牧民忠告 / 救荒
故事:蝗生境內,必馳聞於上,少淹頃刻,所坐不輕。然長民者亦須相其小大多寡,為害輕重。若遽然以聞,蒞其上者群集族赴,供張征索,一境騷然,其害反甚於蝗者。其或勢微種稚,則當亟率眾力以圖之,不必因細虞以來大難於民也。故凡居官,必先敢於負荷,而後可以有為。
新字:故事:蝗生境内,必馳聞於上,少淹頃刻,所坐不軽。然長民者亦須相其小大多寡,為害軽重。若遽然以聞,莅其上者群集族赴,供張征索,一境騷然,其害反甚於蝗者。其或勢微種稚,則当亟率衆力以図之,不必因細虞以来大難於民也。故凡居官,必先敢於負荷,而後可以有為。
書き下し
故事(こじ):蝗(いなご)境内に生ずれば、必ず馳(は)せて上に聞(もう)す、少しく頃刻(けいこく)を淹(とど)むれば、坐する所軽からず。然れども民に長たる者は亦須(すべか)らく其の小大多寡を相(み)て、害を為すの軽重を為すべし。若し遽然(きょぜん)として以て聞せば、其の上に蒞(のぞ)む者群集族赴(ぞくふ)し、供張征索(きょうちょうせいさく)し、一境騒然として、其の害反って蝗より甚だしき者あり。其れ或いは勢い微にして種稚なれば、則ち当に亟(すみ)やかに衆力を率いて以て之を図るべし、必ずしも細虞(さいぐ)に因りて大難を民に来(きた)すべからざるなり。故に凡そ官に居るは、必ず先ず負荷(ふか)に敢えてして、而る後に以て為す有る可し。
現代語訳
先例では、蝗(いなご)が領内に発生すれば、必ず急いで上級官庁に報告せねばならず、少しでも時間を空費すれば重い咎めを受ける。しかし民を治める者は、被害の大小や多寡をよく見極め、被害の軽重を見定めるべきである。もし軽々しく報告すれば、上役たちが群れをなして駆けつけ、供応や物資の徴発が相次ぎ、領内は騒然となって、その害は蝗そのものより深刻になることさえある。もし被害の勢いが小さく発生も僅かであれば、直ちに人々の力を集めてこれに対処すればよく、些細な懸念のために民に大きな難儀を招く必要はない。だから総じて官職にある者は、まず自ら責任を引き受ける覚悟があってこそ、初めてよい仕事ができるのである。
解説

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