説苑 / 尊賢
或曰:「將謂桓公仁義乎?殺兄而立,非仁義也;將謂桓公恭儉乎?與婦人同輿,馳於邑中,非恭儉也;將謂桓公清潔乎?閨門之內,無可嫁者,非清潔也。此三者亡國失君之行也,然而桓公兼有之,以得管仲隰朋,九合諸侯,一匡天下,畢朝周室,為五霸長,以其得賢佐也;失管仲隰朋,任豎刁易牙,身死不葬,蟲流出戶。一人之身,榮辱俱施者,何者?其所任異也。」由此觀之,則任佐急矣。周公旦白屋之士,所下者七十人,而天下之士皆至;晏子所與同衣食者百人,而天下之士亦至;仲尼修道行,理文章,而天下之士亦至矣。伯牙子鼓琴,鍾子期聽之,方鼓而志在太山,鍾子期曰:「善哉乎鼓琴!巍巍乎若太山。」少選之間,而志在流水,鍾子期復曰:「善哉乎鼓琴!湯湯乎若流水。」鍾子期死,伯牙破琴絕絃,終身不復鼓琴,以為世無足為鼓琴者。非獨鼓琴若此也,賢者亦然,雖有賢者而無以接之,賢者奚由盡忠哉!驥不自至千里者,待伯樂而後至也。
新字:或曰:「将謂桓公仁義乎?殺兄而立,非仁義也;将謂桓公恭倹乎?与婦人同輿,馳於邑中,非恭倹也;将謂桓公清潔乎?閨門之内,無可嫁者,非清潔也。此三者亡国失君之行也,然而桓公兼有之,以得管仲隰朋,九合諸侯,一匡天下,畢朝周室,為五覇長,以其得賢佐也;失管仲隰朋,任豎刁易牙,身死不葬,虫流出戸。一人之身,栄辱倶施者,何者?其所任異也。」由此観之,則任佐急矣。周公旦白屋之士,所下者七十人,而天下之士皆至;晏子所与同衣食者百人,而天下之士亦至;仲尼修道行,理文章,而天下之士亦至矣。伯牙子鼓琴,鍾子期聴之,方鼓而志在太山,鍾子期曰:「善哉乎鼓琴!巍巍乎若太山。」少選之間,而志在流水,鍾子期復曰:「善哉乎鼓琴!湯湯乎若流水。」鍾子期死,伯牙破琴絶絃,終身不復鼓琴,以為世無足為鼓琴者。非独鼓琴若此也,賢者亦然,雖有賢者而無以接之,賢者奚由尽忠哉!驥不自至千里者,待伯楽而後至也。
書き下し
或るひと曰く、「将に桓公を仁義と謂わんとするか、兄を殺して立つ、仁義に非ざるなり。将に桓公を恭倹と謂わんとするか、婦人と輿を同じくし、邑中に馳す、恭倹に非ざるなり。将に桓公を清潔と謂わんとするか、閨門の内、嫁すべき者無し、清潔に非ざるなり。此の三者は亡国失君の行いなり。然れども桓公兼ねて之を有す、管仲・隰朋を得るを以て、九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡し、畢く周室に朝せしめ、五霸の長と為る。其の賢佐を得ればなり。管仲・隰朋を失いて、豎刁・易牙に任じ、身死して葬られず、蟲流れて戸を出づ。一人の身、栄辱倶に施さるるは、何ぞや。其の任ずる所異なればなり」と。此に由りて之を観れば、則ち佐を任ずること急なり。周公旦は白屋の士、下る所の者七十人にして、天下の士皆至る。晏子は与に衣食を同じくする者百人にして、天下の士も亦た至る。仲尼は道を修め行い、文章を理めて、天下の士も亦た至る。伯牙子琴を鼓すれば、鍾子期之を聴く。方に鼓して志太山に在れば、鍾子期曰く、「善いかな鼓琴、巍巍乎として太山のごとし」と。少選の間にして、志流水に在れば、鍾子期復た曰く、「善いかな鼓琴、湯湯乎として流水のごとし」と。鍾子期死して、伯牙琴を破り絃を絶ち、終身復た琴を鼓さず、世に鼓琴を為すに足る者無しと為せばなり。独り鼓琴のみ此くの若きに非ざるなり、賢者も亦た然り。賢者有りと雖も之に接する以て無ければ、賢者奚に由りてか忠を尽くさん。驥自ら千里に至らざるは、伯楽を待ちて後に至ればなり。
現代語訳
ある人が言った。「桓公を仁義と言おうとしても兄を殺して即位したので違う。慎み深いと言おうとしても女性と車を同じくして町を乗り回したので違う。清廉と言おうとしても後宮に嫁がせられる女性がいないほどなので違う。この三つは国を滅ぼす行いだが、桓公はこれを全て兼ね備えていながら、管仲・隰朋を得たことで天下を正し五覇の長となった。賢い補佐役を得たからである。彼らを失い豎刁・易牙を用いると、死体は葬られず蛆虫が門外に流れ出た。栄光と屈辱が同じ一人の身に現れたのは、任用した人材が異なっていたからである。」補佐役の登用こそ急務なのだ。周公旦・晏子・孔子はへりくだって士に接したので天下の士が集まった。