説苑 / 奉使
魏文侯封太子擊於中山,三年,使不往來,舍人趙倉唐進稱曰:「為人子,三年不聞父問,不可謂孝。為人父,三年不問子,不可謂慈。君何不遣人使大國乎?」太子曰:「願之久矣。未得可使者。」倉唐曰:「臣願奉使,侯何嗜好?」太子曰:「侯嗜晨鳧,好北犬。」於是乃遣倉唐緤北犬,奉晨鳧,獻於文侯。倉唐至,上謁曰:「孽子擊之使者,不敢當大夫之朝,請以燕閒,奉晨鳧,敬獻庖廚,緤北犬,敬上涓人。」文侯悅曰:「擊愛我,知吾所嗜,知吾所好。」召倉唐而見之,曰:「擊無恙乎?」倉唐曰:「唯唯。」如是者三,乃曰:「君出太子而封之國君,名之,非禮也。」文侯怵然為之變容。問曰:「子之君無恙乎?」倉唐曰:「臣來時,拜送書於庭。」文侯顧指左右曰:「子之君,長孰與是?」倉唐曰:「禮,擬人必於其倫,諸侯毋偶,無所擬之。」曰:「長大孰與寡人。」倉唐曰:「君賜之外府之裘,則能勝之,賜之斥帶,則不更其造。」文侯曰:「子之君何業?」倉唐曰:「業詩。」文侯曰:「於詩何好?」倉唐曰:「好晨風、黍離。」文侯自讀晨風曰:「鴥彼晨風,鬱彼北林,未見君子,憂心欽欽,如何如何,忘我實多。」文侯曰:「子之君以我忘之乎?」倉唐曰:「不敢,時思耳。」文侯復讀黍離曰:「彼黍離離,彼稷之苗,行邁靡靡,中心搖搖,知我者謂我心憂,不知我者謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?」文侯曰:「子之君怨乎?」倉唐曰:「不敢,時思耳。」文侯於是遣倉唐賜太子衣一襲,敕倉唐以雞鳴時至。太子起拜,受賜發篋,視衣盡顛倒。太子曰:「趣早駕,君侯召擊也。」倉唐曰:「臣來時不受命。」太子曰:「君侯賜擊衣,不以為寒也,欲召擊,無誰與謀,故敕子以雞鳴時至,詩曰:『東方未明,顛倒衣裳,顛之倒之,自公召之。』」遂西至謁。文侯大喜,乃置酒而稱曰:「夫遠賢而近所愛,非社稷之長策也。」乃出少子摯,封中山,而復太子擊。故曰:「欲知其子,視其友;欲知其君,視其所使。」趙倉唐一使而文侯為慈父,而擊為孝子。太子乃稱:「詩曰:『鳳凰于飛,噦噦其羽,亦集爰止,藹藹王多吉士,維君子使,媚于天子。』舍人之謂也。」
新字:魏文侯封太子撃於中山,三年,使不往来,舎人趙倉唐進称曰:「為人子,三年不聞父問,不可謂孝。為人父,三年不問子,不可謂慈。君何不遣人使大国乎?」太子曰:「願之久矣。未得可使者。」倉唐曰:「臣願奉使,侯何嗜好?」太子曰:「侯嗜晨鳧,好北犬。」於是乃遣倉唐緤北犬,奉晨鳧,献於文侯。倉唐至,上謁曰:「孽子撃之使者,不敢当大夫之朝,請以燕閒,奉晨鳧,敬献庖廚,緤北犬,敬上涓人。」文侯悦曰:「撃愛我,知吾所嗜,知吾所好。」召倉唐而見之,曰:「撃無恙乎?」倉唐曰:「唯唯。」如是者三,乃曰:「君出太子而封之国君,名之,非礼也。」文侯怵然為之変容。問曰:「子之君無恙乎?」倉唐曰:「臣来時,拝送書於庭。」文侯顧指左右曰:「子之君,長孰与是?」倉唐曰:「礼,擬人必於其倫,諸侯毋偶,無所擬之。」曰:「長大孰与寡人。」倉唐曰:「君賜之外府之裘,則能勝之,賜之斥帯,則不更其造。」文侯曰:「子之君何業?」倉唐曰:「業詩。」文侯曰:「於詩何好?」倉唐曰:「好晨風、黍離。」文侯自読晨風曰:「鴥彼晨風,鬱彼北林,未見君子,憂心欽欽,如何如何,忘我実多。」文侯曰:「子之君以我忘之乎?」倉唐曰:「不敢,時思耳。」文侯復読黍離曰:「彼黍離離,彼稷之苗,行邁靡靡,中心揺揺,知我者謂我心憂,不知我者謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?」文侯曰:「子之君怨乎?」倉唐曰:「不敢,時思耳。」文侯於是遣倉唐賜太子衣一襲,勅倉唐以鶏鳴時至。太子起拝,受賜発篋,視衣尽顛倒。太子曰:「趣早駕,君侯召撃也。」倉唐曰:「臣来時不受命。」太子曰:「君侯賜撃衣,不以為寒也,欲召撃,無誰与謀,故勅子以鶏鳴時至,詩曰:『東方未明,顛倒衣裳,顛之倒之,自公召之。』」遂西至謁。文侯大喜,乃置酒而称曰:「夫遠賢而近所愛,非社稷之長策也。」乃出少子摯,封中山,而復太子撃。故曰:「欲知其子,視其友;欲知其君,視其所使。」趙倉唐一使而文侯為慈父,而撃為孝子。太子乃称:「詩曰:『鳳凰于飛,噦噦其羽,亦集爰止,藹藹王多吉士,維君子使,媚于天子。』舎人之謂也。」
