説苑 / 政理
宓子賤為單父宰,辭於夫子,夫子曰:「毋迎而距也,毋望而許也;許之則失守,距之則閉塞。譬如高山深淵,仰之不可極,度之不可測也。」子賤曰:「善,敢不承命乎!」宓子賤為單父宰,過於陽晝曰:「子亦有以送僕乎?」陽晝曰:「吾少也賤,不知治民之術,有釣道二焉,請以送子。」子賤曰:「釣道奈何?」陽晝曰:「夫扱綸錯餌,迎而吸之者也,陽橋也,其為魚薄而不美;若存若亡,若食若不食者,魴也,其為魚也博而厚味。」宓子賤曰:「善。」於是未至單父,冠蓋迎之者交接於道,子賤曰:「車驅之,車驅之。」夫陽晝之所謂陽橋者至矣,於是至單父請其耆老尊賢者而與之共治單父。
新字:宓子賤為単父宰,辞於夫子,夫子曰:「毋迎而距也,毋望而許也;許之則失守,距之則閉塞。譬如高山深淵,仰之不可極,度之不可測也。」子賤曰:「善,敢不承命乎!」宓子賤為単父宰,過於陽昼曰:「子亦有以送僕乎?」陽昼曰:「吾少也賤,不知治民之術,有釣道二焉,請以送子。」子賤曰:「釣道奈何?」陽昼曰:「夫扱綸錯餌,迎而吸之者也,陽橋也,其為魚薄而不美;若存若亡,若食若不食者,魴也,其為魚也博而厚味。」宓子賤曰:「善。」於是未至単父,冠蓋迎之者交接於道,子賤曰:「車駆之,車駆之。」夫陽昼之所謂陽橋者至矣,於是至単父請其耆老尊賢者而与之共治単父。
書き下し
宓子賤、単父の宰と為り、夫子に辞す。夫子曰く、「迎えて距むこと毋かれ、望みて許すこと毋かれ。之を許せば則ち守を失い、之を距めば則ち閉塞す。譬えば高山深淵の如く、之を仰げば極む可からず、之を度れば測る可からざるなり。」子賤曰く、「善し、敢えて命を承けざらんや。」宓子賤、単父の宰と為り、陽晝に過りて曰く、「子も亦僕を送る以有りや。」陽晝曰く、「吾少きより賤しく、民を治むるの術を知らず。釣道二つ有り、請う以て子を送らん。」子賤曰く、「釣道は奈何。」陽晝曰く、「夫れ綸を扱げ餌を錯き、迎えて之を吸う者は陽橋なり、其の魚為るや薄くして美ならず。若存若亡、若食若不食なる者は魴なり、其の魚為るや博くして厚味なり。」宓子賤曰く、「善し。」是に於て未だ単父に至らざるに、冠蓋の之を迎うる者道に交接す。子賤曰く、「車之を駆れ、車之を駆れ。」夫の陽晝の謂う所の陽橋なる者至れり。是に於て単父に至り、其の耆老尊賢なる者に請いて之と単父を共に治む。
現代語訳
宓子賤は単父の長官に任じられ、孔子のもとに別れの挨拶をした。孔子は言った。「人が迎合してきても頭から拒んではならない。見た目だけで安易に許してもいけない。安易に許せば節操を失い、頭から拒めば人が離れて塞がってしまう。ちょうど高い山や深い淵のようなもので、仰いでもその高さを極めることはできず、測ってもその深さを測ることはできない(そのような包容力を持て)。」子賤は言った。「よく分かりました。謹んで御命令を承ります。」宓子賤は単父の長官として赴く途中、陽晝のもとに立ち寄って言った。「あなたも私に何か餞の言葉をくれませんか。」陽晝は言った。「私は若い頃から身分が低く、民を治める術は知りませんが、釣りの道が二つありますので、それを餞として差し上げましょう。」子賤は「その釣りの道とは何か」と尋ねた。陽晝は言った。「糸を垂らし餌を置いて、食いついてくるとすぐ引き上げてしまうのが陽橋という魚の釣り方で、その魚は身が薄くて美味くありません。いるようないないような、食うような食わないような釣り方で釣れるのが魴という魚で、その魚は身が豊かで味が濃いのです。」宓子賤は「よく分かった」と言った。そこで単父に着く前から、冠をかぶり車蓋を立てた出迎えの人々が道に連なっていた。子賤は「車を走らせよ、車を走らせよ」と言って素通りし、あの陽晝の言う「陽橋」がまさにこれだと悟った。こうして単父に着くと、土地の年老いた賢者たちを訪ねて招き、彼らと共に単父を治めた。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・屈節解孔子の弟子に宓子賤なる者有り、魯に仕えて單父の宰と為る。