伯牙が琴を弾くと鍾子期はその心情を的確に聴き取った。鍾子期が死ぬと伯牙は琴を壊し二度と弾かなかった。理解者がいなくなったからである。賢者も同じで、応対する者がいなければ忠誠を尽くせない。名馬が自ら千里を走らないのは、伯楽を待って初めて走れるからである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢禹は夏を以て王たり、桀は夏を以て亡ぶ。湯は殷を以て王たり、紂は殷を以て亡ぶ。闔廬は呉を以て天下に戦勝して敵無く、而して夫差は越に見禽らる。文公は晋国を以て霸たり、而して厲公は匠麗の宮に見弑せらる。威王は斉を以て天下に強く、而して湣王は廟梁に弑死す。穆公は秦を以て名を顕し号を尊くし、而して二世は望夷に劫かさる。其の君王たる所以は同じくして、功跡の等しからざる者は、任ずる所異なればなり。是の故に成王襁褓に処りて諸侯に朝せしむるは、周公の事を用えればなり。趙の武霊王五十年にして沙丘に餓死するは、李充に任ぜし故なり。桓公管仲を得て、九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡す。管仲を失いて豎刁・易牙に任じ、身死して葬られず、天下の笑いと為る。一人の身、栄辱倶に施さる、任ずる所に在り。故に魏に公子無忌有りて、地を削られて復た得たり。趙は藺相如に任じて、秦兵敢えて鄢陵に出でず。唐睢に任じて、国独り特立す。楚に申包胥有りて、昭王位に反る。斉に田単有りて、襄王国を得たり。此に由りて之を観れば、国に賢佐俊士無くして、能く功を成し名を立て、危を安んじ絶を継ぐ者は、未だ嘗て有らざるなり。故に国は大を務めずして民心を得るを務め、佐は多きを務めずして賢俊を得るを務む。民心を得る者は民之に往き、賢佐有る者は士之に帰す。文王炮烙の刑を除かんことを請いて殷民従い、湯張網の者の三面を去りて夏民従い、越王旧冢を隳たずして呉人服す、其の民心に順う所以を為せばなり。故に声同じければ処異なりて相応じ、徳合すれば未だ見えずして相親しむ。賢者本朝に立てば、則ち天下の豪、相率いて之に趨く。何を以て其の然るを知るや。曰く、管仲は桓公の賊なり、鮑叔以て己より賢なりとして之を進めて相と為し、七十言にして説くこと乃ち聴かる。遂に桓公をして報讎の心を除きて国政を委ねしむ。桓公垂拱無事にして諸侯に朝せしむるは、鮑叔の力なり。管仲の能く桓公に北走して自危の心無き所以の者は、鮑叔に声を同じくすればなり。紂王子比干を殺し、箕子髪を被りて狂を佯る。陳の霊公泄冶を殺して鄧元陳を去る。是より後、殷は周に兼ねられ、陳は楚に亡ぶ。其の比干・泄冶を殺して箕子と鄧元とを失いしを以てなり。燕の昭王郭隗を得て、鄒衍・楽毅斉・趙より至り、蘇子・屈景周・楚より至る。是に於いて兵を挙げて斉を攻め、閔王を莒に棲ましむ。燕地を校し衆を計るに、斉と均しきに非ざれども、然れども能く意を信ぶこと此に至る所以の者は、士を得るに由ればなり。故に常安の国無く、恒治の民無し。賢を得れば則ち安昌、之を失えば則ち危亡す。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。明鏡は形を昭らかにする所以なり、往古は今を知る所以なり。夫れ往古の危亡する所以を悪知りて、其の安昌する所以に迹を襲うことを務めざれば、則ち未だ卻走して前人に逮ばんことを求むるに異ならざるなり。太公之を知る、故に微子の後を挙げ、比干の墓を封ず。夫れ聖人の死者に於けるすら尚お是くの如く厚し、況んや当世にして生存する者をや。則ち其の失わざるべきこと識るべし。
