貞観政要 / 務農
貞觀二年,京師旱,蝗蟲大起。太宗入苑視禾,見蝗蟲,掇數枚而咒曰:「人以穀為命,而汝食之,是害於百姓。百姓有過,在予一人,爾其有靈,但當蝕我心,無害百姓。」將吞之,左右遽諫曰:「恐成疾,不可。」太宗曰:「所冀移災朕躬,何疾之避?」遂吞之。自是蝗不復為災。
新字:貞観二年,京師旱,蝗虫大起。太宗入苑視禾,見蝗虫,掇数枚而咒曰:「人以穀為命,而汝食之,是害於百姓。百姓有過,在予一人,爾其有霊,但当蝕我心,無害百姓。」将呑之,左右遽諫曰:「恐成疾,不可。」太宗曰:「所冀移災朕躬,何疾之避?」遂呑之。自是蝗不復為災。
書き下し
貞観二年、京師旱にして、蝗虫大いに起こる。太宗、苑に入りて禾を視る。蝗虫を見て、数枚を掇(と)りて咒(の)りて曰く、「人は穀を以て命と為す。而るに汝之を食らう。是れ百姓に害あり。百姓に過ち有らば、予一人に在り。爾(なんじ)其れ霊有らば、但だ当に我が心を蝕むべし。百姓を害する無かれ」と。将に之を吞まんとす。左右遽かに諫めて曰く、「恐らくは疾を成さん。不可なり」と。太宗曰く、「冀(こいねが)う所は災を朕が躬に移すことなり。何の疾をか避けんや」と。遂に之を吞む。是より蝗は復た災を為さず。
現代語訳
貞観二年、都が旱魃となり、蝗が大量に発生した。太宗が庭園に入って稲を見た。蝗を見つけると、数匹を取って呪いをかけて言った。「人は穀物を命としている。それをお前たちが食う。これは民に害をなすことだ。民に過ちがあれば、それは私一人にある。お前たちに霊があるなら、ただ私の心を食え。民を害するな」。そして飲み込もうとした。側近が慌てて諫めた。「病気になります。いけません」。太宗は言った。「望むところは、災いを私の身に移すことだ。どんな病気を避けようか」。そして飲み込んだ。これ以来、蝗は災いをなさなかった。
解説
この章句が説くこと
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