説苑 / 奉使
魏文侯封太子擊於中山,三年,使不往來,舍人趙倉唐進稱曰:「為人子,三年不聞父問,不可謂孝。為人父,三年不問子,不可謂慈。君何不遣人使大國乎?」太子曰:「願之久矣。未得可使者。」倉唐曰:「臣願奉使,侯何嗜好?」太子曰:「侯嗜晨鳧,好北犬。」於是乃遣倉唐北犬,奉晨鳧,獻於文侯。倉唐至,上謁曰:「孽子擊之使者,不敢當大夫之朝,請以燕閒,奉晨鳧,敬獻庖廚,北犬,敬上涓人。」文侯悅曰:「擊愛我,知吾所嗜,知吾所好。」召倉唐而見之,曰:「擊無恙乎?」倉唐曰:「唯唯。」如是者三,乃曰:「君出太子而封之國君,名之,非禮也。」文侯怵然為之變容。問曰:「子之君無恙乎?」倉唐曰:「臣來時,拜送書於庭。」文侯顧指左右曰:「子之君,長孰與是?」倉唐曰:「禮,擬人必於其倫,諸侯毋偶,無所擬之。」曰:「長大孰與寡人。」倉唐曰:「君賜之外府之裘,則能勝之,賜之斥帶,則不更其造。」文侯曰:「子之君何業?」倉唐曰:「業詩。」文侯曰:「於詩何好?」倉唐曰:「好晨風、黍離。」文侯自讀晨風曰:「彼晨風,鬱彼北林,未見君子,憂心欽欽,如何如何,忘我實多。」文侯曰:「子之君以我忘之乎?」倉唐曰:「不敢,時思耳。」文侯復讀黍離曰:「彼黍離離,彼稷之苗,行邁靡靡,中心搖搖,知我者謂我心憂,不知我者謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?」文侯曰:「子之君怨乎?」倉唐曰:「不敢,時思耳。」文侯於是遣倉唐賜太子衣一襲,敕倉唐以雞鳴時至。太子起拜,受賜發篋,視衣盡顛倒。太子曰:「趣早駕,君侯召擊也。」倉唐曰:「臣來時不受命。」太子曰:「君侯賜擊衣,不以為寒也,欲召擊,無誰與謀,故敕子以雞鳴時至,詩曰:『東方未明,顛倒衣裳,顛之倒之,自公召之。』」遂西至謁。文侯大喜,乃置酒而稱曰:「夫遠賢而近所愛,非社稷之長策也。」乃出少子摯,封中山,而復太子擊。故曰:「欲知其子,視其友;欲知其君,視其所使。」趙倉唐一使而文侯為慈父,而擊為孝子。太子乃稱:「詩曰:『鳳凰于飛,噦噦其羽,亦集爰止,藹藹王多吉士,維君子使,媚于天子。』舍人之謂也。」
新字:魏文侯封太子擊於中山,三年,使不往来,舎人趙倉唐進称曰:「為人子,三年不聞父問,不可謂孝。為人父,三年不問子,不可謂慈。君何不遣人使大国乎?」太子曰:「願之久矣。未得可使者。」倉唐曰:「臣願奉使,侯何嗜好?」太子曰:「侯嗜晨鳧,好北犬。」於是乃遣倉唐北犬,奉晨鳧,献於文侯。倉唐至,上謁曰:「孽子擊之使者,不敢当大夫之朝,請以燕閒,奉晨鳧,敬献庖廚,北犬,敬上涓人。」文侯悅曰:「擊愛我,知吾所嗜,知吾所好。」召倉唐而見之,曰:「擊無恙乎?」倉唐曰:「唯唯。」如是者三,乃曰:「君出太子而封之国君,名之,非礼也。」文侯怵然為之変容。問曰:「子之君無恙乎?」倉唐曰:「臣来時,拝送書於庭。」文侯顧指左右曰:「子之君,長孰与是?」倉唐曰:「礼,擬人必於其倫,諸侯毋偶,無所擬之。」曰:「長大孰与寡人。」倉唐曰:「君賜之外府之裘,則能勝之,賜之斥帯,則不更其造。」文侯曰:「子之君何業?」倉唐曰:「業詩。」文侯曰:「於詩何好?」倉唐曰:「好晨風、黍離。」文侯自読晨風曰:「彼晨風,鬱彼北林,未見君子,憂心欽欽,如何如何,忘我実多。」文侯曰:「子之君以我忘之乎?」倉唐曰:「不敢,時思耳。」文侯復読黍離曰:「彼黍離離,彼稷之苗,行邁靡靡,中心揺揺,知我者謂我心憂,不知我者謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?」文侯曰:「子之君怨乎?」倉唐曰:「不敢,時思耳。」文侯於是遣倉唐賜太子衣一襲,勅倉唐以雞鳴時至。