貞観政要 / 直諫
貞觀十一年,所司奏淩敬乞貪之狀。太宗責侍中魏徵等濫進人。徵曰:「臣等每蒙顧問,常具言其長短。有學識,強諫諍,是其所長。愛生活,好經營,是其所短。今淩敬為人作碑文,教人讀《漢書》,因茲附托,回易求利,與臣等所說不同。陛下未用其長,惟見其短,以為臣等欺罔,實不敢心伏。」太宗納之。
新字:貞観十一年,所司奏淩敬乞貪之状。太宗責侍中魏徴等濫進人。徴曰:「臣等毎蒙顧問,常具言其長短。有学識,強諫諍,是其所長。愛生活,好経営,是其所短。今淩敬為人作碑文,教人読《漢書》,因茲附托,回易求利,与臣等所説不同。陛下未用其長,惟見其短,以為臣等欺罔,実不敢心伏。」太宗納之。
書き下し
貞観十一年、所司は淩敬の乞貪の状を奏す。太宗は侍中魏徴等の濫りに人を進むるを責む。徴曰く、「臣等は顧問を蒙る毎に、常に具さに其の長短を言う。学識有り、強いて諫諍するは、是れ其の長なり。生活を愛し、経営を好むは、是れ其の短なり。今、淩敬は人の為に碑文を作り、人に『漢書』を読むを教う。茲に因りて附託し、回易して利を求む。臣等の説く所と同じからず。陛下は未だ其の長を用いず、惟だ其の短を見る。以て臣等の欺罔と為す。実に敢えて心に伏せず」と。太宗之を納る。
現代語訳
貞観十一年、担当の役所が凌敬の貪欲な振る舞いを奏上した。太宗は侍中の魏徴らが、むやみに人を推挙したと責めた。魏徴は言った。「臣らは、ご下問を受けるたびに、いつも詳しくその長所と短所を申し上げてきました。学識があり、強く諫めるのは、彼の長所です。暮らしを愛し、商いを好むのは、彼の短所です。今、凌敬は人のために碑文を書き、人に『漢書』を教えている。それにかこつけて、物を融通して利を求めた。臣らが申し上げたことと違ってはいません。陛下は彼の長所をお用いにならず、ただ短所だけをご覧になる。それで臣らが欺いたとされる。まことに心から従うことはできません」。太宗はこれを受け入れた。
解説
この章句が説くこと
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史記 孟嘗君列伝先生の言を聞く、敢へて教へを奉ぜざらんや」と。
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説苑・尊賢魏の文侯大夫に曲陽に觴す。飲酣にして、文侯喟然として歎じて曰く、「吾独り豫譲以て臣と為す無し」と。蹇重酒を挙げて進みて曰く、「臣請う君に浮せん」と。文侯曰く、「何を以てか」と。対えて曰く、「臣之を聞く、命有るの父母は孝子を知らず、道有るの君は忠臣を知らずと。夫れ豫譲の君は、亦何如なる哉」と。文侯曰く、「善し」と。浮を受けて之を飲み、嚼みて譲らず。曰く、「管仲鮑叔以て臣と為す無きが故に、豫譲の功有るなり」と。趙簡子曰く、「吾范中行氏の良臣を得んと欲す」と。史黶曰く、「安んぞ之を用いんや」と。簡子曰く、「良臣は、人の願う所なり、又何ぞ問わんや」と。曰く、「君以て良臣無きが故なり。夫れ君に事うる者は、過ちを諫めて可を薦め、善を章かにして否を替え、能を献じて賢を進む。朝夕善を誦し、敗るれば之を納れ、聴かるれば則ち進み、否らざれば則ち退く。今范中行氏の良臣は、其の君を匡相する能わずして、難に至らしむ。出でて外に在り、又入る能わず。亡びて之を棄つ、何ぞ良と為さん。若し棄てずんば、君安んぞ之を得ん。夫れ良将は其の君を営みて、其の位に復さしめ、死して而る後に止む、何ぞ来たると曰わんや。若し未だ能わずんば、乃ち良に非ざるなり」と。簡子曰く、「善し」と。
