説苑 / 正諫
楚莊王欲伐陽夏,師久而不罷,群臣欲諫而莫敢,莊王獵於雲夢,椒舉進諫曰:「王所以多得獸者,馬也;而王國亡,王之馬豈可得哉?」莊王曰:「善,不穀知詘強之可以長諸侯也,知得地之可以為富也;而忘吾民之不用也。」明日飲諸大夫酒,以椒舉為上客,罷陽夏之師。
新字:楚荘王欲伐陽夏,師久而不罷,群臣欲諫而莫敢,荘王猟於雲夢,椒舉進諫曰:「王所以多得獣者,馬也;而王国亡,王之馬豈可得哉?」荘王曰:「善,不穀知詘強之可以長諸侯也,知得地之可以為富也;而忘吾民之不用也。」明日飲諸大夫酒,以椒舉為上客,罷陽夏之師。
書き下し
楚の荘王、陽夏を伐たんと欲し、師久しくして罷めず。群臣諫めんと欲するも敢えてする莫し。荘王雲夢に猟す。椒挙進みて諫めて曰わく、「王の獣を多く得る所以の者は馬なり。而して王の国亡びなば、王の馬豈に得べけんや」と。荘王曰わく、「善し。不穀、強を詘するの以て諸侯を長ぜしむべきを知り、地を得るの以て富と為すべきを知るも、吾が民の用いられざるを忘れたり」と。明日諸大夫に酒を飲ましめ、椒挙を以て上客と為し、陽夏の師を罷む。
現代語訳
楚の荘王は陽夏を討とうとし、軍を長く動かして休ませなかった。群臣は諫めたいと思ったが誰もあえて言い出さなかった。荘王が雲夢で狩りをしていたとき、椒挙が進み出て諫めて言った、「王が多くの獲物を得ることができるのは馬のおかげです。もし王の国が滅んでしまえば、王はどうして馬を得ることができましょうか」と。荘王は言った、「その通りだ。私は強者を屈服させることで諸侯の長となれることは知っていたし、土地を得ることが富につながることも知っていた。しかし我が民が疲弊して使い物にならなくなっていることを忘れていた」と。翌日、諸大夫に酒をふるまい、椒挙を上客として迎え、陽夏への出兵を取りやめた。
解説
椒挙は戦争そのものの是非を直接論じるのではなく、王が最も愛着を持つ狩りの獲物と馬という身近な比喩を用いて、国力の消耗という本質的な問題に気づかせている。長期の遠征が国を疲弊させるという指摘は、企業経営における無理な事業拡大や長期戦のプロジェクトにも当てはまる。荘王が即座に非を認め、翌日には諫言者を上客として遇した対応の速さも印象的であり、権力者が過ちを認めて修正する敏捷さこそが、組織の致命的な消耗を防ぐ鍵であることを示している。
この章句が説くこと
国力の消耗狩りの比喩即断の是正
関連する章句
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説苑・正諫楚の荘王、立ちて君と為り、三年朝を聴かず、乃ち国に令して曰わく、「寡人、人臣為りて遽かに其の君を諫むる者を悪む。今寡人国家を有ち、社稷を立つ。諫むる有らば死して赦す無し」と。蘇従曰わく、「君の高爵に処り、君の厚禄を食みて、其の死を愛して其の君を諫めざれば、則ち忠臣に非ざるなり」と。乃ち入りて諫む。荘王、鼓鐘の間に立ち、左に楊姫を伏し、右に越姫を擁し、左に裯衽し、右に朝服す。曰わく、「吾が鼓鐘の暇あらざるに、何の諫をか聴かん」と。蘇従曰わく、「臣之を聞く、道を好む者は資多く、楽を好む者は迷い多し。道を好む者は糧多く、楽を好む者は亡ぶこと多し。荊国の亡ぶること日無からん。死臣敢えて以て王に告ぐ」と。王曰わく善しと。左に蘇従の手を執り、右に陰刃を抽き、鐘鼓の懸を刎つ。明日蘇従を授けて相と為す。
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『新序』雜事第二莊辛楚の襄王に諫めて曰く、君王左に州侯、右に夏侯、新安君と壽陵君とを從えて軒を同じくし、淫衍侈靡にして國政を忘る。郢其れ危うし、と。王曰く、先生老いて惽めるか。妄りに楚國の爲に妖を爲すか、と。莊辛對えて曰く、臣敢えて楚の爲に妖を爲すに非ず。誠に之を見ればなり。君王卒に此の四子なる者に近づかば、則ち楚必ず亡びん。辛請う趙に留まりて以て之を觀ん、と。是に於いて十月を出でずして、王果たして巫山・江漢・鄢郢の地を亡う。