪有り、然れども之を殺すは其の罪に非ざるなり、君若何ぞ之を殺さんや」と。言卒わりて、丈人軍に造りて言いて曰く、「鄧無道なり、故に之を伐つ、今君公の子搏ちて吾が畚を奪う、無道鄧より甚だし」と。天を呼びて號ぶ、君之を聞き、群臣恐る、君之に見えて曰く、「罪有るを討ちて橫に奪う、暴を禁ずる所以に非ざるなり。力を恃みて老を虐ぐる、幼を教うる所以に非ざるなり。子を愛して法を棄つる、國を保つ所以に非ざるなり。二子を私して三行を滅す、政に從う所以に非ざるなり。丈人之を舍せ」と。之を軍門の外に謝するのみ。
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説苑・敬慎田子方魏の文侯に侍坐す。太子撃趨りて入りて見ゆ。賓客群臣皆起つ。田子方独り起たず。文侯説ばざるの色有り。太子も亦た然り。田子方称して曰わく、「子の為に起たんか、礼何かせん。子の為に起たざらんか、罪何かせん。請う子の為に楚の恭王の太子為りし時を誦せん。将に之を雲夢に出でんとするに、大夫工尹に遇う。工尹遂に趨りて家人の門中に避く。太子車を下りて之を家人の門中に従いて曰わく、『子大夫何為れぞ其れ是くの若きや。吾之を聞く、其の父を敬う者は其の子を兼ねず、其の子を兼ぬる者は不祥焉より大なるは莫しと。子大夫何為れぞ其れ是くの若きや』と。工尹曰わく、『向に吾子の面を望見し、今にして後子の心を記す。審らかに此くの如くんば、汝将た何くにか之かん』と」。文侯曰わく、「善し」と。太子撃前みて恭王の言を誦し、三たび誦して之を習わんことを請う。
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史記 張釈之馮唐列伝上行きて中渭橋を出づるに、一人の橋下より走り出づる有り、乗輿の馬驚く。是に於て騎をして捕へしめ、之を廷尉に属す。釈之治問す。廷尉奏当す、「一人蹕を犯す、罰金に当たる」と。文帝怒りて曰く、「此の人親ら吾が馬を驚かす、吾が馬柔和なるに頼る、他馬をして令めば、固より我を敗傷せざらんや、而るに廷尉乃ち之を罰金に当つ」と。釈之曰く、「法とは天子の天下と公共する所なり。今法此くのごとくにして更に之を重くせば、是れ法の民に信ぜられざるなり。且つ其の時に方り、上をして立ちどころに之を誅せしめば則ち已まん。今既に廷尉に下す、廷尉は天下の平なり、一たび傾けば天下法を用ゐること皆軽重を為し、民安くにか其の手足を措かん。唯だ陛下之を察せよ」と。良や久しくして、上曰く、「廷尉当ること是なり」と。
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史記 張釈之馮唐列伝頃くして、太子梁王と車を共にして入朝し、司馬門に下らず、是に於て釈之太子・梁王を追ひ止めて殿門に入るを得ざらしむ。遂に公門に下らざるを不敬と劾し、之を奏す。薄太后之を聞き、文帝冠を免ぎて謝して曰く、「兒子を教ふること謹まず」と。薄太后乃ち使をして詔を承けて太子・梁王を赦さしめ、然る後に入るを得たり。文帝是に由りて釈之を奇とし、拝して中大夫と為す。