説苑 / 尊賢
眉睫之徵,接而形於色;聲音之風,感而動乎心。甯戚擊牛角而商歌,桓公聞而舉之;鮑龍跪石而登嵼,孔子為之下車;堯、舜相見不違桑陰,文王舉太公不以日久。故賢聖之接也,不待久而親;能者之相見也,不待試而知矣。故士之接也,非必與之臨財分貨,乃知其廉也;非必與之犯難涉危,乃知其勇也。舉事決斷,是以知其勇也;取與有讓,是以知其廉也。故見虎之尾,而知其大於貍也;見象之牙,而知其大於牛也。一節見則百節知矣。由此觀之,以所見可以占未發,睹小節固足以知大體矣。
新字:眉睫之徴,接而形於色;声音之風,感而動乎心。甯戚擊牛角而商歌,桓公聞而舉之;鮑竜跪石而登嵼,孔子為之下車;堯、舜相見不違桑陰,文王舉太公不以日久。故賢聖之接也,不待久而親;能者之相見也,不待試而知矣。故士之接也,非必与之臨財分貨,乃知其廉也;非必与之犯難渉危,乃知其勇也。舉事決断,是以知其勇也;取与有譲,是以知其廉也。故見虎之尾,而知其大於貍也;見象之牙,而知其大於牛也。一節見則百節知矣。由此観之,以所見可以占未発,睹小節固足以知大体矣。
書き下し
眉睫の徴は、接して色に形わる。声音の風は、感じて心に動く。甯戚牛角を撃ちて商歌するや、桓公聞きて之を挙ぐ。鮑龍石に跪きて嵼に登るや、孔子之が為に車を下る。堯・舜相見るに桑陰を違えず。文王太公を挙ぐるに日久しきを以てせず。故に賢聖の接わるや、久しきを待たずして親しみ、能者の相見るや、試みを待たずして知る。故に士の接わるや、必ずしも之と財に臨みて貨を分かたずして、乃ち其の廉を知るに非ず。必ずしも之と難を犯し危を渉らずして、乃ち其の勇を知るに非ず。事を挙げ決断するは、是を以て其の勇を知るなり。取与譲有るは、是を以て其の廉を知るなり。故に虎の尾を見て、其の貍より大なるを知り、象の牙を見て、其の牛より大なるを知る。一節見わるれば則ち百節知らる。此に由りて之を観れば、見る所を以て未発を占うべく、小節を睹て固より大体を知るに足る。
現代語訳
眉やまつげに表れる徴候は、人と接するとその表情に現れる。声音の抑揚は心が感じ動くところから発せられる。甯戚が牛の角を叩き歌ったとき桓公は聞いて彼を登用し、鮑龍が石に跪き険しい山道を登ったとき孔子は車を降りた。堯と舜が出会ったのは桑の木陰が移らぬわずかな間であり、文王が太公望を登用したのも長い年月をかけたわけではない。賢者・聖人同士は長い時間をかけずとも親しみ合い、有能な者同士は試すまでもなくその力を知る。士と接するにあたり、財貨を分け与えて初めて廉潔さを知るわけではなく、危難をともにして初めて勇気を知るわけでもない。決断し実行に移すことで勇気がわかり、財の取捨に謙譲があることで廉潔さがわかる。虎の尾を見れば狸より大きいとわかり、象の牙を見れば牛より大きいとわかる。一つの節を見れば百の節すべてがわかる。見えているものから未だ現れていないものを推し量ることができ、小さな一部を見るだけで全体を知るに十分なのである。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』氾論訓故に聖人の賢を論ずるや、其の一行を見て賢不肖 分かる。孔子 廩丘を辭して、終に刀鉤を盜まず。許由 天子を讓りて、終に封侯を利とせず。故に未だ嘗て灼かれずして敢えて火を握らざるは、其の燒く所有るを見ればなり。未だ嘗て傷つかずして敢えて刃を握らざるは、其の害する所有るを見ればなり。此に由りて之を觀れば、見る者は以て未だ發せざるを論ず可し。而して小節を觀て以て大體を知る可し。故に人を論ずるの道、貴ければ則ち其の舉ぐる所を觀、富めば則ち其の施す所を觀、窮すれば則ち其の受けざる所を觀、賤しければ則ち其の爲さざる所を觀、貧しければ則ち其の取らざる所を觀る。其の難に更るを視て、以て其の勇を知る。動かすに喜樂を以てして、以て其の守を觀る。委ぬるに財貨を以てして、以て其の仁を論ず。振るに恐懼を以てして、以て其の節を知る。則ち人情 備わらん。