太子起拝,受賜発篋,視衣尽顛倒。太子曰:「趣早駕,君侯召擊也。」倉唐曰:「臣来時不受命。」太子曰:「君侯賜擊衣,不以為寒也,欲召擊,無誰与謀,故勅子以雞鳴時至,詩曰:『東方未明,顛倒衣裳,顛之倒之,自公召之。』」遂西至謁。文侯大喜,乃置酒而称曰:「夫遠賢而近所愛,非社稷之長策也。」乃出少子摯,封中山,而復太子擊。故曰:「欲知其子,視其友;欲知其君,視其所使。」趙倉唐一使而文侯為慈父,而擊為孝子。太子乃称:「詩曰:『鳳凰于飛,噦噦其羽,亦集爰止,藹藹王多吉士,維君子使,媚于天子。』舎人之謂也。」
書き下し
魏の文侯太子擊を中山に封ず。三年、往來せしめず。舍人趙倉唐進みて稱して曰く、「人の子爲る、三年父の問いを聞かざれば、孝と謂うべからず。人の父爲る、三年子を問わざれば、慈と謂うべからず。君何ぞ人をして大國に使いせしめざる。」太子曰く、「之を願うこと久し。未だ使うべき者を得ず。」倉唐曰く、「臣使いを奉ぜんことを願う。侯何をか嗜好する。」太子曰く、「侯は晨鳧を嗜み、北犬を好む。」是に於て乃ち倉唐をして北犬を、晨鳧を奉じて、文侯に獻ぜしむ。倉唐至り、謁を上げて曰く、「孽子擊の使者、敢えて大夫の朝に當らず、請う燕閒を以て、晨鳧を奉じ、敬んで庖廚に獻じ、北犬、敬んで涓人に上げん。」文侯悅びて曰く、「擊我を愛す、吾が嗜む所を知り、吾が好む所を知る。」倉唐を召して之を見て曰く、「擊恙無きか。」倉唐曰く、「唯唯。」是くの如くする者三たび。乃ち曰く、「君太子を出だして之を國君に封じ、之を名づくるは、禮に非ざるなり。」文侯怵然として之が爲に容を變ず。問いて曰く、「子の君恙無きか。」倉唐曰く、「臣來る時、書を庭に拜送せり。」文侯左右を顧み指して曰く、「子の君、長ずること孰と是と。」倉唐曰く、「禮、人を擬するは必ず其の倫に於てす。諸侯偶無し、擬する所無し。」曰く、「長大なること孰と寡人と。」倉唐曰く、「君之に外府の裘を賜わば、則ち能く之に勝う。之に斥帶を賜わば、則ち其の造を更めず。」文侯曰く、「子の君何をか業とする。」倉唐曰く、「詩を業とす。」文侯曰く、「詩に於て何をか好む。」倉唐曰く、「晨風、黍離を好む。」文侯自ら晨風を讀みて曰く、「彼の晨風、鬱たる彼の北林、未だ君子を見ず、憂心欽欽たり、如何せん如何せん、我を忘るること實に多し。」文侯曰く、「子の君我を以て之を忘れたるか。」倉唐曰く、「敢えてせず、時に思うのみ。」文侯復た黍離を讀みて曰く、「彼の黍離離たり、彼の稷の苗、行邁靡靡たり、中心搖搖たり、我を知る者は我が心憂うと謂い、我を知らざる者は我何をか求むと謂う。悠悠たる蒼天、此れ何人ぞや。」文侯曰く、「子の君怨むか。」倉唐曰く、「敢えてせず、時に思うのみ。」文侯是に於て倉唐を遣わし太子に衣一襲を賜い、倉唐に敕して雞鳴の時を以て至らしむ。太子起ちて拜し、賜を受けて篋を發き、衣を視るに盡く顛倒せり。太子曰く、「趣かに早く駕せよ、君侯擊を召すなり。」倉唐曰く、「臣來る時命を受けず。」太子曰く、「君侯擊に衣を賜うは、寒しと爲すを以てせず、擊を召さんと欲す、誰と與に謀る無し、故に子に敕するに雞鳴の時を以てす。詩に曰く、『東方未だ明けざるに、衣裳を顛倒す、之を顛にし之を倒にす、公自り之を召す。』」遂に西のかた至りて謁す。文侯大いに喜び、乃ち酒を置きて稱して曰く、「夫れ賢を遠ざけて愛する所を近づくるは、社稷の長策に非ざるなり。」乃ち少子摯を出だして中山に封じ、太子擊を復す。故に曰く、「其の子を知らんと欲すれば、其の友を視よ。其の君を知らんと欲すれば、其の使う所を視よ。」趙倉唐一使にして文侯慈父と爲り、擊孝子と爲る。太子乃ち稱して曰く、「詩に曰く、『鳳凰于に飛び、噦噦たる其の羽、亦た爰に集まり止まる、藹藹たる王多吉士、維れ君子の使、天子に媚ぶ。』舍人の謂うなり。」