書き下し
魏の文侯太子擊を中山に封ず。三年、往來せしめず。舍人趙倉唐進みて稱して曰く、「人の子爲る、三年父の問いを聞かざれば、孝と謂うべからず。人の父爲る、三年子を問わざれば、慈と謂うべからず。君何ぞ人をして大國に使いせしめざる。」太子曰く、「之を願うこと久し。未だ使うべき者を得ず。」倉唐曰く、「臣使いを奉ぜんことを願う。侯何をか嗜好する。」太子曰く、「侯は晨鳧を嗜み、北犬を好む。」是に於て乃ち倉唐をして北犬を緤ぎ、晨鳧を奉じて、文侯に獻ぜしむ。倉唐至り、謁を上げて曰く、「孽子擊の使者、敢えて大夫の朝に當らず、請う燕閒を以て、晨鳧を奉じ、敬んで庖廚に獻じ、北犬を緤ぎ、敬んで涓人に上げん。」文侯悅びて曰く、「擊我を愛す、吾が嗜む所を知り、吾が好む所を知る。」倉唐を召して之を見て曰く、「擊恙無きか。」倉唐曰く、「唯唯。」是くの如くする者三たび。乃ち曰く、「君太子を出だして之を國君に封じ、之を名づくるは、禮に非ざるなり。」文侯怵然として之が爲に容を變ず。問いて曰く、「子の君恙無きか。」倉唐曰く、「臣來る時、書を庭に拜送せり。」文侯左右を顧み指して曰く、「子の君、長ずること孰と是と。」倉唐曰く、「禮、人を擬するは必ず其の倫に於てす。諸侯偶無し、擬する所無し。」曰く、「長大なること孰と寡人と。」倉唐曰く、「君之に外府の裘を賜わば、則ち能く之に勝う。之に斥帶を賜わば、則ち其の造を更めず。」文侯曰く、「子の君何をか業とする。」倉唐曰く、「詩を業とす。」文侯曰く、「詩に於て何をか好む。」倉唐曰く、「晨風、黍離を好む。」文侯自ら晨風を讀みて曰く、「鴥たる彼の晨風、鬱たる彼の北林、未だ君子を見ず、憂心欽欽たり、如何せん如何せん、我を忘るること實に多し。」文侯曰く、「子の君我を以て之を忘れたるか。」倉唐曰く、「敢えてせず、時に思うのみ。」文侯復た黍離を讀みて曰く、「彼の黍離離たり、彼の稷の苗、行邁靡靡たり、中心搖搖たり、我を知る者は我が心憂うと謂い、我を知らざる者は我何をか求むと謂う。悠悠たる蒼天、此れ何人ぞや。」文侯曰く、「子の君怨むか。」倉唐曰く、「敢えてせず、時に思うのみ。」文侯是に於て倉唐を遣わし太子に衣一襲を賜い、倉唐に敕して雞鳴の時を以て至らしむ。太子起ちて拜し、賜を受けて篋を發き、衣を視るに盡く顛倒せり。太子曰く、「趣かに早く駕せよ、君侯擊を召すなり。」倉唐曰く、「臣來る時命を受けず。」太子曰く、「君侯擊に衣を賜うは、寒しと爲すを以てせず、擊を召さんと欲す、誰と與に謀る無し、故に子に敕するに雞鳴の時を以てす。詩に曰く、『東方未だ明けざるに、衣裳を顛倒す、之を顛にし之を倒にす、公自り之を召す。』」遂に西のかた至りて謁す。文侯大いに喜び、乃ち酒を置きて稱して曰く、「夫れ賢を遠ざけて愛する所を近づくるは、社稷の長策に非ざるなり。」乃ち少子摯を出だして中山に封じ、太子擊を復す。故に曰く、「其の子を知らんと欲すれば、其の友を視よ。其の君を知らんと欲すれば、其の使う所を視よ。」趙倉唐一使にして文侯慈父と爲り、擊孝子と爲る。太子乃ち稱して曰く、「詩に曰く、『鳳凰于に飛び、噦噦たる其の羽、亦た爰に集まり止まる、藹藹たる王多吉士、維れ君子の使、天子に媚ぶ。』舍人の謂うなり。」
現代語訳
魏の文侯は太子撃を中山の地に封じた。三年間、行き来をさせなかった。舎人の趙倉唐が進み出て申し上げた。『人の子として、三年間父の消息を尋ねなければ、孝行とは言えません。人の父として、三年間子の消息を尋ねなければ、慈愛があるとは言えません。あなた様はなぜ大国へ使者を送られないのですか。』太子は言った。『それを願ってから久しい。しかし適当な使者を得られずにいた。』倉唐は言った。『私が使者を務めたく存じます。侯は何を好んでおられますか。』太子は言った。『侯は朝の鳧(かも)を好み、北方の犬を好んでおられる。』