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六韜・選将武王 太公に問ひて曰く、「王者 兵を挙げ、英雄を簡練し、士の高下を知らんと欲す。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「夫れ士の外貌 中情と相応ぜざる者、十五あり。厳にして不肖なる者あり。温良にして盗を為す者あり。貌は恭敬にして心は慢れる者あり。外は廉謹にして内に至誠なき者あり。精精として情なき者あり。湛湛として誠なき者あり。謀を好みて決せざる者あり。果敢なるが如くにして能はざる者あり。悾悾として信ならざる者あり。怳怳惚惚として反つて忠実なる者あり。詭激にして功効ある者あり。外は勇にして内は怯なる者あり。粛粛として反つて人に易る者あり。嗃嗃として反つて静愨なる者あり。勢は虚しく形は劣れども、外に出づれば至らざる所なく、遂げざる所なき者あり。天下の賤しむ所、聖人の貴ぶ所なり。凡人は知ること莫し、大明あるに非ざれば其の際を見ず。此れ士の外貌 中情と相応ぜざる者なり」と。武王曰く、「何を以て之を知らん」と。太公曰く、「之を知るに八徴あり。一に曰く、之に問ふに言を以てし、以て其の辞を観る。二に曰く、之を窮むるに辞を以てし、以て其の変を観る。三に曰く、之と間かに謀り、以て其の誠を観る。四に曰く、明白に顕問し、以て其の徳を観る。五に曰く、之を使ふに財を以てし、以て其の廉を観る。六に曰く、之を試むるに色を以てし、以て其の貞を観る。七に曰く、之に告ぐるに難を以てし、以て其の勇を観る。八に曰く、之を酔はしむるに酒を以てし、以て其の態を観る。八徴皆な備はれば、則ち賢・不肖 別たん」と。
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説苑・尊賢人君の天下を平治して栄名を垂れんと欲する者は、必ず賢を尊びて士に下る。易に曰く、「自上下下、其道大光」と。又曰く、「以貴下賤、大得民也」と。夫れ明王の徳を施して下下るや、将に遠きを懐けて近きを致さんとするなり。夫れ朝に賢人無きは、猶お鴻鵠の羽翼無きがごときなり、千里の望有りと雖も、猶お其の意の至らんと欲する所を致す能わず。是の故に江海に游ぶ者は船に託し、遠道を致す者は乗に託し、霸王たらんと欲する者は賢に託す。伊尹・呂尚・管夷吾・百里奚は、此れ霸王の船乗なり。父兄と子孫とを釈つるは、之を疏んずるに非ざるなり。庖人・釣屠と仇讎・僕虜とに任ずるは、之に阿るに非ざるなり。社稷を持し功名を立つるの道は、然らざるを得ざるなり。猶お大匠の宮室を為るがごときなり、小大を量りて材木を知り、功効を比べて人数を知る。是の故に呂尚聘せられて天下商の将に亡びんとするを知り、周の王たるなり。管夷吾・百里奚任ぜられて天下斉・秦の必ず霸たるを知るなり、豈に特に船乗のみならんや。夫れ王を成し霸たるは固より人有り、国を亡ぼし家を破るも亦た固より人有り。桀は于莘を用い、紂は悪来を用い、宋は唐鞅を用い、斉は蘇秦を用い、秦は趙高を用い、而して天下其の亡びんとするを知る。其の人に非ずして功有らんと欲するは、譬えば其れ夏至の日にして夜の長からんことを欲するがごとく、魚を射んとして天を指して其の発の当たらんことを欲するがごとし。舜・禹と雖も猶お亦た困しむ、而るを況んや俗主をや。