現代語訳
魏の文侯は太子撃を中山の地に封じた。三年間、行き来をさせなかった。舎人の趙倉唐が進み出て申し上げた。『人の子として、三年間父の消息を尋ねなければ、孝行とは言えません。人の父として、三年間子の消息を尋ねなければ、慈愛があるとは言えません。あなた様はなぜ大国へ使者を送られないのですか。』太子は言った。『それを願ってから久しい。しかし適当な使者を得られずにいた。』倉唐は言った。『私が使者を務めたく存じます。侯は何を好んでおられますか。』太子は言った。『侯は朝の鳧(かも)を好み、北方の犬を好んでおられる。』そこで倉唐に北方の犬と朝の鳧を持たせて文侯に献上させた。倉唐は到着し、拝謁を願い出て言った。『庶子である撃の使者は、大夫の朝廷に立ち会う資格はございませんが、どうか内々の場にて、朝の鳧を謹んで台所に献上し、北犬を謹んで側近の方に差し上げたく存じます。』文侯は喜んで言った。『撃は私を愛しているのだな。私の好むものをよく知っている。』倉唐を召して面会し、『撃は無事か』と尋ねた。倉唐は『はい、はい』と答えた。このやり取りを三度繰り返した後、倉唐は言った。『君が太子を国外に出し一国の君主として封じておきながら、太子という名のままにしておかれるのは、礼にかなったことではございません。』文侯ははっとして顔色を変えた。そして尋ねた。『あなたの主君は無事か。』倉唐は言った。『私が出発するとき、庭で書状を拝んで送り出されました。』文侯は左右の者を指して尋ねた。『あなたの主君は、これらの者と比べて背丈はどうか。』倉唐は言った。『礼では、人を比べるにはその同輩の間でするものです。諸侯には並ぶ者がなく、比べようがございません。』文侯は言った。『では私と比べてどうか。』倉唐は言った。『君が太子に外府の皮衣を賜れば、それを着こなせるでしょう。帯を賜れば、その仕立てを直す必要がないでしょう。』文侯は言った。『あなたの主君は何を学問としているか。』倉唐は言った。『詩経を学んでおられます。』文侯は言った。『詩経の中で何を好んでおられるか。』倉唐は言った。『晨風と黍離を好んでおられます。』文侯は自ら晨風の詩を読んで言った。『あの晨風の鳥は、鬱蒼とした北の林に舞う。まだ君子(父)にお目にかかれず、憂える心は満ちている。どうしたらよいのか、どうしたらよいのか。私のことを実に多く忘れておられるのだろうか。』文侯は言った。『あなたの主君は私のことを忘れてしまったのだろうか。』倉唐は言った。『そのようなことはございません。ただ折に触れて思っておられるだけです。』文侯はさらに黍離の詩を読んで言った。『あのきびは生い茂り、あのもちきびの苗も伸びている。歩みは重くゆっくりとし、心は揺れ動く。私を知る者は私の心が憂えていると言い、私を知らない者は私が何を求めているのかと言う。遥かなる蒼天よ、これは一体誰のせいなのか。』文侯は言った。『あなたの主君は私を恨んでいるのだろうか。』倉唐は言った。『そのようなことはございません。ただ折に触れて思っておられるだけです。』文侯はそこで倉唐を遣わして太子に衣一揃いを賜い、倉唐に、鶏が鳴く時刻に到着するようにと命じた。太子は起きて拝礼し、賜り物を受けて箱を開けたところ、衣はすべて上下逆さまに入っていた。太子は言った。『急いで早く馬車の支度をせよ、君侯が私を召しておられるのだ。』倉唐は言った。『私が出発するとき、そのような命令は受けておりません。』太子は言った。『君侯が私に衣を賜ったのは、寒さをしのぐためではない。