魯君讒言を聽きて、己をして其の政を行うを得ざらしめんことを恐れ、是に於て辭行す。故に君の近史二人を請いて之と俱に官に至る。宓子邑吏を戒め、二史をして書せしむるに、方に書せんとすれば輒ち其の肘を掣く。書善からざれば、則ち從いて之を怒る。二史之を患い、辭して魯に歸らんことを請う。宓子曰く、「子の書甚だ善からず、子勉めて歸れ。」二史歸りて君に報じて曰く、「宓子臣をして書せしめて肘を掣き、書惡くして又臣を怒る。邑吏皆之を笑う、此れ臣の之を去りて來る所以なり。」魯君以て孔子に問う。子曰く、「宓不齊は、君子なり。其の才霸王の佐に任う、節を屈して單父を治むるは、將に以て自ら試みんとするなり。意うに此を以て諫と為すか。」公寤め、太息して嘆じて曰く、「此れ寡人の不肖なり。寡人宓子の政を亂して、其の善きを責むるは、非なり。二史微かりせば、寡人以て其の過ちを知る無し。夫子微かりせば、寡人以て自ら寤むる無し。」遽かに愛する所の使いを發して宓子に告げしめて曰く、「今自り已後、單父吾が有に非ざるなり。子の制に從い、民に便有る者は、子決して之を為せ。五年に一たび其の要を言え。」宓子敬みて詔を奉じ、遂に其の政を行うを得たり、是に於て單父治まる。躬ら敦厚にして、親親を明らかにし、篤敬を尚び、至仁を施し、懇誠を加え、忠信を致し、百姓之に化す。
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孔子家語・屈節解三年、孔子巫馬期をして遠く政を觀しむ。巫馬期陰かに衣を免き、弊裘を衣る。單父の界に入り、夜漁する者魚を得て輒ち之を舍つるを見る。巫馬期焉に問いて曰く、「凡そ漁する者は得んが為なり、何を以て魚を得て即ち之を舍つるや。」漁者曰く、「魚の大なる者は名づけて鱄䲖と為す、吾が大夫之を愛す。其の小なる者は名づけて鱦と為す、吾が大夫之を長ぜしめんと欲す。是を以て二者を得れば、輒ち之を舍つ。」巫馬期返りて、以て孔子に告げて曰く、「宓子の德、民をして闇行せしむるに至りて、旁らに嚴刑有るがごとし。敢えて問う、宓子何をか行いて是に於て得たるか。」孔子曰く、「吾嘗て之と言いて曰く、『此に誠なる者は、彼に刑す』と。宓子此の術を單父に行えるなり。」
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説苑・政理孔子、宓子賤に謂いて曰く、「子、単父を治めて衆説ぶ。丘に之を為す所以を語れ。」曰く、「不齊、人の父をば其の父とし、人の子をば其の子とし、諸の孤を恤み喪紀を哀しむ。」孔子曰く、「善なるも小節なり、小民附くも猶未だ足らざるなり。」曰く、「不齊や、父として事うる所の者三人、兄として事うる所の者五人、友とする所の者十一人。」孔子曰く、「父として三人に事うれば、以て孝を教うべし。兄として五人に事うれば、以て弟を教うべし。十一人を友とすれば、以て学を教うべし。中節なり、中民附くも猶未だ足らざるなり。」曰く、「此の地の民に不齊より賢なる者五人有り、不齊之に事え、皆不齊に治むる所以の術を教う。」孔子曰く、「其の大なるを欲せば、乃ち此に在り。昔者、堯・舜其の身を清微にして、以て天下を聴観し、賢人を来すことを務む。夫れ賢を挙ぐる者は百福の宗にして神明の主なり。不齊の治むる所は小なり、不齊の治むる所大なれば、其れ堯・舜に継がん。」
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『新序』雜事第二魯君宓子賤をして單父の宰と爲さしむ。子賤辭去し、因りて善く書する者二人を借らんことを請い、憲書教品を書せしむ。魯君之を予う。單父に至り、書せしむ。子賤旁より其の肘を引く。書醜ければ則ち之を怒り、好く書せんと欲すれば則ち又た之を引く。書者之を患え、辭して去らんことを請う。歸りて以て魯君に告ぐ。魯君曰く、子賤は吾の之を擾すを苦しむなり。其の善政を施すを得ざらしむればなり、と。乃ち有司に命じて擅に單父を徵發するを得る無からしむ。單父の化大いに治まる。故に孔子曰く、君子なるかな子賤。魯に君子なる者無くんば、斯れ安くにか斯れを取らん、と。其の德を美とするなり。