是に於いて王乃ち使いをして莊辛を趙に召さしむ。辛至る。王曰く、嘻、先生來たれるか。寡人先生の言を用いざるを以て此に至れり。之を爲すこと柰何、と。莊辛曰く、君王辛の言を用いば則ち可なり。辛の言を用いずんば又た將に甚だしからんとす。此れ庶人に稱すること有りて曰く、羊を亡いて牢を固くするも未だ遲しと爲さず、兎を見て狗を呼ぶも未だ晩しと爲さず、と。湯武は百里を以て王たり、桀紂は天下を以て亡ぶ。今楚は小なりと雖も、長を絶ちて短を繼がば、千里を以て數う。豈に特だ百里ならんや。且つ君王獨り夫の青蛉を見ざるか。六足四翼、天地の間に蜚翔し、蚊虻を求めて之を食らい、甘露に時して之を飲む。自ら以爲えらく患い無く、民と爭う無しと。知らず、五尺の童子、絲を膠して竿し、之を四仞の上に加え、而して下りて蟲蛾の食と爲るを、と。
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戦国策・莊辛謂楚襄王荘辛、楚の襄王に謂いて曰く、「君王、左に州侯、右に夏侯、輦に鄢陵君と壽陵君とを従え、専ら淫逸侈靡にして、国政を顧みず、郢都必ず危うからん。」襄王曰く、「先生老いて悖(もう)せるか。将に以て楚国の祅祥(ようしょう)と為さんとするか。」荘辛曰く、「臣誠に其の必然なる者を見るなり、敢えて以て国の祅祥と為すに非ざるなり。君王卒に四子を幸して衰えざれば、楚国必ず亡びん。臣請う趙に辟け、淹留して以て之を観ん。」荘辛去りて趙に之き、留まること五月、秦果たして鄢・郢・巫・上蔡・陳の地を挙げ、襄王流れて城陽に揜わる。是に於て人をして騶を発せしめ、荘辛を趙に徴す。荘辛曰く、「諾。」荘辛至るに、襄王曰く、「寡人先生の言を用うる能わず、今事此に至る、之を奈何せん。」荘辛対えて曰く、「臣聞く鄙語に曰く、『兔を見て犬を顧みるは、未だ晩しと為さず。羊を亡いて牢を補うは、未だ遅しと為さず』と。臣聞く昔、湯・武は百里を以て昌え、桀・紂は天下を以て亡ぶ、と。今、楚国小なりと雖も、長を絶ちて短を続げば、猶お数千里を以てす、豈に特に百里のみならんや。」「王独り夫の蜻蛉を見ずや。六足四翼、天地の間に飛翔し、俛して蚊虻を啄みて之を食い、仰ぎて甘露を承けて之を飲み、自ら以て患い無く、人と争う無しと為す。夫の五尺の童子、方に鈆膠糸を調え、己に四仞の上に加えんとして、下りて螻蟻の食と為るを知らざるなり。蜻蛉は其れ小なる者なり、黄雀是に因る。俯して白粒を噣み、仰ぎて茂樹に棲み、翅を鼓し翼を奮い、自ら以て患い無く、人と争う無しと為す。夫の公子王孫、左に弾を挟み右に丸を攝り、将に己に十仞の上に加えんとして、其の類を以て招と為すを知らざるなり。昼は茂樹に游び、夕べには酸鹹に調えられ、倏忽の間に、公子の手に墜つ。」「夫れ雀は其れ小なる者なり、黄鵠是に因る。江海に游び、大沼に淹り、府して䱧鯉を噣み、仰ぎて陵衡を嚙み、其の六翮を奮いて、清風を凌ぎ、飄搖として高く翔り、自ら以て患い無く、人と争う無しと為す。夫の射者の、方に其の𦲱盧を脩め、其の繒繳を治め、将に己に百仞の上に加えんとするを知らざるなり。彼の礛磻、微繳を引き、清風を折りて抎つ。故に昼は江河に游び、夕べには鼎鼐に調えらる。」「夫れ黄鵠は其れ小なる者なり、蔡の聖侯の事是に因る。南のかた高陂に游び、北のかた巫山に陵り、茹谿の流れを飲み、湘波の魚を食い、左に幼妾を抱き、右に嬖女を擁し、之と高蔡の中に馳騁して、国家を以て事と為さず。夫の子発の方に宣王に命を受け、己を朱糸を以て繫ぎて之に見ゆるを知らざるなり。」「蔡の聖侯の事は其れ小なる者なり、君王の事是に因る。左に州侯、右に夏侯を置き、鄢陵君と壽陵君とを輩従し、封禄の粟を飯い、方府の金を戴き、之と雲夢の中に馳騁して、天下国家を以て事と為さず。夫の穰侯の方に秦王に命を受け、黽塞の内を填め、己を黽塞の外に投ずるを知らざるなり。」襄王之を聞き、顔色変作し、身体戦慄す。是に於て乃ち執珪を以て之に授けて陽陵君と為し、淮北の地を与う。