私を呼び寄せようとして、誰にも相談できず、それであなたに鶏鳴の時刻に到着せよと命じたのだ。詩経にも「東の空がまだ明けないうちに、衣服を上下逆さまに着る、それを逆にしまた逆にする、主君みずからがお呼びになったのだから」とあるではないか。』そこで西へ向かい文侯のもとへ参上した。文侯は大いに喜び、酒宴を催して言った。『賢い者を遠ざけて、可愛がっている者ばかりを近づけるのは、国家の長期的な策ではない。』そこで末子の摯を中山に封じ直し、太子撃をもとの太子の地位に復させた。だから言う、『その子を知ろうと思えば、その友人を見よ。その君主を知ろうと思えば、その使者を見よ』と。趙倉唐はただ一度の使いで、文侯を慈父とし、撃を孝子とさせたのである。太子はそこで讃えて言った。『詩経に「鳳凰が飛び立ち、その羽音が響き渡る。またここに集まり止まる、盛んなことよ、王のもとに集う多くの善き士たちは。ただ君子の使者こそが、天子の御心に叶うのだ」とあるのは、まさに舎人のことを言うのだ。』
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。
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説苑・臣術田子方西河を渡り、翟黄に造く。翟黄軒車に乗り、華蓋黄金の勒を載せ、鎮簟の席を約し、此くの如き者其の駟八十乗なり。子方之を望みて以て人君と為すなり。道狭くして車を下りて之を待つ。翟黄至りて其の子方を睹る。車を下りて趨り、自ら下風に投じて曰く、「触」と。田子方曰く、「子か、吾向に子を望みて疑うらくは以て人君と為すかと。子至りて人臣なり、将た何を以て此に至るか」と。翟黄対えて曰く、「此れ皆君の以て臣に賜う所なり、三十歳を積みて故に此に至る。時に間暇を以て曠野に祖し、正に先生に逢う」と。子方曰く、「何ぞ子の車轝を賜うことの厚きや」と。翟黄対えて曰く、「昔者西河守無く、臣呉起を進む。而して西河の外、寧鄴令無く、臣西門豹を進む。而して魏に趙の患無し、酸棗令無く、臣北門可を進む。而して魏に斉の憂無し、魏中山を攻めんと欲す、臣楽羊を進めて中山抜く。魏之を治むる臣使わす無く、臣李克を進めて魏国大いに治まる。是を以て此の五大夫を進むるを以て、爵禄倍して故に此に至る」と。子方曰く、「可なり、子之を勉めよ、魏国の相子を去りて他に之かず」と。翟黄対えて曰く、「君の母弟に公孫季成なる者有り、子夏を進めて君之を師とし、段干木を進めて君之を友とし、先生を進めて君之を敬す。彼其の進むる所は師なり、友なり、敬する所なり。臣の進むる所は、皆職を守り禄を守るの臣なり、何を以て魏国の相に至らんや」と。子方曰く、「吾聞く、身賢なる者は賢なり、能く賢を進むる者も亦た賢なりと。子の五挙する者尽く賢なり、子之を勉めよ、子は其の次を終えん」と。斉の威王瑤台に遊び、成侯卿来りて事を奏す、従う車羅綺甚だ衆し。王之を望みて左右に謂いて曰く、「来る者は何を為す者ぞや」と。左右曰く、「成侯卿なり」と。王曰く、「国至って貧しきに、何ぞ出づること之盛んなるや」と。左右曰く、「人に与うる者は以て之に責むる有り、人より受くる者は以て之に易うる有り」と。王試みに其の説を問う。成侯卿至り、上謁して曰く、「忌なり」と。王応ぜず。又曰く、「忌なり」と。王応ぜず。又曰く、「忌なり」と。王曰く、「国至って貧しきに、何ぞ出づること之盛んなるや」と。成侯卿曰く、「其の死罪を赦し、臣をして其の説を言うを得しめよ」と。王曰く、「諾」と。対えて曰く、「忌田居子を挙げて西河と為して秦梁弱し、忌田解子を挙げて南城と為して楚人羅綺を抱きて朝す、忌黔涿子を挙げて冥州と為して燕人牲を給し趙人盛を給す、忌田種首子を挙げて即墨と為して斉に於いて足究す、忌北郭刁勃子を挙げて大士と為して九族益々親しみ、民益々富む、此の数良人を挙ぐれば、王枕して臥するのみ、何ぞ国の貧しきを患えんや」と。