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孔子家語・辯政孔子、宓子賤に謂いて曰わく、「子單父を治めて眾悅ぶ、子何を施して之を得たるや。子丘に之を為す所以を語れ。」對えて曰わく、「不齊の治や、父は其の子を恤み、其の子は諸孤を恤み、而して喪紀を哀しむ。」孔子曰わく、「善なるは小節なり、小民附くも、猶お未だ足らざるなり。」曰わく、「不齊父として事うる所の者三人、兄として事うる所の者五人、友として事うる所の者十一人。」孔子曰わく、「父として三人に事うるは、以て孝を教う可し。兄として五人に事うるは、以て悌を教う可し。友として十一人に事うるは、以て善を舉ぐ可し。中節なり、中人附くも、猶お未だ足らざるなり。」曰わく、「此の地の民に不齊より賢なる者五人有り、不齊之に事えて稟度す、皆不齊に道を教う。」孔子嘆じて曰わく、「其の大なる者は、乃ち此に於いてか。有るかな。昔堯・舜天下を聽くに、務めて賢を求めて以て自ら輔く。夫れ賢は、百福の宗なり、神明の主なり。惜しいかな、不齊の治むる所を以てするは、小なり。」
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呂氏春秋・具備②宓子賤、亶父を治むるに、魯君の讒人に聽きて、己をして其の術を行うを得ざらしむるを恐る。將に辭して行かんとするに、近吏二人を魯君に請い、之と俱に亶父に至る。邑の吏皆朝す。宓子賤、吏二人をして書せしむ。吏將に書せんとするに方りて、宓子賤、旁從り時に其の肘を掣搖す。吏、之を書すること善からざれば、則ち宓子、之が爲に怒る。吏甚だ之を患い、辭して歸らんことを請う。宓子賤曰く、「子の書は甚だ善からず。子勉に歸れ。」二吏歸りて君に報じて曰く、「宓子爲に書す可からず。」君曰く、「何の故ぞ。」吏對えて曰く、「宓子、臣をして書せしむるに、時に臣の肘を掣搖す。書惡しければ而ち有た甚だ怒る。吏皆宓子を笑う。此れ臣の辭して去る所以なり。」魯君太息して歎じて曰く、「宓子、此を以て寡人の不肖を諫むるなり。寡人の宓子を亂し、宓子をして其の術を行うを得ざらしむること、必ず數々之れ有り。二人微かりせば、寡人幾ど過たんとす。」遂に愛する所を發して、亶父に之かしめ、宓子に告げて曰く、「今自り以來、亶父は寡人の有に非ざるなり、子の有なり。亶父に便なる者有らば、子決して之を爲せ。五歲にして其の要を言え。」宓子敬みて諾す。乃ち其の術を亶父に行うを得たり。三年にして、巫馬旗、短褐にして弊裘を衣て、往きて化を亶父に觀る。夜に漁する者を見るに、得れば則ち之を舍つ。巫馬旗、焉を問いて曰く、「漁は得るが爲なり。今子得て之を舍つるは、何ぞや。」對えて曰く、「宓子は人の小魚を取るを欲せざるなり。舍つる所の者は小魚なり。」巫馬旗歸り、孔子に告げて曰く、「宓子の德至れり。民をして闇行にも、嚴刑旁らに有るが若からしむ。敢て問う、宓子何を以てか此に至る。」孔子曰く、「丘嘗て之と言えり。曰く、『此に誠なれば、彼に刑る。』宓子必ず此の術を亶父に行いしならん。」夫れ宓子の此の術を行うを得たるや、魯君後に之を得ればなり。魯君後に之を得るは、宓子先に其の備有ればなり。先に其の備有るも、豈遽に必せんや。此れ魯君の賢なり。三月の嬰兒、軒冕前に在れども、欲するを知らず。斧鉞後に在れども、惡むを知らず。慈母の愛諭るは、誠なればなり。故に誠に誠あれば乃ち情に合う。精にして精有れば乃ち天に通ず。乃ち天に通ずれば、水木石の性、皆動かす可きなり。又況んや血氣有る者に於いてをや。故に凡そ說と治との務めは、誠なるに若くは莫し。哀しきを言う者に聽くは、其の哭するを見るに若かざるなり。怒るを言う者に聽くは、其の鬭うを見るに若かざるなり。說と治と誠ならざれば、其の人心を動かすこと神ならず。