説苑 / 尊賢
齊景公伐宋,至於岐隄之上,登高以望,太息而歎曰:「昔我先君桓公,長轂八百乘以霸諸侯,今我長轂三千乘,而不敢久處於此者,豈其無管仲歟!」弦章對曰:「臣聞之,水廣則魚大,君明則臣忠;昔有桓公,故有管仲;今桓公在此,則車下之臣盡管仲也。」
新字:斉景公伐宋,至於岐隄之上,登高以望,太息而嘆曰:「昔我先君桓公,長轂八百乗以覇諸侯,今我長轂三千乗,而不敢久処於此者,豈其無管仲歟!」弦章対曰:「臣聞之,水広則魚大,君明則臣忠;昔有桓公,故有管仲;今桓公在此,則車下之臣尽管仲也。」
書き下し
斉の景公宋を伐ち、岐隄の上に至る。高きに登りて以て望み、太息して歎じて曰く、「昔我が先君桓公、長轂八百乗にして諸侯に霸たり。今我が長轂三千乗なるも、久しく此に処ることを敢えてせざるは、豈に其れ管仲無ければならんや」と。弦章対えて曰く、「臣之を聞く、水広ければ則ち魚大に、君明らかなれば則ち臣忠なりと。昔桓公有り、故に管仲有り。今桓公此に在らば、則ち車下の臣尽く管仲ならん」と。
現代語訳
斉の景公が宋を討ち岐隄まで進軍し、高台からため息をついて言った。「昔、桓公は戦車八百台で覇者となったが、今は三千台もありながら長くここに留まれない。管仲がいないからか。」弦章は答えた。「水が広ければ魚は大きく育ち、君主が明晰であれば臣下は忠実になると聞きます。昔桓公がいたからこそ管仲がいたのです。今もし桓公がここにいれば、車の下の臣下はことごとく管仲でありましょう。」
解説
景公が管仲のような名臣の不在を嘆いたのに対し、弦章は「水広ければ魚大なり」という比喩で切り返し、名臣が現れるかどうかは君主自身の器量にかかっていると婉曲に諭す。表面的には巧みな追従にも聞こえるが、その核心は「良い人材がいないのではなく、良い人材を育て引き出すだけの器を自分が備えていないのではないか」という自己反省を促す点にあり、部下の力不足を嘆く前に自らの采配や度量を省みるべきだという、上に立つ者への根本的な問いかけとして読める。
この章句が説くこと
君主の器量水魚の譬え自己省察
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説苑・尊賢或るひと曰く、「将に桓公を仁義と謂わんとするか、兄を殺して立つ、仁義に非ざるなり。将に桓公を恭倹と謂わんとするか、婦人と輿を同じくし、邑中に馳す、恭倹に非ざるなり。将に桓公を清潔と謂わんとするか、閨門の内、嫁すべき者無し、清潔に非ざるなり。此の三者は亡国失君の行いなり。然れども桓公兼ねて之を有す、管仲・隰朋を得るを以て、九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡し、畢く周室に朝せしめ、五霸の長と為る。其の賢佐を得ればなり。管仲・隰朋を失いて、豎刁・易牙に任じ、身死して葬られず、蟲流れて戸を出づ。一人の身、栄辱倶に施さるるは、何ぞや。其の任ずる所異なればなり」と。此に由りて之を観れば、則ち佐を任ずること急なり。周公旦は白屋の士、下る所の者七十人にして、天下の士皆至る。晏子は与に衣食を同じくする者百人にして、天下の士も亦た至る。仲尼は道を修め行い、文章を理めて、天下の士も亦た至る。伯牙子琴を鼓すれば、鍾子期之を聴く。方に鼓して志太山に在れば、鍾子期曰く、「善いかな鼓琴、巍巍乎として太山のごとし」と。少選の間にして、志流水に在れば、鍾子期復た曰く、「善いかな鼓琴、湯湯乎として流水のごとし」と。鍾子期死して、伯牙琴を破り絃を絶ち、終身復た琴を鼓さず、世に鼓琴を為すに足る者無しと為せばなり。独り鼓琴のみ此くの若きに非ざるなり、賢者も亦た然り。賢者有りと雖も之に接する以て無ければ、賢者奚に由りてか忠を尽くさん。驥自ら千里に至らざるは、伯楽を待ちて後に至ればなり。
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