説苑 / 權謀
楚莊王與晉戰,勝之,懼諸侯之畏己也,乃築為五仞之臺,臺成而觴諸侯,諸侯請約。莊王曰:「我薄德之人也。」諸侯請為觴。乃仰而曰:「將將之臺,窅窅其謀,我言而不當,諸侯伐之。」於是遠者來朝,近者入賓。
新字:楚荘王与晋戦,勝之,懼諸侯之畏己也,乃築為五仞之台,台成而觴諸侯,諸侯請約。荘王曰:「我薄徳之人也。」諸侯請為觴。乃仰而曰:「将将之台,窅窅其謀,我言而不当,諸侯伐之。」於是遠者来朝,近者入賓。
書き下し
楚の莊王晉と戰ひ、之に勝つ。諸侯の己を畏るるを懼れ、乃ち五仞の臺を築く。臺成りて諸侯に觴し、諸侯約を請ふ。莊王曰く、「我は薄德の人なり」と。諸侯觴を爲さんことを請ふ。乃ち仰ぎて曰く、「將將たる臺、窅窅たる其の謀、我言ひて當らざれば、諸侯之を伐て」と。是に於て遠き者來朝し、近き者賓に入る。
現代語訳
楚の荘王が晋と戦い、これに勝利した。諸侯たちが自分を恐れるようになることを懸念して、高さ五仞の立派な台を築いた。台が完成すると諸侯を招いて酒宴を開き、諸侯は盟約を結びたいと願い出た。荘王は「私は徳の薄い人間に過ぎません」と謙遜した。諸侯がなおも酒宴での誓いを求めると、荘王は天を仰いで言った。「壮麗なこの台、深遠なこの謀ではあるが、もし私の言葉が道理に適わないならば、諸侯よ、私を討伐してくれ」と。こうして遠方の者はみな来朝し、近隣の者はみな臣下として服従した。
解説
戦に勝利した荘王が真っ先に懸念したのは、自らの強さが諸侯に恐怖として伝わり、かえって反発や離反を招くことだった。そこで台を築いて諸侯を招き、自ら「徳が薄い」と謙遜し、さらに「もし自分が道理を誤れば討伐されても構わない」とまで宣言することで、力による支配ではなく信頼による結束を選び取る。勝者が勝利の直後にこそ謙譲の姿勢を示すという逆説的な振る舞いは、力を誇示するよりも遥かに強い求心力を生む。競争に勝った直後こそ、傲慢さが最大の敵になり得るという教訓であり、真の強者とは力を誇示せずとも人を従わせられる者だということを、この逸話は静かに語っている。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
勝者の謙譲信頼の求心力驕らぬ強さ
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