そこで倉唐に北方の犬と朝の鳧を持たせて文侯に献上させた。倉唐は到着し、拝謁を願い出て言った。『庶子である撃の使者は、大夫の朝廷に立ち会う資格はございませんが、どうか内々の場にて、朝の鳧を謹んで台所に献上し、北犬を謹んで側近の方に差し上げたく存じます。』文侯は喜んで言った。『撃は私を愛しているのだな。私の好むものをよく知っている。』倉唐を召して面会し、『撃は無事か』と尋ねた。倉唐は『はい、はい』と答えた。このやり取りを三度繰り返した後、倉唐は言った。『君が太子を国外に出し一国の君主として封じておきながら、太子という名のままにしておかれるのは、礼にかなったことではございません。』文侯ははっとして顔色を変えた。そして尋ねた。『あなたの主君は無事か。』倉唐は言った。『私が出発するとき、庭で書状を拝んで送り出されました。』文侯は左右の者を指して尋ねた。『あなたの主君は、これらの者と比べて背丈はどうか。』倉唐は言った。『礼では、人を比べるにはその同輩の間でするものです。諸侯には並ぶ者がなく、比べようがございません。』文侯は言った。『では私と比べてどうか。』倉唐は言った。『君が太子に外府の皮衣を賜れば、それを着こなせるでしょう。帯を賜れば、その仕立てを直す必要がないでしょう。』文侯は言った。『あなたの主君は何を学問としているか。』倉唐は言った。『詩経を学んでおられます。』文侯は言った。『詩経の中で何を好んでおられるか。』倉唐は言った。『晨風と黍離を好んでおられます。』文侯は自ら晨風の詩を読んで言った。『あの晨風の鳥は、鬱蒼とした北の林に舞う。まだ君子(父)にお目にかかれず、憂える心は満ちている。どうしたらよいのか、どうしたらよいのか。私のことを実に多く忘れておられるのだろうか。』文侯は言った。『あなたの主君は私のことを忘れてしまったのだろうか。』倉唐は言った。『そのようなことはございません。ただ折に触れて思っておられるだけです。』文侯はさらに黍離の詩を読んで言った。『あのきびは生い茂り、あのもちきびの苗も伸びている。歩みは重くゆっくりとし、心は揺れ動く。私を知る者は私の心が憂えていると言い、私を知らない者は私が何を求めているのかと言う。遥かなる蒼天よ、これは一体誰のせいなのか。』文侯は言った。『あなたの主君は私を恨んでいるのだろうか。』倉唐は言った。『そのようなことはございません。ただ折に触れて思っておられるだけです。』文侯はそこで倉唐を遣わして太子に衣一揃いを賜い、倉唐に、鶏が鳴く時刻に到着するようにと命じた。太子は起きて拝礼し、賜り物を受けて箱を開けたところ、衣はすべて上下逆さまに入っていた。太子は言った。『急いで早く馬車の支度をせよ、君侯が私を召しておられるのだ。』倉唐は言った。『私が出発するとき、そのような命令は受けておりません。』太子は言った。『君侯が私に衣を賜ったのは、寒さをしのぐためではない。私を呼び寄せようとして、誰にも相談できず、それであなたに鶏鳴の時刻に到着せよと命じたのだ。詩経にも「東の空がまだ明けないうちに、衣服を上下逆さまに着る、それを逆にしまた逆にする、主君みずからがお呼びになったのだから」とあるではないか。』そこで西へ向かい文侯のもとへ参上した。文侯は大いに喜び、酒宴を催して言った。『賢い者を遠ざけて、可愛がっている者ばかりを近づけるのは、国家の長期的な策ではない。』そこで末子の摯を中山に封じ直し、太子撃をもとの太子の地位に復させた。だから言う、『その子を知ろうと思えば、その友人を見よ。その君主を知ろうと思えば、その使者を見よ』と。趙倉唐はただ一度の使いで、文侯を慈父とし、撃を孝子とさせたのである。太子はそこで讃えて言った。『詩経に「鳳凰が飛び立ち、その羽音が響き渡る。またここに集まり止まる、盛んなことよ、王のもとに集う多くの善き士たちは。ただ君子の使者こそが、天子の御心に叶うのだ」とあるのは、まさに舎人のことを言うのだ。』
解説

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