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『晏子春秋』諫上・景公飲酒七日不納弦章之言晏子諫景公酒を飲み、七日七夜止まず。弦章諫めて曰く、「君酒を飲むこと七日七夜、章願わくは君酒を廃せんことを。然らずんば、章死を賜わらん」と。晏子入り見ゆ。公曰く、「章吾を諫めて曰く、『願わくは君の酒を廃せんことを、然らずんば章死を賜わらん』と。是くの如くにして之を聴かば、則ち臣の制を為すなり。聴かざれば、又其の死を愛しむ」と。晏子曰く、「幸いなるかな、章の君に遇えるや。章をして桀・紂に遇わしめば、章の死すること久しからん」と。是に於いて公遂に酒を廃す。
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五行大義・第十四論雑配・第六論五事上を犯す者誅せられざれば、則ち草霜を犯して死せず。百姓の財を貪り取れば、則ち蝗螟(こうめい)も亦人の食を食う。此れ皆視の象る所なり。聴は耳に在り。耳は、易に於いて坎なり。古者(いにしえ)聖王には進善の旌(はた)、敢諫の鼓有り、蒭蕘(すうじょう)に謀る。博く延き広く聴く所以なり。人君謀を好まざれば、則ち下敢えて言う莫し。下敢えて言う莫ければ、則ち上聞く所無し。上聞く所無ければ、則ち聴かず。聴かざる者は、政事を謀らざるに由る。故に曰く、聴かず、と。庶事を聞知する所無く、擁屈して怨み心口に在り、喜怒節ならず。故に曰く、急なり、と。夫れ寒は物を急にす。冬の物は皆枯急す。枯急す、故に曰く、厥の罰は常寒、と。常寒なれば、則ち百穀を生ぜず。百穀を生ぜざれば、則ち民貧窮す。故に妖は耳に生ず。類を以て相動けば、則ち鼓妖有り。声音の類なり。坎は彘(てい)たり。耳の気傷るれば、彘禍有り。水の色は黒、黒交有り。此れ皆聴なり。思は、心は五事の主たり、猶お土の体の五行の主たるがごときなり。易に於いては坤たり。八正の気も、亦八風に起こる。風は四時の主なり。思心得る、これを容と謂う。容は能く臣子を容畜す、故にこれを聖と謂うなり。思心得ざれば、四者皆失い、則ち臣子を容畜すること能わず。故に曰く、思心容れざる、是れを不聖と謂う、と。過ちは霿乱(ぼうらん)して紀を失うに在り。故に風は、易に於いて巽なり。三月・四月に在り、純陽なり。而して陽に治まれば、則ち陰たり、陰に於いては、則ち陽たり。大臣の象なり。君既に霿乱すれば、則ち大臣専恣す。大臣専恣して陰気盛んなり。陰気盛んなれば、則ち応ず。故に厥の罰は常風なり。陰気多き者は、陰りて雨ふらず。その甚だしきや、常陰なり。暗とは、心に苞承す。心気傷るれば、則ち暗妖と為る。易に曰く、坤は牛たり、と。坤は土なり。土気傷るれば、則ち牛多く死す。又曰く、土は内事たり、内事乱るれば、則ち華孽(かげつ)有り、と。此れ皆思の事なり。五事の感ずる所、その例甚だ多し。略して挙ぐること此の如し。
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『春秋左氏伝』昭公二十八年 小人の腹を以て君子の心と為す冬、梗陽の人獄有り。魏戊斷ずる能はず、獄を以って上る。其の大宗、賂ふに女樂を以ってす。魏子將に之を受けんとす。魏戊、閻沒(えんぼつ)・女寬(じょかん)に謂ひて曰く、「主は賄せざるを以って諸侯に聞こゆ。若し梗陽の人を受けば、賄焉より甚だしきは莫し。吾子必ず諫めよ」と。皆許諾す。朝より退きて庭に待つ。饋(き)入りて之を召す。置くに比(およ)びて三たび歎ず。既に食して坐せしむ。魏子曰く、「吾諸を伯叔に聞く、諺に曰く、『唯だ食のみ憂ひを忘る』と。吾子食を置くの間に三たび歎ずるは、何ぞや」と。辭を同じくして對へて曰く、「或ひと二小人に酒を賜ひ、夕食せず。饋の始めて至るや、其の足らざらんことを恐る。是を以って歎ず。中ば置くに自ら咎めて曰く、『豈に將軍之に食ましむるに、而も足らざる有らんや』と。是を以って再び歎ず。饋の畢(を)はるに及び、願はくは小人の腹を以って、君子の心と為し、屬厭(しょくえん)するのみならんことを」と。獻子、梗陽の人を辭す。
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