説苑 / 善說
趙襄子謂仲尼曰:「先生委質以見人主七十君矣,而無所通,不識世無明君乎?意先生之道,固不通乎?」仲尼不對。異日,襄子見子路曰:「嘗問先生以道,先生不對,知而不對則隱也。隱則安得為仁;若信不知,安得為聖?」子路曰:「建天下之鳴鐘,而撞之以挺,豈能發其聲乎哉?君問先生,無乃猶以挺撞乎?」
新字:趙襄子謂仲尼曰:「先生委質以見人主七十君矣,而無所通,不識世無明君乎?意先生之道,固不通乎?」仲尼不対。異日,襄子見子路曰:「嘗問先生以道,先生不対,知而不対則隠也。隠則安得為仁;若信不知,安得為聖?」子路曰:「建天下之鳴鐘,而撞之以挺,豈能発其声乎哉?君問先生,無乃猶以挺撞乎?」
書き下し
趙の襄子仲尼に謂いて曰く、「先生質を委ねて以て人主七十君に見ゆるも、通ずる所無し。世に明君無きを識らざるか。意うに先生の道、固より通ぜざるか。」仲尼對えず。異日、襄子子路に見えて曰く、「嘗て先生に道を以て問うに、先生對えず。知りて對えざれば則ち隱すなり。隱せば安んぞ仁と爲るを得ん。若し信に知らずんば、安んぞ聖と爲るを得ん。」子路曰く、「天下の鳴鐘を建てて、之を撞くに挺を以てせば、豈に能く其の聲を發せんや。君先生に問うは、乃ち猶お挺を以て撞つがごときに無きか。」
現代語訳
趙の襄子が仲尼(孔子)に言った。『先生は身を捧げて七十人もの君主に謁見し仕えようとしましたが、どこにも受け入れられませんでした。世に明君がいないとお思いにはなりませんか。それとも先生の説く道が、そもそも世に通用しないものだとお思いですか。』仲尼は答えなかった。後日、襄子は子路に会って言った。『以前、先生に道について尋ねたが、先生は答えなかった。知っていながら答えないのは隠すということだ。隠すのであれば、どうして仁の人と言えようか。もし本当に知らないのであれば、どうして聖人と言えようか。』子路は言った。『天下に鳴り響く大鐘を建てておきながら、それを小さな木の枝で叩いたとしたら、どうしてその本来の音を響かせることができましょうか。あなたが先生に問われたのも、まさに小枝で大鐘を叩くようなものではありませんか。』
解説
この章句が説くこと
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説苑・善說子路孔子に問いて曰く、「管仲は何如なる人ぞや。」子曰く、「大人なり。」子路曰く、「昔者管子襄公に說くも、襄公說ばず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ能無きなり。家齊に殘わるるも憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車の中に居るも慚色無し、是れ愧無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死すれども、管仲死せず、是れ仁無きなり。夫子何を以て之を大とするか。」子曰く、「管仲襄公に說くも、襄公說ばず、管仲辯ならざるに非ず、襄公說ぶを知らざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わざるは、能無きに非ず、時に遇わざるなり。家齊に殘わるるも憂色無きは、慈ならざるに非ず、命を知るなり。桎梏せられ檻車に居りて慚色無きは、愧無きに非ず、自ら裁するなり。射る所の君に事うるは、貞ならざるに非ず、權を知るなり。召忽之に死すれども、管仲死せざるは、仁無きに非ず。召忽なる者は、人臣の材なり、死せずんば則ち三軍の虜なり。之に死すれば則ち名天下に聞こゆ、夫れ何為れぞ死せざらんや。管仲なる者は、天子の佐、諸侯の相なり。之に死すれば則ち溝中の瘠と爲るを免れず、死せずんば則ち功復た天下に用いらる、夫れ何爲れぞ之に死せんや。由よ、汝知らざるなり。」
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荀子・子道篇子路、孔子に問いて曰く、「魯の大夫、練(れん)して床(しょう)するは、礼なるか」と。孔子曰く、「吾知らざるなり」と。子路出でて、子貢に謂いて曰く、「吾以為(おも)えらく夫子は知らざる所無しと。夫子徒(た)だ知らざる所有り」と。子貢曰く、「女(なんじ)何をか問える」と。子路曰く、「由問う、『魯の大夫、練して床するは礼なるか』と。夫子曰く、『吾知らざるなり』と」と。子貢曰く、「吾将(まさ)に女の為に之を問わんとす」と。子貢問いて曰く、「練して床するは、礼なるか」と。孔子曰く、「礼に非ざるなり」と。子貢出でて、子路に謂いて曰く、「女、夫子を知らざる所有りと謂えるか。夫子徒だ知らざる所無し。女の問いは非なり。礼に、是の邑に居りては其の大夫を非(そし)らず、と」。
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孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」
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説苑・反質仲尼老聃に問いて曰く、「甚だしいかな!道の今に於て行い難きや!吾比ごろ道を執り質を委ねて以て世の君に當るも、我を受けざるなり。道の今に於て行い難きなり。」と。老子曰く、「夫れ說く者は聽に流れ、言う者は辭に亂る、此くの如き二者あれば、則ち道委ぬべからず。」と。
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説苑・善說子貢太宰嚭に見ゆ。太宰嚭問いて曰く、「孔子は何如。」對えて曰く、「臣以て之を知るに足らず。」太宰曰く、「子知らずして、何を以て之に事うるか。」對えて曰く、「惟だ知らず、故に之に事う。夫子は其れ猶お大山林のごとし、百姓各々其の材を足す。」太宰嚭曰く、「子夫子を增すか。」對えて曰く、「夫子は增すべからざるなり。夫れ賜は其れ猶お一累壤のごとし。一累壤を以て大山を增すも、其の高きを益さず、且つ知らずと爲す。」太宰嚭曰く、「然らば則ち子酌む所有るか。」對えて曰く、「天下に大樽有りて子獨り酌まざるなり、誰の罪なるかを識らず。」
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孔子家語・曲禮子夏問子路、孔子に問いて曰く、「魯の大夫練にして杖するは、礼か」と。孔子曰く、「吾知らざるなり」と。子路出でて、子貢に謂いて曰く、「吾以て夫子知らざる所無しと為すも、夫子も亦た徒だ知らざる所有るなり」と。子貢曰く、「子問う所は何ぞや」と。子路曰く、「止まれ、吾将に子の為に之を問わんとす」と。遂に趨りて進みて曰く、「練にして杖するは、礼か」と。孔子曰く、「礼に非ざるなり」と。子貢出でて、子路に謂いて曰く、「子夫子を謂いて之を知らずとするか、夫子徒だに知らざる所無きなり、子の問い、非なり、礼、是の邦に居れば則ち其の大夫を非とせず」と。