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説苑・尊賢春秋の時、天子微弱にして、諸侯力を政め、皆叛きて朝せず。衆は寡を暴し、強は弱を劫かし、南夷と北狄と交々侵し、中国の絶えざること線のごとし。桓公是に於いて管仲・鮑叔・隰朋・賓胥無・甯戚を用い、三たび亡国を存し、一たび絶世を継ぎ、中国を救い、戎狄を攘い、卒に荊蛮を脅し、以て周室を尊び、諸侯に霸たり。晋の文公は咎犯・先軫・陽処父を用い、中国を強くし、強楚を敗り、諸侯を合わせ、天子に朝し、以て周室を顕す。楚の荘王は孫叔敖・司馬子反・将軍子重を用い、陳を征し鄭に従い、強晋を敗り、天下に敵無し。秦の穆公は百里子・蹇叔子・王子廖及び由余を用い、雍州を拠有し、西戎を攘敗す。呉は延州萊季子を用い、翼州を并せ、威を雞父に揚ぐ。鄭の僖公は千乘の国を富有し、貴きこと諸侯たれども、義を治めて人心に順わず、臣に弑せらるる者は、先に賢を得ざればなり。簡公に至りて子産・裨諶・世叔・行人子羽を用い、賊臣除かれ、正臣進み、強楚を去り、中国を合わせ、国家安寧にして、二十余年、強楚の患い無し。故に虞に宮之奇有りて、晋の献公之が為に終夜寝ねず。楚に子玉得臣有りて、文公之が為に側席して坐す。賢者の厭難折衝を遠ざくればなり。夫れ宋の襄公は公子目夷の言を用いず、大いに楚に辱めらる。曹は僖負羈の諫めを用いず、戎に敗死す。故に共に五始の要、治乱の端を惟うに、己を審らかにして賢に任ずるに在り。国家の賢に任じて吉なり、不肖に任じて凶なるは、往世を案じて己の事を視るに、其れ必然なり、符を合するがごとし。此れ人君たる者、慎まざるべからざるなり。国家惛乱にして良臣見わる。魯国大いに乱れ、季友の賢見わる。僖公即位して季子に任じ、魯国安寧にして、外内憂い無く、行政二十一年、季子の卒するの後、邾其の南を撃ち、斉其の北を伐ち、魯其の患いに勝えず、将に師を楚に乞いて以て全きを取らんとするのみ。故に伝に曰く、患いの起こるは必ず此れより始まると。公子買をして衛に戍らしむべからず、公子遂は君命を聴かずして擅に晋に之く、内は臣下に侵され、外は兵乱に困しむ、弱の患いなり。僖公の性、前二十一年常に賢なるに非ずして、後乃ち漸く変じて不肖と為るに非ず、此れ季子の存する所の益、亡ぶる所の損なり。夫れ賢を得、賢を失うこと、其の損益の験此くのごとし。而るに人主の用うる所に忽なる、甚だ疾痛むべきなり。夫れ智賢を見るに足らざるは、如何ともする無し。若し智能く之を見るも、強いて決する能わず、猶予して用いず、大は死亡し、小は乱傾す、此れ甚だ悲哀すべきなり。宋の殤公孔父の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ孔父死せば己必ず死せんことを知りて、趨りて之を救わん。趨りて之を救う者は、是れ其の賢を知ればなり。魯の荘公季子の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ疾死せんとして季子を召して之に国政を授けん。之に国政を授くる者は、是れ其の賢を知ればなり。此の二君賢を知り見る能くして皆用うる能わず、故に宋の殤公は殺されて死し、魯の荘公は賊嗣す。宋の殤をして蚤く孔父に任ぜしめ、魯の荘をして素より季子を用いしめば、乃ち将に隣国を靖んずべし、而るを況んや自ら存するをや。
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説苑・尊賢人君の天下を平治して栄名を垂れんと欲する者は、必ず賢を尊びて士に下る。易に曰く、「自上下下、其道大光」と。又曰く、「以貴下賤、大得民也」と。夫れ明王の徳を施して下下るや、将に遠きを懐けて近きを致さんとするなり。夫れ朝に賢人無きは、猶お鴻鵠の羽翼無きがごときなり、千里の望有りと雖も、猶お其の意の至らんと欲する所を致す能わず。是の故に江海に游ぶ者は船に託し、遠道を致す者は乗に託し、霸王たらんと欲する者は賢に託す。伊尹・呂尚・管夷吾・百里奚は、此れ霸王の船乗なり。父兄と子孫とを釈つるは、之を疏んずるに非ざるなり。庖人・釣屠と仇讎・僕虜とに任ずるは、之に阿るに非ざるなり。社稷を持し功名を立つるの道は、然らざるを得ざるなり。猶お大匠の宮室を為るがごときなり、小大を量りて材木を知り、功効を比べて人数を知る。是の故に呂尚聘せられて天下商の将に亡びんとするを知り、周の王たるなり。管夷吾・百里奚任ぜられて天下斉・秦の必ず霸たるを知るなり、豈に特に船乗のみならんや。夫れ王を成し霸たるは固より人有り、国を亡ぼし家を破るも亦た固より人有り。桀は于莘を用い、紂は悪来を用い、宋は唐鞅を用い、斉は蘇秦を用い、秦は趙高を用い、而して天下其の亡びんとするを知る。其の人に非ずして功有らんと欲するは、譬えば其れ夏至の日にして夜の長からんことを欲するがごとく、魚を射んとして天を指して其の発の当たらんことを欲するがごとし。舜・禹と雖も猶お亦た困しむ、而るを況んや俗主をや。
