説苑 / 政理
公儀休相魯,魯君死,左右請閉門,公儀休曰:「止!池淵吾不稅,蒙山吾不賦,苛令吾不布,吾已閉心矣!何閉於門哉?」
新字:公儀休相魯,魯君死,左右請閉門,公儀休曰:「止!池淵吾不税,蒙山吾不賦,苛令吾不布,吾已閉心矣!何閉於門哉?」
書き下し
公儀休、魯に相たり。魯君死す。左右、門を閉ざさんことを請う。公儀休曰く、「止めよ。池淵は吾稅せず、蒙山は吾賦せず、苛令は吾布かず。吾已に心を閉ざせり。何ぞ門に閉ざさんや。」
現代語訳
公儀休が魯の宰相であったとき、魯の君主が亡くなった。側近たちは(弔意を示すため邸宅の)門を閉ざすことを求めた。公儀休は言った、「やめておけ。私は池や淵に課税せず、蒙山に租税を課さず、過酷な法令を布いたこともない。私はすでに心を閉ざして(慎み深く)政治を行ってきたのだ。どうして今さら門まで閉ざす必要があろうか。」
解説
側近たちは君主の死に際して「門を閉ざす」という形式的な服喪の作法を勧めるが、公儀休はそれを退け、自分は日頃から不当な課税や苛酷な法令を布かず、常に心を慎んで政治を行ってきたのだから、今さら表面的な儀礼で取り繕う必要はないと言い切る。この逸話は、危機や喪失に際して形だけの反省や自粛のポーズを見せることと、日頃から誠実に行いを慎んでいることの違いを鋭く突く。現代でも、不祥事や重大局面が起きたときだけ神妙な態度を見せる組織と、平時から誠実な運営を積み重ねてきた組織との差は、まさにこの「門を閉ざすかどうか」の一件に凝縮されている。
この章句が説くこと
平素の慎み形式より実質日頃の行い
関連する章句
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史記 循吏列伝公儀休は、魯の博士なり。高弟を以て魯相と為る。法を奉じ理に循ひ、変更する所無く、百官自ら正し。食祿する者をして下民と利を争ふを得ざらしめ、大を受くる者をして小を取るを得ざらしむ。食茹して美なるや、其の園葵を抜きて之を棄つ。其の家の布を織ること好きを見て、其の家婦を疾出して、其の機を燔き、云ふ、「農士工女をして安くにか其の貨を讎せしめんと欲するか」と。
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説苑・權謀楚の成王諸屬の諸侯を贊するに、魯君をして僕たらしむ。魯君大夫を致して謀りて曰く、「我小なりと雖も、亦た周の建てし國なり。今成王我を以て僕と爲す。可ならんか」と。大夫皆曰く、「不可なり」と。公儀休曰く、「楚王に聽かざるべからず。身死し國亡べば、君の臣乃ち君の有なり。民の爲には、君なり」と。魯君遂に僕爲り。
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説苑・君道斉の景公、蔞に遊び、晏子の卒するを聞き、公輿に乗り素服し、駅して之を駆く。自ら遅しと為し、車を下りて趨る。知るに車の速きに若かず、則ち又乗る。国に至るに比びて四たび下りて趨り、行きて哭して往く。伏屍に至りて号して曰く、「子大夫日夜寡人を責め、尺寸を遺さず。寡人猶お且つ淫泆して収めず、怨罪百姓に重積す。今天禍を斉国に降し、寡人に加えずして夫子に加う。斉国の社稷危うし、百姓将た誰にか告げんとす」と。
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『臣軌』卷下 廉潔章公儀休、魯の相と為り、公禄を食む者をして下人と利を争うを得ざらしめ、大を受くる者は小を取るを得ざらしむ。客に相に魚を遺る者有り、相受けず。客曰く、「君の魚を嗜むを聞く、故に君に魚を遺る。何の故に受けざるか」と。公儀休曰く、「魚を嗜むを以て、故に受けざるなり。今、相と為りて、能く自ら魚を給す。今、魚を受けて相を免ぜられなば、誰か復た我に魚を給せん者ぞ。吾、故に受けざるなり」と。
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説苑・反質季文子魯に相たり、妾帛を衣ず、馬粟を食らわず。仲孫它諫めて曰く、「子魯の上卿為るに、妾帛を衣ず、馬粟を食らわず、人其れ子を以て愛と為し、且つ國を華ならしめずと為さん。」と。文子曰く、「然るか?吾國人の父母の麤を衣、蔬を食らうを觀る、吾是を以て敢えてせざるなり。且つ吾聞く君子は德を以て國を華ならしむ、妾と馬とを以てすとは聞かず。夫れ德とは我に得て、又彼に得る、故に行うべし。若し奢侈に淫し、文章に沈まば、自ら反る能わず、何を以て國を守らんや?」仲孫它慚じて退く。
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説苑・權謀韓の昭侯高門を造作す。屈宜咎曰く、「昭侯此の門を出でざらん」と。曰く、「何ぞや」と。曰く、「時ならず。吾が謂ふ所の時ならずとは、時日に非ざるなり。人固より利不利有り。昭侯嘗て利ありし時、高門を作らず。往年秦宜陽を拔き、明年大いに旱して民飢う。此の時を以て民の急を恤まずして、顧りて反りて益ゝ奢る。此れ謂ふ所の福重ねて至らず、禍必ず重ねて來る者なり」と。高門成りて、昭侯卒す。竟に此の門を出でず。