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説苑・敬慎田子方魏の文侯に侍坐す。太子撃趨りて入りて見ゆ。賓客群臣皆起つ。田子方独り起たず。文侯説ばざるの色有り。太子も亦た然り。田子方称して曰わく、「子の為に起たんか、礼何かせん。子の為に起たざらんか、罪何かせん。請う子の為に楚の恭王の太子為りし時を誦せん。将に之を雲夢に出でんとするに、大夫工尹に遇う。工尹遂に趨りて家人の門中に避く。太子車を下りて之を家人の門中に従いて曰わく、『子大夫何為れぞ其れ是くの若きや。吾之を聞く、其の父を敬う者は其の子を兼ねず、其の子を兼ぬる者は不祥焉より大なるは莫しと。子大夫何為れぞ其れ是くの若きや』と。工尹曰わく、『向に吾子の面を望見し、今にして後子の心を記す。審らかに此くの如くんば、汝将た何くにか之かん』と」。文侯曰わく、「善し」と。太子撃前みて恭王の言を誦し、三たび誦して之を習わんことを請う。
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説苑・善說孟嘗君客を齊王に寄す。三年にして用いられず。故に客反りて孟嘗君に謂いて曰く、「君の臣を寄するや、三年にして用いられず。臣の罪を知らざるか、君の過ちか。」孟嘗君曰く、「寡人之を聞く、縷は針に因りて入り、針に因らずんば急ならず。女を嫁するは媒に因りて成り、媒に因らずんば親しまず。夫れ子の材必ず薄からん。尚お何ぞ寡人を怨まんや。」客曰く、「然らず。臣聞く、周氏の嚳、韓氏の盧は天下の疾狗なり。菟を見て指屬すれば、則ち菟を失う無し。望見して狗を放てば、則ち累世菟を得ること能わず。狗能くせざるに非ず、之を屬する者の罪なり。」孟嘗君曰く、「然らず。昔華舟杞梁戰いて死す。其の妻之を悲しみ、城に向いて哭す。隅之が爲に崩れ、城之が爲にす。君子誠に能く內に刑れば、則ち物外に應ず。夫れ土壤すら且つ忠を爲すべし、況んや穀を食む君有るをや。」客曰く、「然らず。臣鷦鷯の葦苕に巢くうを見る。之を髮毛に著け、之を女工に建つるも爲すこと能わず、完堅と謂うべし。大風至れば、則ち苕折れ卵破れ子死する者は何ぞや。其の託する所之をして然らしむるなり。且つ夫れ狐は人の攻むる所なり、鼠は人の燻ずる所なり。臣未だ嘗て稷の狐攻めらるるを見ず、社の鼠燻ぜらるるを見ざるなり。何となれば則ち託する所然るなり。」是に於て孟嘗君復た之を齊に屬す。齊王相と爲さしむ。
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説苑・奉使魏の文侯舍人毋擇をして、鵠を齊侯に獻ぜしむ。毋擇道を行くに之を失う。徒に空籠を獻じ、齊侯に見えて曰く、「寡君臣毋擇をして鵠を獻ぜしむ。道に飢渴す、臣出でて之に飲食せしむるに、鵠飛びて天に沖り、遂に復た反らず。念思するに錢の鵠を買うもの無きに非ざるなり。惡んぞ其の君の爲に使いして、其の弊を輕易にする者有らんや。念思するに劍を拔きて頭を刎ね、肉を腐らせ骨を中野に暴すこと能わざるに非ざるなり。吾が君の鵠を貴びて士を賤しむと爲さんことを。念思するに敢えて陳蔡の間に走るに非ざるなり。兩君の使いを絕つを惡む、故に敢えて身を愛しみ死を逃れず、來りて空籠を獻ず、唯だ主君斧質の誅あるのみ。」齊侯大いに悅びて曰く、「寡人今者茲の言を得たり、三たび鵠より賢なること遠し。寡人都郊の地百里有り、願わくは大夫に獻じて以て湯沐邑と爲さん。」毋擇對えて曰く、「惡んぞ其の君の爲に使いして其の弊を輕易にし、諸侯の地を利とする者有らんや。」遂に出でて反らず。