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説苑・尊賢桓公管仲に問いて曰く、「吾爵をして酒に腐らしめ、肉をして俎に腐らしめんと欲す、覇に害無きを得んか」と。管仲対えて曰く、「此れ極めて其の貴ぶ所に非ざるのみ、然れども亦覇に害無きなり」と。桓公曰く、「何如なれば覇を害するか」と。管仲対えて曰く、「賢を知らざるは、覇を害す。知りて用いざるは、覇を害す。用いて任せざるは、覇を害す。任じて信ぜざるは、覇を害す。信じて復小人をして之に参わらしむるは、覇を害す」と。桓公曰く、「善し」と。
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『塩鉄論』刺復篇文學曰く、輸子の材木を制するや、其の規矩を正して鑿枘調う。師曠の五音を諧するや、其の六律を正して宮商調う。當世の工匠は、其の鑿枘を調うる能わざれば、則ち規矩を改め、聲音を協うる能わざれば、則ち舊律を變ず。是を以て鑿枘は刺戾して合わず、聲音は泛越して和せず。夫れ規矩を舉げて宜しきを知り、律を吹きて變を知るは、上なり、因循して作さず、以て其の人を俟つは、次なり。是を以て曹丞相は日に醇酒を飲み、倪大夫は口を閉じて言わず。故に大を治むる者は煩わすべからず、煩わせば則ち亂る、小を治むる者は怠るべからず、怠れば則ち廢る。春秋に曰く、『其の政恢卓なれば、恢卓は以て卿相と為すべし。其の政察察なれば、察察は以て匹夫と為すべし』と。夫れ維綱張らず、禮義行われざるは、公卿の憂いなり。案上の文、期會の事は、丞史の任なり。尚書に曰く、『俊乂官に在り、百僚師師たり、百工惟れ時にし、庶尹允に諧う』と。官其の人を得、人其の事に任ずるを言うなり、故に官治まりて亂れず、事起こりて廢れず、士は其の職を守り、大夫は其の位を理め、公卿は要を總べ凡を執るのみ。故に能に任ずる者は成を責めて勞せず、己に任ずる者は事廢れて功無し。桓公の管仲に於けるや、耳にして之を目にす。故に君子は賢を求むるに勞して、之を用うるに逸す、豈に殆しと云わんや。昔周公の相たるや、謙卑にして鄰らず、以て天下の士を勞う、是を以て俊乂朝に滿ち、賢智門に充つ。孔子は爵位無くして、布衣を以て才士七十有餘人を從う、皆諸侯卿相の人なり、況んや三公の尊に處りて以て天下の士を養うをや。今公卿の上位、爵祿の美を以てして、士を致す能わざるは、則ち未だ賢を進むるの道有らざるなり。堯の舜を舉ぐるや、賓として之に妻あわす。桓公の管仲を舉ぐるや、賓として之を師とす。天子を以て匹夫に妻あわすは、賢を親しむと謂うべし。諸侯を以て匹夫を師とするは、賓を敬すと謂うべし。是を以て賢者之に從うこと流るるが若く、之に歸して疑わず。今當世の位に在る者は、既に燕昭の士に下るも、鹿鳴の賢を樂しむも無くして、臧文・子椒の意を行う、賢を蔽い能を妒み、自ら其の智を高しとし、人の才を訾り、己に足りて問わず、士を卑しみて友とせず、位を以て賢に尚り、祿を以て士に驕る、而して士の用を求むるは、亦た難いかな。
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説苑・尊賢斉の桓公、管仲をして国を治めしむ。管仲対えて曰く、「賤は貴に臨む能わず」と。桓公以て上卿と為すも国治まらず。桓公曰く、「何の故ぞ」と。管仲対えて曰く、「貧は富を使う能わず」と。桓公之に斉国の市租一年を賜うも国治まらず。桓公曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「疏は親を制する能わず」と。桓公立てて仲父と為す。斉国大いに安んじ、遂に天下に覇たり。孔子曰く、「管仲の賢も、此の三権を得ざれば、亦其の君をして南面して覇たらしむる能わざりき」と。