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『淮南子』說林訓象牙を見て乃ち其の牛より大なるを知り、虎尾を見て乃ち其の狸より大なるを知る。一節 見えて百節 知らるるなり。小國は大國の間に鬥わず、兩鹿は伏兕の旁に鬥わず。祭を佐くる者は嘗むるを得、鬥を救う者は傷つくを得。不祥の木に蔭れば、雷電の撲つ所と爲る。或いは冢と謂い、或いは隴と謂う。或いは笠と謂い、或いは簦と謂う。頭蝨と空木の瑟とは、名 同じくして實 異なるなり。日月は明らかならんと欲するも浮雲 之を蓋い、蘭芝は修まらんと欲するも秋風 之を敗る。虎に子有りて、搏攫する能わざる者は、輒ち之を殺す。武を墮るを爲せばなり。龜紐の璽は、賢者 以て佩と爲す。土壤 田に布くは、能者 以て富と爲す。溺るる者を拯うに金玉を予うるは、尋常の纏索に若かず。
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『淮南子』齊俗訓故に古の聖王は、能く諸を己に得たり。故に令 行われ禁 止み、名 後世に傳わり、德 四海に施さる。是の故に凡そ將に事を舉げんとするに、必ず先ず意を平らかにし神を清くす。神 清く意 平らかなれば、物 乃ち正す可し。璽の埴に抑すが若し。正しければ之と正しく、傾けば之と傾く。故に堯の舜を舉ぐるや、之を目に決す。桓公の甯戚を取るや、之を耳に斷ずるのみ。是が為に術數を釋てて耳目に任ずれば、其の亂るること必ず甚だしからん。夫れ耳目の以て斷ず可きは、情性に反ればなり。聽くこと誹譽に失し、而して目 采色に淫して、事を正しくするを得んと欲すれば、則ち難し。夫れ哀を載する者は歌聲を聞きて泣き、樂を載する者は哭する者を見て笑う。哀しみて樂しむ可き者、笑いて哀しむ可き者は、載する所 然らしむるなり。是の故に虛を貴ぶ。故に水 擊てば則ち波 興り、氣 亂るれば則ち智 昏し。
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『淮南子』繆稱訓鵲の巢は風の起こる所を知り、獺の穴は水の高下を知る。暉目は晏を知り、陰諧は雨を知る。是が為に人の智は鳥獸に如かずと謂わば、則ち然らず。故に一伎に通じ、一辭に察なるは、與に曲說す可きも、未だ與に廣く應ず可からず。甯戚 牛角を擊ちて歌い、桓公 舉げて以て大政せしむ。雍門子 哭するを以て孟嘗君に見え、涕流れて纓を沾す。歌哭は、眾人の能く為す所なり。一たび聲を發して、人の耳に入り、人の心を感ぜしむるは、情の至れる者なり。故に唐・虞の法は效う可きも、其の人心に諭るは、及ぶ可からざるなり。簡公は懦を以て殺され、子陽は猛を以て劫かさる。皆な其の道を得ざる者なり。故に歌いて律に比せざる者は、其の清濁 一なり。繩の外と繩の內とは、皆な直を失える者なり。紂 象箸を為りて箕子 嘰き、魯 偶人を以て葬りて孔子 歎ず。始むる所を見れば則ち終わる所を知ればなり。故に水は山より出でて、海に入る。稼は野に生じて、倉に藏す。聖人は其の生ずる所を見れば、則ち其の歸する所を知るなり。