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説苑・復恩晋の文公亡ぐるの時、陶叔狐従ふ、文公国に反り、三たび賞を行ひて陶叔狐に及ばず、陶叔狐咎犯に見えて曰く、「吾君に従ひて亡ぐること十有三年、顔色黎黒、手足胼胝せり、今君国に反りて三たび賞を行ふも我に及ばず、意ふに君我を忘れたるか、我大故有るか、子試みに我が為に之を君に言へ」と。咎犯之を文公に言ふ、文公曰く、「嘻、我豈に是の子を忘れんや。夫れ高明至賢、徳行全誠、我を道を以て耽しませ、我を仁を以て説ばしめ、我が行ひを暴かに浣ひ、我が名を昭明にし、我をして成人為らしめし者は、吾以て上賞と為さん。我を礼を以て防ぎ、我を誼を以て諫め、我を蕃援して我をして非を為すを得ざらしめ、数々我を賢人の門に引きて請ひし者は、吾以て次賞と為さん。夫れ勇壮強禦、難前に在れば則ち前に居り、難後に在れば則ち後に居り、我を患難の中より免れしめし者は、吾又以て之が次と為さん。且つ子独り聞かざるか、人を死せしむる者は、人の身を存するに如かず、人を亡ぼす者は、人の国を存するに如かず、三行の賞の後にして、労苦の士之に次ぐ、夫れ労苦の士は、是れ子固に首為り、豈に敢へて子を忘れんや」と。周の内史叔輿之を聞きて曰く、「文公其れ霸たらんか。昔聖王は徳を先にして力を後にす、文公其れ之に当れり、詩に云く、『率履越えず』とは、此を之れ謂ふなり」と。晋の文公国に入るに、河に至り、籩豆茵席を棄てしめ、顔色黎黒、手足胼胝せる者を後に在らしむ、咎犯之を聞き、中夜にして哭す、文公曰く、「吾亡ぐること十有九年なり、今将に国に反らんとするに、夫子喜ばずして哭するは、何ぞや、其れ吾が国に反るを欲せざるか」と。対へて曰く、「籩豆茵席は、官する所以なるに、之を棄て、顔色黎黒、手足胼胝せるは、労苦を執る所以なるに、皆之を後にす、臣聞く、国君士を蔽へば、忠臣を取る所無く、大夫遊を蔽へば、忠友を取る所無し、と。今国に至るに、臣蔽ふ所の中に在り、其の哀しみに勝へず、故に哭するなり」と。文公曰く、「禍福利害咎氏と之を同じくせざれば、白水有るが如し」と、之を祝して、璧を刀にて沈めて盟す。介子推曰く、「献公の子九人、唯だ君のみ在るのみ、天未だ晋を絶たず、必ず主有らん、晋祀を主る者君に非ずして何ぞや、唯だ二三子の者以て己が力と為すは、亦た誣ならずや」と。文公即位するも、賞推に及ばず、推が母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる」と。推曰く、「尤めて之に效はば、罪又甚し、且つ怨言を出だせば、其の食を食らはず」と。其の母曰く、「亦た知らしめよ」と。推曰く、「言は身の文なり、身将に隠れんとす、安んぞ文を用ゐん」と。其の母曰く、「能く是の如くんば、若と俱に隠れん」と。死に至るまで復た推に見えず。従者之を憐みて、乃ち書を宮門に懸けて曰く、「龍有り矯矯たり、頃其の所を失ふ、五蛇之に従ひ、天下を周遍す、龍飢ゑて食無し、一蛇股を割く、龍其の淵に反り、其の壤土に安んず、四蛇穴に入り、皆処る所有り、一蛇穴無く、中野に号す」と。文公出でて書を見て曰く、「嗟此れ介子推なり、吾方に王室を憂ひて其の功を図らず」と。人をして之を召さしむるに則ち亡ぐ、遂に其の在る所を求む、其の綿上山中に入るを聞く。是に於て文公綿上山中を表して之を封じ、以て介推の田と為し、号して介山と曰ふ。